同級生が奴隷になった日
「手伝うよ」
図書館の一室。10冊ほどの本を両手いっぱいに持ち、運んでいる女子に僕は声をかけた。眼鏡によって補正された視力は僕の顔をまじまじと見る。顔に自信のない僕は顔を背けたいと反射的に考えた。
「うん、お願い」
永遠と思うほどの、だけれども短い沈黙。眼鏡ちゃんは僕の方へと体を向ける。本を取ってくれという合図だと解釈した僕は彼女に近づき、本を7冊持つ。彼女の仕事を奪わないためにも7冊という中途半端な数にしたが、10冊の方が良かったのではないか。僕は少しだけ後悔した。
「この本は……」
「歴史の方だね。私は理科の方だ」
「近くだね」
「効率的でしょ」
事前に本の選別をしていたらしい。僕たちの手にあるのは、全て近くの本棚に収まるだろう。実際にかかった時間は数分にも満たず、3冊しか担当していない彼女は1分も掛けることなく、僕の所へと寄ってくる。
「ありがとうね。わざわざ手伝ってくれて」
「仕方ないよ。もう片方がバックレたんだから」
本を管理する学生、図書委員は2人。男女それぞれ1人ずつ。女子の方は眼鏡ちゃん。男の方は僕ではない。図書委員は内申点目的と言っていた不真面目な学生だ。まあ、口とは違って体は正直らしく、図書委員が結成してから1カ月、彼は仕事に来なくなった。
代わりにサッカー部で努力を重ねているようで、今も外でミニゲームをしている。いつも通り10分後には別の練習を取り組むだろう。サッカー部の規則的な練習は図書委員の仕事よりも大事らしい。彼は眼鏡ちゃんが不満を漏らさないから長生きできているに過ぎないのだ。
「部活は大丈夫なの?」
「君がいた方が捗るから」
「また、いつものやつ?」
「うん。お願い」
「いいよ。暇だし、手伝ってくれたお礼」
眼鏡ちゃんが億劫そうにブレザーを脱ぐ。最初の時は嫌々でやっているのだと思っていたのだが、肩の動きが鈍いのは、本の読みすぎが原因による肩こりだった。僕が言えたことではないと思うが、運動を嫌うのは彼女の悪い所だろう。
「ほら、脱いだよ」
「ありがとう。じゃあ、描くよ」
カバンからスケッチブックを取り出す。中身には多種多様なポーズをした女性が描かれている。線は鉛筆で描かれたものとは思えないほど固いものだ。
当然あろう。この絵に描いたのはシャープペンシル。鉛筆で描かれているものではない。このことからも、この絵を描いた人は情熱などないことが分かる。
「今日はどのぐらいで終わりそう?」
「10分で終わらせるよ」
目の前でワイシャツ姿の少女が座っている。ブレザーを着ていると色のメリハリが難しいという理由である。どこまでも手抜きをしている。書き手である僕はこれを恥にも思わずに筆を進める。
色は白黒。故にごまかしが効かない。モデルの体力を考えると修正もほとんど無理だろう。一発勝負。眼鏡ちゃんはじっと僕を見ている。
「終わったよ」
「早いね。5分しか経ってないよ」
時計を見ると、眼鏡ちゃんの言う通り。時計の針は僅かにしか動いてない。窓の向こう側ではサッカー部がミニゲームをしているだろう。
「相変わらず上手いね」
「もっと上手い人はたくさんいるよ。所詮は趣味のもんだよ」
それも5分で済ませた絵。自分からすると改善点が多く見えてくる。しかし、眼鏡ちゃんはじっと絵を眺めている。
「なにか面白い所でもあるの?」
一心不乱に僕の絵を見る眼鏡ちゃんの様子が照れ臭く、尋ねてみる。失敗作だと認定しているとしても他人が自分の作品に夢中となっていることは嬉しいことだ。
「うん。自分の絵なんて君以外に描いてもらったことないから、承認欲求が満たされる」
「……だから、僕の前でも裸を晒すの?」
彼女へと近づき、服を脱がす。ブレザーを脱いでいた彼女は両腕を開き、僕を受け入れる。ワイシャツのボタンを1つ1つ丁寧に外していくとキャミソールが見える。
