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女騎士の伯爵令嬢は恋に鈍感すぎる~幼馴染従者の十年越しの片想い~  作者: 桜子


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1. 王宮の檻

王都の北側に位置する高級住宅街の中でも、カルルス伯爵家の邸宅は一際目を引く威容を誇っていた。


白亜の石造りの外壁には歴史を感じさせる緻密な彫刻が施され、通りかかる人々は、その門構えを見るだけで、この家が王室からも厚い信頼を寄せられる名家であることを悟る。


しかし、その優雅な邸宅の裏庭だけは、異様な熱気に包まれていた。


 ――鋭い衝突音が、建物を震わせる。


夕刻の裏庭で響くのは、木剣と木剣が激しくぶつかり合う音。カルルス家の愛娘・セシルの金髪のロングウェーブが、激しい動きに合わせて宙を舞った。


「――そこだっ!」

「来い、セシル!」


セシルの鋭い踏み込みを、アランが真正面から受け止める。二人は物心ついた頃からの遊び相手であり、アランは平民出身ながら、セシル付きの従者として育てられ、今は護衛として共に王立学校に通う間柄だ。


激しい打ち合いの中、アランの剣がわずかに逸れた。その一瞬の隙を見逃さず、セシルの切っ先がアランの喉元へと届く。


お互いが静止し、セシルは満足げに剣を引いた。


額に浮かぶ汗を拭うその顔立ちは、彫りの深い野性的な美しさを湛えている。意志の強そうな眉と、ふっくらとした唇。そして何より、アッシュブルーの瞳が、勝利の昂揚感に研ぎ澄まされていた。


「フッ。また私の勝ちだな。アラン、お前は強いが、最後の踏み込みが甘いのだ」

「……ああ、参った。おまえには敵わない」


アランは無造作な黒髪をかき上げ、淡々と笑った。

そんな二人を、縁側で息を切らせて見ていたセシルの兄エリオットが、呆れたように声を上げる。


「……はぁ、はぁ。君たち、化け物かな? セシル、おまえが学校で首席なのは知ってるけど、アランも大概だよ。僕なんて、最初の一撃で腕が痺れてるんだから」


負け惜しみを言う兄を尻目に、セシルは遠く沈む夕日に目を細めた。その横顔は、貴族の令嬢というよりは、獲物を狙う美しい豹のようだった。


「……アラン、私はヴァレンタイン領の駐屯地への配属を志願するつもりだ。この腕を、より戦況の激しい場所で試したい」

「……何だと?」


アランの表情が初めて険しくなった。ヴァレンタイン領は、王国の北端に位置する、隣国との小競り合いが絶えない戦火の地だった。


「正気か? あそこは泥にまみれて戦う場所だぞ。……まあ、何を言っても聞かないんだろうな。わかった。お前が行くところなら、俺はどこへでもついていくさ」







その日の夜。セシルは父・カルルス伯爵にその決意を伝えた。だが、返ってきたのは冷たい一言だった。


「ならん。お前のような温室育ちが耐えられる場所ではない」

「父上! 私は学校でもトップの成績を収めているのです!」

「……実力、か」


伯爵は、背後に控えるアランを一瞥し、冷ややかな視線をセシルに戻した。


「その成績が、いかなる献身の上に成り立っているか、お前は気づいていないんだろうな。……アランの負担を考えろ。そして、彼の母であるハンナにまで余計な気苦労をかけるつもりか?」


ハンナ――。

赤ん坊の頃から自分やエリオットを我が子のように慈しみ、育ててくれた元メイド。今は引退して牛乳屋を営んでいる彼女の優しい笑顔が脳裏をかすめ、セシルは二の句が継げなくなった。

屈辱と困惑に震え、セシルはそのまま書斎を飛び出した。


庭園の影で追いついたアランに、彼女は毒づく。


「くそっ、頑固オヤジめ!何が温室育ちだ!」

「……そういうな。旦那様はお前のことが心配で仕方ないんだ。それだけ愛されてるってことだ」





翌日、王立騎士学校の談話室では、騎士科の同級生たちが卒業後の進路について盛り上がっていた。


「俺は王国軍の近衛隊だ」

「俺は地元の騎士団に戻って家督を継ぐよ」

 

盛り上がる男たちの中で、一人の友人がからかうように言った。


「セシル、お前はなんだかんだ言っても伯爵家の令嬢だからな。武官になって前線へ行くのを伯爵様がお許しにならないだろう?」


セシルは椅子を蹴るように立ち上がり、友人の顔を真っ直ぐに見据えた。黄金のウェーブヘアが激しく揺れる。


「令嬢だと? はじめて私を女扱いしてくれて光栄だ。だが、私はやりたいようにやる。父上の許可など関係ない」


セシルはそのまま軍部へ向かい、ヴァレンタイン領への配属志願書を提出した。


家名という名の鎖を断ち切り、一人の騎士として認められたい。広い世界へ、本当の戦場へ。そう信じて疑わなかった。


だが、数日後に届いたのは、軍部から通達ではなく、王家の紋章を象った黄金の封蝋が施された、一通の親書だった。

封を切り、中身を確認したセシルの指先が凍りつく。



『セシル・カルルス。君の実力は聞き及んでいる。王后陛下の近衛隊に入り、その盾となれ』



末尾には、流麗ながらも傲岸な筆致で、その送り主の名が記されていた。



 ――王太子 ギルバート・フォン・アストルム



セシルの目の前が真っ暗になった。戦場どころか、王宮の奥深くへ。



それは、後に彼女が「王宮の檻」の番人となる、その始まりの通告だった。

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