第八話【自らの役割】
食事を終えて一息つき、大きな木の根元を枕代わりにして、仰向けになってくつろぐノイとアベル。
頭上でフサフサと生い茂る深緑の葉が、焼け付くような日射しを穏やかな木漏れ日に変えて二人に送り届けていた。
鼻先をくすぐるそよ風が運んでくるのは、普段から嗅ぎ慣れているツンとした潮の香りなどではなく、柔らかな草木や土の匂い。
「…ねぇアベル」
「ん?なんだい」
「さっきフェトが言ってた、“人類の救世主“ってどういう意味?…おじいちゃんは私のこと、なんて言ってるの?」
ノイはごろんと体をアベルの方に向け、ずっと頭に引っかかっていた疑問を投げかけた。
一方のアベルは空を見上げたまま、ゆっくりと流れる雲を目で追いながら答える。
「…僕にもよく分からないんだけど、『人類を救うためには、あの子が必要だ』って、おじいさまはいつも言ってる」
「でも、私には誰かを救う力なんて無いよ。ただ海の中で息ができるだけ」
「確かにそうかもしれない。…でも、それはノイにしかできない凄いことだよ。だからきっと、何か特別な役割があるんじゃないかな」
「役割?」
「これもおじいさまの受け売りなんだけど、人はみんな、何か役割を持って生まれてくるんだって。この村に住む人達が、それぞれ得意なことを引き受けて助け合ってるみたいにね」
「そんなこと言われても私、どうすればいいのか分からない…」
不安げに声をすぼめるノイを見て、アベルはクスリと笑う。
「そんなに難しく考えなくても大丈夫だよ。毎日いろんなことをやって、いろんな人と触れ合えば、いつかきっと自分の役割や居場所が見つかるはず。少なくともここのみんなは君のことを歓迎してるよ」
「私の…居場所」
ノイは自分に言い聞かせるようにボソリと呟き、頭の中で何度もその言葉を巡らせる。
父が死んで、自分の居場所なんてこの地上から無くなってしまったと思っていた。
もう暗い海の底で、独りで生きていくしかないと。
でももしかしたらそんなことはなくて、ここで生きていく道もあるんじゃないかと、今日会った人達の顔を思い出してノイはそう感じた。
「ノイみーつけた」
「アベルみーつけた」
その時突然、目の前におかっぱ頭の双子がひょこっと顔を出してきた。
「…ひっ!」
神出鬼没な二人にまたしてもノイは飛び上がる。
クスクスと笑い合う双子の表情から察するに、おそらくわざと忍び寄って驚かせているのだろう。
アベルはそんな状況に慣れているのか、心臓をバクバクとさせるノイと違い、平然と体を起こした。
「やあ、イラとナエル。どうかしたの?」
「じいさまがみんなを呼んでるよ」
「はやくはやく」
イラとナエルはそう言いながら、どこか落ち着きのない様子で足踏みをする。
ジャリジャリと足下の砂が擦れて乾いた音を立てた。
「おじいさまが?…分かった。行こう、ノイ」
「え?う、うん!」
どうやら緊急の用があるらしいと知り、そのまま足早に駆け出した双子とアベルの背中をノイは後ろから追う。
そうして四人が村の中心にある広場に到着すると、そこではすでに大勢の村人達が集まってざわざわと何やら物々しい雰囲気を漂わせていた。
そんな群衆の前に向かい合うようにして立っていた長老メトシェラは、遅れてやってきたノイ達の到着を見るなり、ようやく重い口を開いた。
「…皆の衆、聞いてくれ」
その一声でそれまでのざわめきが嘘のように周囲は静まり返り、村人達は揃ってメトシェラの声に耳を傾ける。
薄気味悪いほどの静寂の中で、メトシェラのしゃがれた声だけが村一帯に響き渡った。
「先ほど漁から戻った者達によると、浅瀬から魚が消えたそうじゃ。おおかた昨日の嵐で深場に移動したんじゃろう。このままでは、近いうちに食料が尽きる…」
村人達の間でどよめきが巻き起こる。
無理もないだろう。
食料が無くなれば、ここにいる全員が飢え死にするのも時間の問題だ。
唐突に生死に関わる非常事態を宣告され、落ち着いていられる者などいなかった。