女性の服装というのは下着だけの時もあるが、下着の上にキャミソールを身に着けている人も多い。ブレザーなども含めると4枚重ね着をしている眼鏡ちゃんは寒がりなのかもしれないと考えながら、脱がしていく。
ワイシャツ、キャミ、下着。全てを僕によって脱ぎ捨てられた眼鏡ちゃんは上半身裸で僕を見つめている。
「下は?」
「その姿で描きたい。じっとしていて」
女性の体は脂肪が付きやすい。特に腹回りは重要部位だからか、目立つ人は多い。美女の多いグラビアアイドルにすら多いのだから、これは女性として避けられない悩みだろう。
眼鏡ちゃんの腹は引き締まっている。僕に裸体を晒すようになってから運動しているらしく、女体としての官能と健康的な爽やかさを両立していた。
「ほんと、スケベだね」
眼鏡ちゃんがポツリとぼやく。人影がいない図書館の中、誰が来るかもしれない空間で10分以上裸になっている。この学校は監視カメラを仕掛けていない。
都会の商業ビルでは不可能なことを校舎で行っている。たった十数年しか生きていない僕達でも異常だと理解している。許容しているのは倫理よりも本能を優先したからだろう。
「裸になっている君はスケベなのかい?」
「どうだろう。承認欲求で動いているのかもしれない。ほら、いるじゃん。推し活の資金稼ぎで風俗に行く人。私もそうなのかもしれない」
細い指でハープを弾くように彼女自身の体を撫でる。所作は娼婦の振る舞いであり、彼女は学生の身でありながら、性行為に関しては既に熟練の域に達している。
「もう体を売っているの?」
「まだ、かな。大人になって死にそうになったらするかも」
微笑すら浮かべない眼鏡ちゃん。長い付き合いの僕は彼女なりの冗談であると受け取った。
「ねえ、あなたはどうして絵を描くの?私のヌードを描く癖に美大の推薦は蹴ったし、ただのスケベにしか感じないよ」
冷めた視線が僕に突き刺さる。これは中途半端な態度を取る人間への軽蔑なのかもしれない。男としての本能にも、絵描きとしての道も誠実に向き合っていない。
仮に僕が本能に忠実なのだとしたら、眼鏡ちゃんは妊婦になっているだろう。
仮に僕が芸術を追求するのなら、眼鏡ちゃんは図書委員になってないだろう。
幼馴染である僕に人生を振り回された彼女なりの怒りがあるのかもしれない。彼女の内心を窺い知ることができるほど、僕は人間関係に恵まれていなかった。だから、分からない。けれども、自分の異常性については自覚している。
僕の筆が止まったのは、彼女に話すわけにはいかない秘中の秘。非社会的で人道を崩壊させる所業を好む醜悪な性根を見透かされたのではないかと恐れたからだ。
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夏の教室。ふと、好きな子の裸体を想像した時、僕は恋をしていないのだと気付いた。
人ならば絶対に経験したことがある。目の前の人を殴ったらどうなるんだろう、という邪念。いわゆる魔が差したという物だが、授業中、教室の一室で僕はクラスメイトの裸体を想像してしまった。
彼女はクラスの人気者だ。教室内では、男女双方に好かれているのだが、男の好色な目を嫌っている女性陣に気を使っているのだろう彼女は男性と会話することが滅多にない。
僕も例外ではなく、遠目から彼女を見つめるだけであった。華やかな彼女は何度も目にとまり、恋をしているから何度も見つけてしまうと考えていた。しかし、先ほど差した魔は恋ではないかと断定するように彼女の裸体を脳裏に過ぎらせた。
一瞬の出来事ではあったのだが、恋愛という物に一種の幻想を抱いていた僕にかけられた冷水は非常に悪質であり、どうやって女性と会話すればよいのかを分からなくさせてしまう効果があった。
もういっそ性欲を全開にすればいいのだろうか?と思考放棄する案も浮かぶ。これは即座に却下される。ジェントルマンを育てることを是としている日本では性欲などを表に出すことはいけないこと。幼い頃から叩き込まれている常識だ。
