第二十二話【餌に釣られて】
コロシアム開催の三時間ほど前。
レジスタンスの仲間達が全員高地の連中に捕らえられた直後、何とか逃げ出すことに成功したイラとナエルは急ぎ足で村の近くの海岸へとやってきていた。
目的は、昼間に漁をした際に海沿いに仕掛けたまま放置していたカゴ罠である。
「お魚入ってるかな?」
「たくさん入ってるかな?」
二人で一緒に縄をたぐり寄せ、大きなカゴを海から引き上げる。
ドサッとカゴを陸地に置いて中を確認すると、幸運なことに数匹の小魚がピチピチと跳ねていた。
「お魚とれたね」
「ちょっとだけどね」
魚が入っていることが分かると、二人は中に魚を入れたままカゴを担ぎ、ついさっき来た道を戻り始めた。
パタパタと軽快な子供の足音が、虫の鳴く音と共に静かな夜道に響く。
しばらくして目的地に到着した二人は、息をハァハァと息を切らせながら立ち止まった。
覚悟の上とはいえ、どうしてもその場所を前にすると恐怖で足がすくむ。
何故ならそこは、ついさっき命からがら抜け出したばかりの、捨人達が潜む洞窟の出口だったからだ。
穴の中には僅かな月明かりさえ届かず、ただただ真っ暗な闇がどこまでも続いている。
「…いくよイラ」
「…そうだねナエル」
「「みんなのために」」
イラとナエルは互いの手を強く握りしめ、スゥーと大きく息を吸い込むと同時に、洞窟に向かって大声を浴びせかけた。
「おーい捨人ーー!」
「やーい捨人ーー!」
二人の声が洞窟の壁を反響しながら奥へ奥へと進んでいき、やがて闇に溶けて消える。
しかしそれに対して洞窟内からは返事どころか、コウモリの羽音すら返ってはこない。
ならばもう一度と再び大声を出そうとして、二人は思わず吸い込んだ息をゴクリと飲み込んだ。
洞窟の奥からギラギラと光る二つの眼が浮かび上がってきたからである。
よく目を凝らすと、多くの影がもぞもぞ蠢いているのが見て取れる。
二人は握り合う手のひらの内側がジワリと汗でベタつくのを感じた。
「…儂らの姿を見て今まで戻ってきた者はいない。お前達、なぜ戻ってきた?」
洞窟から出ることなく、闇に紛れたまま不思議そうに問いかけてくる捨人。
「お魚をもってきたよ」
「みんなにあげるよ」
イラとナエルはそう言って、魚の入ったカゴを突き出す。
「なに、魚!?」
よこせっ!と洞窟の中から手が伸びてきたため、奪われないよう慌ててカゴを引っ込める二人。
「ただではあげないよ」
「約束してほしいことがあるよ」
「約束だと?…なんだ、言ってみろ」
「みんなを助けてほしいの」
「高地に連れていかれたの」
その提案にしばらくの間沈黙する捨人達。
ややあって、洞窟の中からゲラゲラと大勢の下品な笑い声が漏れ出てきた。
「ふんっ、馬鹿馬鹿しい。たかが魚のために殺されに行けと言ってるようなものじゃないか」
「お魚いらないの?」
「おいしいお魚だよ」
イラとナエルは蓋を開けてわざと魚を見せびらかす。
カゴの中から磯の香りが放たれ、捨人の鼻腔をくすぐる。
無意識のうちにダラダラと垂れるヨダレを拭い、捨人は顔をしかめた。
「…いいからさっさとそれを置いてどこかへ行ってしまえ。さもないとお前達を代わりに喰ってやるぞ」
「もしかして怖いの?」
「ここから出るのが怖いの?」
「…うるさい」
「これからもずっとここにいるつもりなの?」
「死ぬまでずっとここにいるつもりなの?」
「うるさいっ!!」
ガアァッと猛獣の如き唸り声を放ちながら、突然捨人が洞窟を飛び出して双子の首根っこを掴み上げた。
月明かりが灰色の肌を照らし、白銀に輝く。
何年、いや、何十年も触れることのなかった光を全身に浴びて、捨人は思わず空を見上げた。
濁ったその瞳にキラキラと大きな満月が映り込むが、本人はうっすらとした光を感じ取れるだけで、それを鮮明に見ることは叶わない。
しばし月明かりに見惚れていた捨人は、手の中でもぞもぞと苦しそうに動く双子の感触に呼び戻されてハッと二人の方を向く。
「洞窟から…出られたね」
「やっと…出てこれたね」
「…儂らだって好きでこんなところに棲みついてるわけじゃない。それもこれもすべて高地の連中のせいだ」
