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方舟のノイ  作者: 刹那
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第三話【荒波に逆らって】


「おいレメク、一体どうするつもりだ!?」


どしゃ降りの雨の中。

険しい表情でロープの束を抱えて出てきたレメクに、漁師仲間らが詰め寄る。


「今ならまだ救える命もある」


「な…この海を泳いでいくつもりか!?自殺行為だぞ!」


激しく打ち寄せる波の飛沫を受けながら血相を変える一同。

皆が言うように、この天候では泳ぐどころか海面に浮き上がることさえ困難だろう。

さしずめ火に飛び込む虫に等しい。

だが無謀と知りつつもレメクは手を止めなかった。

ロープを岩場に固定し、ぎゅっと自らの腰に結びつける。


「…仮に失敗しても死ぬのは一人だけだ。もしそれで多くの命を救える可能性があるなら、迷う理由がどこにある」


「よせっ!!」


皆の制止を振り切り、レメクは意を決して荒れ狂う大海に飛び込んだ。

途端に情け容赦無い波が、彼の全身をさらう。

四方八方からぐねぐねと不規則に襲いくる高波。

息継ぎもままならない中、レメクは熟練の経験と勘で波のうねりを読み、凄まじい勢いで突き進む。

それは一歩でも足を踏み外せば命を落とす地雷原を走り抜けるようなもの。

そんな緊張下においても彼はどこまでも冷静に道筋を導き出し、沈没船から漂流してくる大きな荷物や木片などを途中で見つけては、それらにロープを巻き付けて浮き輪代わりの中継地点へと変えた。


船が近付くにつれ、増していく漂流物。

その中には人の姿もあった。


「おいっ!大丈夫か!?」


レメクがその人物の腕を掴むも、反応はない。

呼吸をしておらず、すでに息絶えていた。


「…クソッ」


やむなく死体から手を離し、気持ちを切り替えて他の漂流者を探す。

助けて!と声が聴こえた気がした。

右を向くと、少し離れたところで二人の男が木片にしがみついて浮いているではないか。

肌が白いので漁師ではなく、高地の連中が漁の見張りとして乗船させた兵士だろう。

しかし、レメクにとってそれは彼らを見捨てる理由にならない。

命は皆平等だ。

合流したレメクは二人にロープを掴ませる。


「このロープを辿って行けば陸に着く。掴みながら泳ぐんだ!」


「た、助かった…」


感謝を告げて泳ぎだす二人。

だが漂流者はまだまだ大勢いる。

波に揉まれて浮き沈みするいくつもの体は、はたしていつまで息をしていられるだろうか。

この波の中、全員のもとに向かうのはどう考えても不可能だった。


「ロープを持ってきた!皆このロープを辿れ!!」


レメクが叫ぶ。

せめて希望がここにあることを示したかったのだ。

幸か不幸か、その声は一帯の漂流者の耳に届き、最後の力を振り絞るきっかけを与えた。

それぞれが死にものぐるいで泳ぎ、こちらへと向かってくる様子に安堵するレメク。

しかしその安堵はすぐに絶望へと変わることとなる。


助けて…

助けて…

助けて…


溺れながら意識も絶え絶えに到達した漂流者達は、血に飢えたゾンビの如くレメクの体に一斉に群がり、我先にとロープへしがみついたのだ。


「っ!?」


無数の手が救いを求めてレメクを掴む。

彼を浮き輪代わりにして沈める者、溺れる自分の代わりに海中に引きずり込もうとする者で溢れた結果、レメクの腰からロープが外れた。

必死にロープを掴もうとするも漂流者が体に纏わりついているせいで自由がきかず、もはや海面に浮上することすらできない。

口から吐く息はブクブクと泡に変わり、大量の塩辛い海水が喉に流れ込んでくる。

飛びかける意識の中、レメクは死を覚悟した。


『父さん』


不意に娘の顔が走馬灯のように浮かぶ。


(ノイ…)


そこにはいない娘に向かって手を伸ばし、暗い海の底へ沈んでゆくレメク。

もはやここまでだ。

しかし諦めかけたその時、突如としてその手を握る者が現れた。


(父さん!)


ノイである。

レメクの言いつけを破り、ロープを辿って一人でここまで泳いできたのである。

ノイはどうにかレメクを海面まで持ち上げるも、彼の体はぐったりと重く、泳ぐ余力も残っていない様子だった。


(絶対に死なせない!)


レメクを背中に乗せ、ノイは自らが浮き袋代わりとなって必死に波をかき分ける。

渦巻く荒波のせいで、ロープどころか陸地の方角すら見失いそうになりながらも、ノイは父を死なせたくない一心で前へ前へと突き進んだ。




漁師の誰もが転覆した船に釘付けになっている中、嵐に紛れて百人近い武装集団が海岸目指しジリジリと進軍していた。

その中心でただ一人、馬に跨り誰よりも高い位置から周囲を見渡す人物が。

カインである。

部下から双眼鏡を受け取ったカインは、レンズ越しに転覆している漁船を見てチッと舌打ちする。

積み荷は無残にも波にさらわれ、もはや誰の目にも回収不可能な状態にあることが分かった。

その一方で長いロープが海を縦断し、それに掴まって船員達が蟻の行列のように次々と陸地へと這い上がっていた。


「…なんだ、あのロープは?」


この嵐の中、あのロープを海に張った者がいる。

その事実にカインは驚きを隠せなかった。

誰がやったのか、漁船の周囲を注意深く観察するカイン。

するとロープから少し離れたところで、異様に速い速度で陸地に向かって泳ぐ男の姿を見つけた。

しかしどう見てもその男は手足を動かしていない。


「あれは…」


波が引いた一瞬、男の下に少女の姿が見えた。

か細い少女が大の男を背負って泳いでいるのだと気付いて、カインの目が見開く。

カインが見ているとも知らず、ノイは水面に顔を出すことも忘れ、無我夢中で泳ぎ続けていた。

そして体力ももはや限界に近い中、とうとうノイの手が海岸のふちを掴んだ。


「レメクが戻ったぞ!」


漁師の一人が声を張り上げたことにより、大勢が集まってきてノイとレメクをずりずりと海から引き上げる。


「お前さん、一体どうやって…」


命綱も無くレメクを抱えて生還したノイを、皆は信じられないといった目で見る。

そしてレメクもまた、彼女の凄さを目の当たりにして驚きを隠せない。


「…お前に命を救われたな、ノイ」


まだ意識を朦朧とさせながらも、抱きついてきたノイを優しく受け止めるレメク。

パチパチと、どこからともなく拍手が鳴った。

誰かが祝福をしてくれているのだろうか。

しかし、真っ先にその存在に気付いた漁師の顔からサーッと血の気が引いた。

ガクガクと足を震わせ、恐る恐るそちらの方角を指差す。


「おい、見ろ…!」


振り向いた者から順に笑顔が消え失せ、恐怖に染まっていく。

なぜなら拍手を送っていたのは漁師仲間の誰でもなく、ここにいるはずのない男、カインだったからだ。



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