3. 偽りの栄光
アシュトルム王国立高等学校―――
この学び舎は、王国中の王侯貴族の子弟が集うエリートの揺り籠だ。広大な敷地には歴史を感じさせる石造りの校舎が並び、廊下には歴代の功労者の肖像画が厳かに掲げられている。
セシルの王宮への配属が決まり、卒業を目前に控えたある日の放課後。静まり返った廊下で、アランは足を止めた。
「ちょっと手洗いに行ってくる。セシル、ここで待っていろ。動くなよ」
「ああ、わかった。早くしろよ」
腕を組んで窓の外を眺めるセシルを残し、アランは廊下を曲がった。用を済ませて戻ろうとしたその時、背後から低く、聞き覚えのある声がかかる。
「よう、アラン。就職先が決まったと聞いたぞ」
そこに立っていたのは、レオン・フォルテ。フォルテ候爵家の嫡男であり、剣術の授業では常にセシルに次ぐ二位の成績を収めている実力者だ。アランは、無言でレオンを見返した。
「いつまで、あの跳ねっ返り令嬢の尻を追いかけるつもりだ?」
「……喧嘩を売っているのか?」
アランの瞳が鋭く細まり、空気が一瞬で凍りつく。だが、レオンは怯むことなく鼻で笑った。
「フッ。お前ほど腕の立つ男が、いつまでも従僕をしてるのはもったいないと言っているんだ」
「俺の腕だと……? 剣技の成績は褒められたもんじゃない。お前も知っているだろう、俺がいつも中位に甘んじていることを」
「見くびるなよ。俺以外にも、お前の実力を買っている奴はいる。授業じゃ、いつも手を抜いているのはわかっているぜ。……とくに、セシルにな」
アランの眉がピクリと動いた。隠し通しているつもりの「忖度」を指摘され、沈黙が流れる。レオンは肩をすくめて続けた。
「情けないことに、他の連中は本気を出してやられているようだがな。…お前は気づいているだろうが、俺のはあくまで『淑女への礼儀』としての手加減だ。女を泣かせて喜ぶような嗜虐趣味はないんでな。だが、お前のそれは……もっと質が悪い」
アランは答えなかった。アランとレオンの二人だけは、彼女に傷をつけぬよう、絶妙な均衡を保ちながら負けてみせていたのだ。
「その腕を、令嬢の子守のまま終わらせては惜しい。どうだ、俺と一緒に来ないか。俺は候爵家を継ぐ身だ。右腕として、お前が欲しい」
「……平民の俺にとっちゃ、過ぎた申し出だ。ありがたいよ。本来なら、この学校に通うことすらできない身だ。」
アランは静かに、けれど迷いのない声で答えた。
「だが、俺は生涯、セシルの影として生きていくと決めている。カルルス家を裏切るわけにはいかん」
「……ま、そう言うと思ったぜ。惚れた弱みだな。だがな、アラン。お前とセシルじゃ身分が違う。今のままじゃあ、彼女をそう簡単に手に入れることはできないぜ」
「違……!」
「身分違いの恋に諦めたら、俺のところへ来い。待っててやる」
高らかに笑いつつ去っていくレオンの背中に、アランは慌てて声をかけた。
「……セシルには言うなよ。今の話!」
◇
一方、廊下で待っていたセシルは、あまりに遅いアランを不審に思い、歩き出していた。
(あいつ、腹でも壊したのか……?)
角を曲がろうとした時、話し声が聞こえた。柱の陰に身を隠し、息を殺す。そこで耳にしたのは、信じがたい会話だった。
『授業じゃ、いつも手を抜いているのはわかっているぜ。……とくに、セシルにな』
『俺のはあくまで『淑女への礼儀』としての手加減だ』
足元が崩れるような感覚だった。
自分が誇りに思っていた学年首席。男子をなぎ倒してきた自慢の剣。それらすべてが、アランやレオンの「手加減」という名の侮蔑に近い優しさで守られた、偽りの栄光だったというのか。
(アランと、レオンが……私に、手加減をしていただと……?)
セシルは震える手で、自らの腰にある剣の柄を握りしめた。
それが事実だとしたら――。何も知らず、高慢に「踏み込みが甘い」などと説教を垂れていた自分が、あまりにも滑稽で、情けない。
アランが角から姿を現した時、セシルは慌てて柱の影に隠れ直し、彼が通り過ぎるのを待った。
その背中を見つめるアッシュブルーの瞳には、今まで抱いたことのない、昏い火が灯っていた。