「復讐しないの?」
「復讐しようよ」
「!!」
左右から双子の囁きが耳の奥に入り込み、ゾワゾワと鼓膜を揺さぶってくる。
捨人はたまらず手を放して二人を地面に下ろした。
「復讐だと?勝ち目のない戦いを挑んだところで、それを果たすことはできん。無駄死にするだけさ」
「ここで暮らしてても、いつかは死んじゃうよ」
「ずっと逃げ続けても、いつかは死んじゃうよ」
「うるさい…うるさい!」
「わたし達といっしょに行こうよ」
「わたし達といっしょに戦おうよ」
イラとナエルは頭を抱える捨人を挟み込むようにして左右に立ち、ここぞとばかりに言葉を投げかけ続けた。
「それとも暗いところで一生かくれ続けるの?」
「コウモリみたいにかくれ続けるの?」
「違う、儂は…儂は…」
「ねぇ、あなたはカイブツ?」
「それともニンゲン?」
「………」
* * *
高地の町の壁際に併設された見張り台の上で、一人の兵士が大きなあくびをした。
「ふぁぁあ、眠い…」
「おいおい、さっき交代したばかりじゃないか」
「仕方ないだろ、眠いもんは眠いんだから。だいたいこんな時間に見張りなんて意味ないと思わないか?今まで野良犬一匹通ったことすらないのによ」
「こうしてるだけでエデンの住人として生きられるんだから、文句はないさ」
「真面目だねぇ」
そんな他愛のない会話をしながら壁の外をぼんやりと眺める兵士二人。
暇潰しにサーチライトの動きを目で追ってみても、照らし出されるのは相変わらず草木や土ばかりで何の面白味もない。
しかし永遠にも思えたその退屈な時間に、変化は突然訪れた。
「おいっ、見てみろ!」
「…ん?」
サーチライトの下に、人間の幼女らしき姿が照らし出されたのだ。
しかも二人。
まるで鏡を合わせたように瓜二つの双子である。
「おなかすいたー」
「食べ物ちょうだい」
双子はこちらに向かってそんなことを言いながら、駄々っ子のようにピョンピョンと門の前で飛び跳ねている。
「低地のガキか…。いい暇潰しになりそうだ」
兵士はニヤリと下卑た笑みをこぼし、跳ね橋を下ろすためのレバーに手をかけた。
「おい何のつもりだ!許可なく橋を下ろすことは許されないぞ!?」
もう一人が慌てて止めに入るが、その兵士は悪びれることなくヘラヘラと薄ら笑いを浮かべる。
「じゃあ規則通り、侵入者は高台からボウガンで撃ち殺せってか?」
「それは…」
「いいからお前は黙ってろ。俺がうまく追い払ってやるからよ」
「…ちっ!」
双子の目の前で、ジャリジャリと鎖が重苦しい音を立てながら跳ね橋が下りた。
兵士はズボンのベルトに手をかけながら橋を渡って双子へと近づく。
「よおガキども。とりあえずそこに並べ。食い物よりも、もっといいもんやるよ」
カチャカチャとベルトを外す兵士の前で、イラとナエルは互いに目を見合わせてフフフと笑った。
「食べ物が来たね」
「おなかいっぱいになるね」
「あん?食い物なんかねーっつってんだろ」
「食べ物はあるよ」
「ここにあるよ」
「「おじさんが、食べ物になるんだよ」」
「…は?」
言葉の意味が理解できず聞き返した兵士は、ここでふと背後から何者かの気配を感じて恐る恐る振り向く。
目の前に、口を大きく開けるおぞましい灰色の顔があった。
「ひっ!?」
ぎゃああああ!と闇夜を切り裂く絶叫が耳に刺さり、もう一人の兵士が慌てて橋の方を見ると、外に出た兵士が捨人に押し倒されて貪り喰われているところであった。
しかもそれだけにとどまらず、闇の中から何十、何百といった捨人の大群が突如として姿を現し、こちらに向かって凄まじい速度で迫ってきているではないか。
「冗談だろ…!?」
すぐに警報ボタンを押して橋を上げようとした兵士だったがとても間に合わず、彼の姿は悲鳴と共に捨人達の波に押し潰されて見えなくなった。
「めざせ楽園ー!」
「とりもどせ仲間達ー!」
先頭をゆく捨人に肩車されながら、イラとナエルが正面を指さして声高らかに皆を先導する。
こうして双子と捨人達は共闘関係を結び、囚われの身となった仲間達を救うべくエデンへと乗り込んだのであった。
* * *