性欲を抑える。ある程度の年になったら誰もが覚える技能だ。無論、永遠と抑えられるものでもないためハメを外す時もある。僕の場合はある作業でハメを外す。
自身の机。引き出しに閉まっている物は1冊のノート。これには、学術的な内容は一切書かれていない。本来、授業や自習の内容が描かれているのであろうが、僕が密かに隠し持っているノートには女性の裸体しか描かれていない。
日本の法案上、ぼかさなければならない部位も書き込んだ絵はヌードと呼ばれる物であり、描かれている人間は全て同じ。同級生だ。
休み時間であるため、席を外し、人がいない場所へと向かう。カバンの中には、件のノートがある。
最初は駄作と呼べる出来であった僕の絵もクラスメイトの彼女を描く内に生々しく描けるようになった。本物を観たことがないため、間違っていることは確実である。だが、正解か不正解かはどうでもいいことなのだ。
大事なのは、彼女に抱いた自身の感情を絵にぶつけること。彼女の裸体を描き、目や脳だけでない。腕で輪郭を記憶した僕の身体は彼女の姿を見る度にまるで彼女の全身を支配しているかのような嗜虐的で暴力的な男の欲望が満たされるのだ。
まず、断言しておくが、彼女は僕の所有物などではない。事実として理解している。この趣味を持っている僕は異端であるだろうし、生涯に渡って公言することは絶対にあり得ない。
変質者の所業だと理解していても、胸のなかにある情欲とそれを消化する行動の勇気を持てない僕はのめり込むように彼女の裸体を描き続けた。
この日々は1年の歳月にわたって、行い、ヌードだけであれば、世界の誰よりも上手いと自惚れる程に僕は描いていた。
肌色に浮かぶホクロの位置は、顔を隠していたとしても知っている人間ならば、誰の裸体か窺い知ることができる僕の絵はネットに載せてしまえば、デジタルタトゥーとして彼女の人生を急変させることができる代物となっていた。
意中の相手の未来すら変えることができる僕の絵。この達成感は言いようもない快感をもたらす。最終的には良心に従い、燃やしたが、僕は自分が持つ性癖を改めて確認した。
僕は絵が好きなのではない。相手を支配できる状態が好きなのだ。僕の気まぐれによって相手の人生を左右し、破滅させることができる。
相手が自覚しているかどうかは関係ない。ただ、僕ができる、という確信を抱いた時に初めて味わうことのできる甘露だ。
もしも、お金持ちの家庭に生まれたら、自分は何をしていたのだろう。我ながら軽い恐怖心を抱きながらも絵を描く日常を続ける。
すると、1つの転機が訪れた。
「ねえ、私たち、付き合わない?」
生まれた頃からの幼馴染。スマホが大好きな眼鏡ちゃん。腐れ縁といってもいい僕たちは特に理由もなく付き合い。
趣味に理解のある眼鏡ちゃんは僕に裸体を晒すようになった。
「私たち、異常だね」
「……ああ、本当に異常だよ」
僕の性癖はさらに歪んだ。
初めて見る女の裸。二次性徴を迎え、大人の階段を上っている彼女を見た僕は、より具体的な願望を持つことになる。
女の肌に入墨を刻みたい。
現代社会では反社会的勢力の象徴となっているタトゥーとも呼ばれる紋章。日本人のうち99.9%は縁のない概念へと目を付けた。これは入墨という存在に芸術的な価値を抱いたからではない。むしろ、社会が抱く入墨のイメージに惹かれた。
入墨は反社の象徴。まともな企業であれば入れている人は雇用もしないし、解雇を行う理由になる。
つまり、入墨とは人生を終わらせることができるツールなのだ。
想像が膨らんでしまう。眼鏡ちゃんの手。特に目立つのは手の甲だろうか、僕自身の手で入墨を刻み、彼女の社会生命を終わらせる。そんな彼女を僕が支配するのだ。
僕の手で作り出された一生消えない証。これによって人生が僕に依存せざる負えない状況となる彼女の様子を見ていたい。
