第二十六話【審判の刻】
同時刻。
突然揺れ始めた大地に驚き、眠っていた低地の民達が目覚めた。
海岸沿いに乱立する家々の中から続々と出てきて、互いに一体何事かと尋ね合う。
そんな中一人の子供がペタペタと裸足で海の方へと歩んでいったかと思うと、無言で指を向けた。
「…どうしたの?」
駆け寄ってきた母親がその指の先を見て驚く。
沖の方で見たこともないほど巨大なキノコ雲が、夜明け前の微かな朝日に輪郭を照らされて空へと立ち昇っていたのだ。
異変はそれだけではない。
潮がみるみる引いていき、普段は沈んでいる海底遺跡の一部までもが顔を出している。
ただごとではない事態に不安を覚えながら海を眺めていた民衆は、ふと沖から押し寄せる波に気が付いた。
最初は小さな波だと思っていたそれは、沿岸に迫るにつれて次第に大きくなっていく。
およそ数百メートルにも及ぶ史上最大の津波。
膨大な量の海水が空まで届きそうなほど高い壁となって、地球上の全てを飲み込むべく陸地に押し寄せてきたのである。
低地の民にとって、それはまさしく世界の終わりを目にするに等しい絶望だった。
「みんな逃げろー!!」
皆は悲鳴を上げながら散り散りになって高地へと避難を始めるが、もはや手遅れだった。
沿岸に到達した津波は手当たり次第に木々をなぎ倒し、住居を押しつぶし、人間を沈めながら猛烈な勢いで陸地を飲み込んでいく。
その勢いはとどまることを知らず、瞬く間に高地にまで到達した。
「門を閉じろ!」
迫りくる津波を目撃した見張りの台の兵士達が大急ぎで跳ね橋を上げる。
橋が上がりきった直後、波がサバンと外壁に当たって町全体を恐ろしげに揺らした。
その衝撃で見張り台から落下する兵士。
そして外堀の溝に海水が溜まりきったと同時に町
は水面に持ち上がり、その役割を方舟へと変貌させたのであった。
「…っ!?」
突発的な揺れに、塔の最上階にいるノイ、アベル、カインは衝撃をもろに受けて、例外なく壁に強く体を打ちつけた。
ぶつかった衝撃で大鉈を落とすアベル。
「しまった…!」
アベルは慌ててそれを拾おうとしたが、カインがすかさず大鉈を踏みつけ、彼の顔を蹴り飛ばした。
「アベル!」
悲鳴を上げるノイの目の前でカインが大鉈を拾い上げ、それをアベルに向かって躊躇なく振り下ろす。
「くっ…」
とっさに転がってその一刀を避け、アベルは倒れた机の裏に隠れた。
ガッ、ガッ、と机の縁を何度もえぐりながら、刃が徐々にアベルへと迫る。
「さっきまでの威勢はどうした?俺を殺すんじゃなかったのか!?」
威圧するようなカインの言葉に萎縮しそうになりつつも、アベルは諦めることなく周囲を注意深く観察する。
(どこかに武器になりそうなものは…)
ここでふと、先ほど殴られた際に自分の胸ポケットから落ちたナイフの存在を思い出し、近辺に目を這わせる。
すると案の定、少し離れた場所にナイフを見つけた。
アベルはすかさずポケットから金貨を取り出し、それを思いきりカインの顔に向かって投げつけた。
「ぐっ…!」
死角になっていた左眼の傷に金貨が命中し、さすがのカインも一瞬怯んだ。
アベルはその隙に机の裏から飛び出して、落ちていたナイフを拾い上げる。
「ふん、そんな小さなナイフで俺に勝つつもりか?」
「重要なのは武器の大きさじゃない」
「ほざけ!」
叫びながら大鉈を振りかぶるカイン。
その瞬間、アベルはカインの顔めがけてナイフを全力で投げた。
「!?」
カインの眼前に回転する刃が迫る。
だが…
「二度も同じ手が通用すると思うな!」
寸前のところでそれを回避され、ナイフは後ろの壁に突き刺さった。
武器を失い無防備になってしまったアベルに、ジリジリと距離を詰めるカイン。
「父さん、やめて…」
もはや命乞いをすることしかできないアベルに対し、カインの答えは無情なものだった。
「父などと呼ぶな。血の繋がりも無いお前を、息子だと思ったことなど一度たりともない!」
首に向かって振り下ろされた大鉈を避けきれず、刃がアベルの肩をえぐって骨で止まる。
「ぐっ…ああぁあ!」
激痛に身悶えながらも、これ以上深く斬られぬようカインの腕を両手で掴むアベル。
致命傷こそ避けたものの、刃がめり込んだ肩からはボタボタと赤い鮮血が落ち、これ以上戦いを続けることは不可能だった。
「せめてとどめを刺してやるから手を離せ。抵抗しても無駄に苦しむだけだぞ」
「…いいや父さん。僕はコロシアムで大事なことを学んだんだ。最後まで決して諦めないこと。そして…」
不意に、背後から聴こえた物音にカインは嫌な予感がした。
(まさか…!)
「仲間を信頼することをね」
振り向いたカインが目にしたのは、ノイがナイフを構えてこちらに走ってくる姿であった。
アベルはカインを狙ってナイフを投げたのではなく、ノイに渡すために意図的に壁に刺したのだ。
ノイの攻撃を避けようとしたカインだったが、その腕をアベルが必死に掴んで逃さない。
そして…
「くっ…!」
ノイの持つナイフが、カインの右腕に突き刺さった。
グッとナイフを押し込んだまま動きを止めるノイ。
カインの手から離れた大鉈が床に落ち、ガシャンと派手な音を立てる。
「…なぜ」
アベルとノイに挟まれて動きが封じられているものの、まだ自分が生きていることに驚きを隠せないカイン。
「なぜ急所を外した?…殺すこともできたはずだ」
それはアベルにとっても想定外のことであった。
ノイがカインの心臓にナイフを突き刺し、それで全てが終わるはずだったのだ。
両者の疑問に対し、ノイは驚くほど穏やかな声で答えた。
「あなたが私の父さんを殺さなかったから。…それに、どんなにひどい人だとしても、アベルのお父さんなんだもん」
「……ノイ」
彼女の答えを聞き、何も言えなくなるアベル
と、その時である。
突然外からドンッ!と爆発音が鳴り響いたかと思うと、町中の全ての明かりが同時に消えた。
長い火災の末に、発電所が大爆発を起こしたのである。
その爆発はあろうことか方舟を真っ二つに割り、大量の海水が町に流れ込んできた。
徐々に傾く地面が、沈没を予感させた。




