第二十一話【命乞い】
周囲の敵を見回しながら剣を構えるハキム。
右、左、後ろ、どこを向いても敵からの突き刺さるような眼差しが視界に飛び込んできて、背中を冷たく濡らした。
「いいかみんな、焦らず作戦通りにやるぞ。それぞれ正面の敵に集中するんだ」
「正面の敵…」
言われて正面を見るフェト。
彼女の目の前にはよりによって兵士達の中で一番屈強そうな力士体型の大男がどっしりと身構え、トゲのついた鉄球をブンブンと振り回していた。
「待って待って!?あんなの無理に決まってるじゃない!!セナ、場所変わってよ」
セナがチラリと一瞥すると、目が合った大男が「デュフフ…」と不気味な含み笑いを発して、ゾゾゾと背筋に悪寒が走った。
「…キモいからやだ」
「は、薄情者ーっ!」
「ウォオオ〜ッ!」
悪口を言われて怒ったのか、大男がいきなり雄叫びを上げて巨大な鉄球を振りかぶる。
「ひぃっ!」
バキッ!と激しい音が一帯に響いた。
とっさに攻撃を防いだフェトだったが、その衝撃をもろに受けた結果木の盾は砕け、彼女自身も後ろに弾き飛ばされてしまった。
「フェト!」
一番守りの弱いフェトにあえて大男をぶつけることで陣形に穴を空け、その隙をついて殲滅する。
まさにそれこそが敵の狙いであった。
鉄壁の守りが崩れるや否や、待ってましたと言わんばかりに全方向から兵士達が同時に襲いかかる。
「終わったな」
高みの見物をしているカインがつまらなさそうに溜め息を吐く。
「クソがぁあ!」
ハキムは悪態をつきながら正面の兵士を斬り捨てるも、新たな敵が次から次へと彼の前に立ちはだかり、仲間の援護どころではない。
レメクとセナも必死に攻撃を受け止めながらその場に踏みとどまっていたが、防戦一方な彼らに対して兵士達は強引に攻め込み続ける。
全滅は時間の問題だった。
盾を失ってよろけるフェトに向かって、大男が再び鉄球を振りかぶる。
盾を失った彼女に、もはや防ぐ術はない。
『兵士達による容赦無い猛攻に、テロリスト達は手も足も出ない!もはやこれまでか!?』
「…っ!」
仲間の死を見るのが怖くて、ノイはとっさに顔を背けた。
ギュッと目を閉じて視界を遮断し、耳から入る音だけに意識を集中する。
しかしいつまで経っても悲鳴や歓声といったものが上がることはなく、むしろあれほど賑わっていた民衆の声がしぼんで小さなざわめきへと変わるのが分かった。
『なんだなんだ?突然鉄球を持った兵士の動きが止まったぞ』
「…?」
戸惑う実況を聞いて、一体何が起こっているのだろうかとノイは恐る恐る目を開けた。
すると視界に飛び込んできたのは仲間達の屍などではなく、大男が手を振り上げたまま鉄球をズシンと足下に落とし、動きを止めている姿だった。
ずっと観戦していた民衆やステージ上の兵士達ですら状況を理解できておらず、皆の意識がその一点に集中する。
やがてポタポタと赤い血が大男の胸から流れ落ちているのにノイは気付いた。
細長い剣に心臓を貫かれ、大男は立ったまま絶命していたのだ。
剣を突き刺したのはハキム…ではなく、それまでずっと仲間達に囲まれて姿を隠していたはずのメトシェラ。
彼が歩くために持っていた杖は、刀身を中に隠した仕込み杖だったのである。
「…切り札は取っておくものじゃな」
メトシェラが大男の胸から剣を引き抜くと、その巨体がドサッと地面に倒れた。
『な、な、なんということだ〜!剣を持っていたのは一人だけではなかった。こんな展開、一体誰が予想できただろうか!?』
「…ハッ、とんだタヌキジジイだな」
呆れ果てるカインを横目に、ホッと安堵の息を吐くノイ。
メトシェラの一突きは、反撃を全く想定していなかった兵士達の間に激しい動揺をもたらした。