綺麗な裸体を見るたびに縛り上げたいと考えてしまう。我が色に染め上げ、目に焼き付けたい。
支配欲と征服欲、2つの欲求を昇華した僕の絵は根本的に執着が現れており、邪悪が偏在している。故に人様に見せられるような物ではないのだ。
僕のような人間は日陰で生きているのが得策だ。そう考え、絵を描きながら我慢していた。長い間、我慢していた。だからこそ、この失言は故意の物ではなかったと断言できる。
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「僕の入墨を入れてくれ。一生の責任を取る」
自制は常にしていた。自分の異常性が外に出ることは一度もしていない。油断などしていなかった。
眼鏡ちゃんの問いによって生まれた心の隙間が僕の本音を引き出したのだ。
「入墨って背中に入れるアレ?」
上半身が裸となっている彼女の白く小さな背中が見える。自身が見えない部位は出来物1つ存在しない綺麗なものであり、魅力的だ。
「違う。手の甲に」
眼鏡ちゃんの手のひらを取る。細い掌は繊細であり、陶磁器なのではないかと勘違いしそうになる。
「この手をキャンパスに、俺が描きたい」
「手の甲……みんなに見えちゃうよ」
「それがいい。皆に見せたい」
互いの指を絡ませて、あやとりのように指遊びをする。互いの息遣いが混じり合い、体温が上がるのを感じる。
「初めて本音で話したね」
「お前だって、男の前で服を脱ぐ理由なんて話していないだろ」
眼鏡ちゃんからの一言で彼氏彼女の関係になった。デートもキスもしたことはない。なのにも関わらず、僕は眼鏡ちゃんのことを特別な相手とは認識しておらず、欲望をぶつける相手でしかない。
「恥ずかしいわ。自分で考えてみて」
彼女の中にあった素朴さは完全に消え、取って代わるように妖艶さが支配する。
「ねえ、入墨がある私ってどうなるの?」
「普通の人生は送れないだろうね。就職はまともにできないし、結婚もだろうね」
「だから一生の責任を取るんだ」
「……ああ、後悔はさせない」
彼女は鼻で笑う。心にもない綺麗事を嘲笑するかのような面白がっているような笑い方。僕が感動ポルノと呼ばれるバラエティを見た時と同じような反応だ。
冷たい声で問いかける。彼女が普通の学生だとは誰も思わないだろう。必要ならば、残酷なことも平然と行う悪女としての表情。一瞬の変貌は恐ろしい。だが、威風堂々とした彼女の所作には、卑しさなど一切なく、美しさすら感じられた。
「本当のことを教えてよ」
「お前を支配したい。未来の可能性を全部潰して、お前が俺なしだけだと生きていけないようにしたい」
一度吐き出したからだろう。スラスラと口から出てくる。彼女に抱いている欲望。自分が持つ生来の性癖。これからの未来。あらゆる絶望が待っていることを淡々と伝える僕のことを静かに聞いていた。
「最低ね」
彼女は眼鏡を外す。前を見ることすら覚束ないだろう。先ほどよりも鋭い目は愉快げに弧を描いた。
「いいよ」
喜んでいる。自分の人生を他者に委ねる決断をした彼女は弾ませた声で僕に全てを捧げる。
その身を隠すことなく、抱きしめられる。柔らかい体は潰れ、心地よさを僕に抵抗せずに成就する。
「いつ入れるの?」
「今日」
腕の中にある少女は女になろうとしている。僕は待つことなどできない。今すぐにでも自分のものにしたかった。
「じゃあ、最後に心残りを1つ」
「なに?」
「キスしよ」
眼鏡ちゃんの顔をした彼女が腕の中にいる。素朴で冷静で、無垢さを兼ね備えた女子高生。先ほどまで僕が眼前に捉えていた少女であり、この時にはもう二度と会えないのではないかという今までにない儚さがあった。
「そうだね」
最初で最後の純愛が数秒で死んだ。
だけれども、この感触を異常者の僕が死ぬまで覚えていたのは妙に不思議なことであった。