「…いざとなれば、自分の片足くらいなら」
「空気食って腹を膨らませよーぜ!」
「…ってことは、明日は料理当番サボってノイちゃんと遊べる!?」
※セナ、ハキム、フェトの三人は除く。
誰も彼もが冷静さを欠き、悪態をつく者、絶望に打ちひしがれる者で溢れた結果、広場を不穏な空気が支配する。
今にも爆発してしまいそうな皆の不満を一身に受け止めるかのように、メトシェラはただ静かに目を閉じていた。
そんなさなかのことである。
「みんな静かに!」
と、どこからともなく鋭い声が上がった。
皆が押し黙り、声が発せられた方を振り向く。
村人達の視線の先に立っていたのは、他でもないアベル。
彼は慌てる様子も、怒る様子もなく、風でなびいた前髪がまつ毛をかすめても、まばたき一つせずにまっすぐメトシェラの方を見つめていた。
「落ち着いて、おじいさまの話を聞こう」
静かに、それでいて強い意志のこもったアベルの言葉を受け、群衆の熱がみるみる内に引いていく。
そんな彼の隣に立つノイは、目の前の光景にただただ圧倒されていた。
ノイは今までアベルのことを単なる穏やかな青年だと思い込んでいたが、実際は違った。
彼は自分が想像してたよりもずっと、心の内に強さを秘めていたのだ。
皆の心が静まったのを感じてメトシェラは「うむ…」と頷き、話の続きを語って聞かせた。
「…それでじゃ、危険を承知の上で、今回ばかりは漁師以外の人間にも海に出て魚を捕ってもらいたい。なるべく大勢でな。それ以外、生き残るすべは無い」
村の長からもたらされた重大な提案に、どうしたものかと互いに目を見合わせる村人達。
選択の余地などありはしないと頭では分かってはいても、自ら危険な漁に参加するのは気が引けたのだ。
尻込みする大人達をよそに、誰よりも真っ先に前に出たのはハキムであった。
「なんだよ、どいつもこいつもビビりやがって。魚を捕ってくりゃいいだけだろ?戦場に行くよりよっぽどマシだぜ」
セナとフェトも視線を交わして少し考えた後、それに続く。
「…自分の足を食べるよりはいい」
「ひゃ~、泳ぐのなんて久しぶり!」
年少者達が参加を表明したことで、大人達も立場上、後には引けなくなった。
若者だけを危険な目に合わせるわけにはいかないと覚悟を決めたのか、「俺も」「私も」と、参加者は続々と増えていく。
そんな周囲の様子を見ながら、何か言いたげにもじもじと体を揺らすノイに、アベルが気付く。
「………」
アベルは何も言わず、ノイの背中をそっと手で後押しした。
突然の出来事にノイはビクッと振り返り、驚いてアベルの眼を見る。
しばらくの間無言で見つめ合う二人。
だが言葉を交わさなくとも、その意図はしっかり伝わっていた。
「…わ、私も!」
それまで沈黙を貫いていたノイが急に喋ったことで、村人達は一斉に彼女に好奇の目を向ける。
突き刺さるような無数の視線に、思わずひるんでしまうノイ。
穴があったら入りたいとはまさにこのことで、本当はアベルの後ろに隠れたくて仕方なかった。
でも、それではだめなのだ。
自分の役割を果たし、居場所を勝ち取るために、ノイは必死に声を絞り出す。
「私も…一緒に手伝う!」
昨夜の様子から打って変わり、目覚ましく成長した孫の姿を見て、フッとメトシェラが微笑んだ。
メトシェラだけではない。
その場にいる誰もが、新たに家族として加わったノイの力強い意志に触れて、心から喜んでいた。
「そうこなくちゃな!俺らで力を合わせて、一狩り行こうぜ!」
感極まったのか、ズカズカと人混みを掻き分けてやってきたハキムがノイの肩に手を回す。
セナとフェトもさりげなくその隣に立った。
「…狙うは大物」
「みんなで魚捕り競争だー!」
そんな少年少女達の和やかなやりとりは、あれほど強く渦巻いていた絶望を希望へと変えて、皆の険しい顔に笑顔を咲かせていく。
「………」
そんな輪の中心に立つノイの照れたような笑顔に、アベルはどこか遠いものを見るような目をして、長いまつ毛を伏せた。