冷静に考えれば剣を持った手負いの老人が一人増えたところでどうということはないのだが、ハキムにばかり気を取られていた全員にとってそれは、いきなり後頭部を殴られるに等しい衝撃であった。
互いに目を見合わせて思考停止している兵士達を、ハキムの剣が襲う。
瞬く間に二人が首を斬り落とされ、あれほど数で圧倒していたはずの兵士達もこれで残りは五人となった。
「くっ、こんなはずじゃ…!」
パニックに陥った兵士達は死に物狂いで剣を振るうが、冷静さを欠いた今や防御に徹したレメクやセナですら打ち倒すことができない。
盾に向かってがむしゃらに攻撃する兵士を、横からハキムが次々に仕留めていく。
『あと四人…三人…二人…。これはまさか、まさか⋯!』
「いっけーーー!」
奮闘する仲間達を後押しするように、ノイが叫ぶ。
「あと一人!」
ついにステージに立つ兵士も残るは一人となり、返り血で全身が真っ赤に染まったハキムが鬼の形相で飛びかかる。
「こ、降参するっ!」
その鬼気迫る勢いに押されて完全に戦意喪失した兵士が、剣も盾も投げ捨ててその場にひざまずいた。
しかしすでに大勢を殺し、頭に血が上りきったハキムは止まらない。
「今さら遅え!」
「ひっ⋯!」
もはや勝利は目前に思えた、その時である。
「パパーッ!」
この日、三度目の悲鳴が闘技場に響いた。
その声にハッとして、ハキムは振り返る。
すると一人の幼い少年が観客席で立ち上がって、泣きそうになりながらこちらを見つめているではないか。
それが兵士の息子であると瞬時に理解したハキムの手が、剣を振り上げたまま制止する。
真っ赤な剣の刃先からポタポタと流れ落ちた雫が、兵士の頭を汚した。
「どうしたのハキム?早くやっつけ⋯」
急かすフェトの口元に、セナが指を当てて言葉を遮る。
『波乱に満ちた試合もいよいよクライマックス!さあ、あとはその闘いを放棄した愚かな兵士にとどめをさせば勝利は君のものだ!』
「殺せー!」と、どこからともなく声が上がる。
その一言を引き金に、やがて民衆のコールが大合唱となって闘技場全体に反響した。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
そんな熱のこもった人々の合唱とは対照的に、あれほど昂っていたハキムの心はむしろ急速に冷静さを取り戻していく。
ずっと仲間を守るために闘っていたつもりだったのに、結局のところ自分は大勢の民衆を楽しませるために無意味な人殺しをやっていただけなのだと、ここにきてようやく気付いたからだ。
特等席からこちらを見下ろすカインが、ニヤリと笑みを浮かべていた。
ハキムが無防備な兵士を殺す瞬間を待ち望んでいるのだろう。
「⋯バカバカしい。これ以上こんな奴らに付き合ってられるか」
ハキムは人知れずそう呟くと、あろうことか剣を捨てて兵士に背を向けたではないか。
「!?」
彼の取った行動に対してカインが立ち上がり、声を荒げて怒りを露わにする。
「闘いを放棄することは許さん!今すぐ互いに武器を取れ!」
「やなこった。どいつもこいつも安全な場所でいい気になりやがって。そんなに血が見たけりゃ相手してやるからお前が下りてこいよ!」
チョイチョイと手招きをしてカインを挑発するハキム。
それを受けたカインは歯ぎしりをして、どこかへ向けて右手をクイッと動かした。
その動作はまるで何かの合図に思えた。
ノイがカインの視線の先を目で追うと、観客席で待機していた近衛兵達の存在に気付く。
彼らは揃ってボウガンを構え、ステージ上に狙いを定めていた。
「だめっ!」
ノイが叫んだ直後、無数の矢がハキムから離れた場所で固まっている仲間達へと放たれた。
ノイの声で矢の存在に気付いたセナとレメクは反射的に盾で受け止めたが、無防備なフェトとメトシェラには防ぐすべがない。
避けることのできない死が、残り一秒の位置に迫る。
「いかん!」
矢が到達する直前、メトシェラがフェトの体を押しのけて前に飛び出した。
皆の目の前で、降り注ぐ矢が次々と彼の体中に突き刺さり、その命を奪い去る。
「…フンッ」
矢がメトシェラに命中したのを見て、カインが待ての合図を送る。
近衛兵達からの攻撃が止むなり、レメクが真っ先に駆け寄って地面に倒れたメトシェラの体を抱き起こした。
「親父!」
体のいたるところに矢が刺さったメトシェラは、レメクの呼びかけにうっすらと目を開き、今にも止まってしまいそうなほど弱々しい息を吐いた。
他の仲間達もすぐに集まり、しゃがみ込んで泣きそうな目で彼のことを見つめる。
「じいさまが、俺のせいで…」
「…ハキムのせいじゃない」
「死なないでじいさまっ!」
各々の呼びかけにも応えず、メトシェラはもはや何も視えていないのか、誰の方を向くでもなく必死にかすれた声を振り絞った。
「…ノイを…頼んだぞ。あの子だけが…唯一の…希望……」
その言葉を最期に、ずしりとした重みがレメクの腕にのしかかり、メトシェラはぐったりと身を沈めた。
全身にジワリと血が滲み、鼓動が止まったのを感じたレメクはそっと彼の体を地面に寝かせ、開いたまま動かなくなったまぶたを手で閉じる。
そこには騒々しい実況も、民衆の歓声もなく、ただただ重苦しい沈黙だけが支配していた。
「おじいさま…」
これまでずっと無表情だったアベルの瞳が微かに揺らぐ。
「そんな…おじいちゃんが…」
祖父の凄惨な死をまざまざと見せつけられ、ショックのあまりノイも言葉を失う。
そんな湿り気を帯びたノイの声を気にする素振りもなく、カインが再びハキム達に対して声を投げかけた。
「闘いを放棄する者に生きる資格はない。敵を殺して生を勝ち取るか、全員仲良く死ぬか選べ!」
メトシェラの死を悼む暇さえ与えられず、失意の一行は身を寄せ合い、互いに潤んだ視線を交わして頷く。
皆の考えることは同じだった。
すっくと立ち上がってカインと向き合った一行は、盾すらも手放し、全員堂々とした態度で親指を下に突き出したのである。
「死んでもてめーの指図なんか受けねーよ」
「…今は無理でも、来世で必ず復讐する」
「あんたから貰う人生なんて、こっちから願い下げだもんねー!」
死を覚悟したレジスタンスの決意表明に対し、今まで無言を貫いてきたアベルが急に特等席から身を乗り出して声を荒げる。
「みんな父さんの言うことを聞くんだ!せっかく生き残ってエデンの住人になれるのに、こんなの無駄死にじゃないか」
アベルの必死の説得にも迷うことなく、ハキムは真っ直ぐに彼の目を見て答える。
「俺は無駄死によりも、信念曲げてまで無駄に長く生きる方が嫌だね。そういうお前はどうなんだよアベル。村を捨てて、仲間を裏切ってまでしがみつきたいほどそこは居心地がいいのか?」
「………」
「もういい、この馬鹿どもを皆殺しにしろ!!」
何も答えられないアベルを見かねて、これ以上は時間の無駄と判断したカインが無慈悲な命令を下した。
合図を受けて再びボウガンを構える近衛兵。
「…強く生きろ、ノイ」
死を目前にしてまっすぐにこちらを見るレメクと目が合い、ノイは声にならない声で叫ぶ。
「やめてーーっ!」
ノイの叫びも虚しく、近衛兵達はボウガンの引き金にググッと力を込めた。
その時である。
突然、町全体に非常事態を知らせるけたたましいサイレンが鳴り響いた。
「!?」
誰も彼もが一体何事かと戸惑い、手を止めて周囲をキョロキョロと見渡す。
それから程なくして「ギャーッ!」と、どこからともなく誰かの悲鳴が上がった。
「一体何事だ!?」
すぐさま壁にかけてあった双眼鏡を手に取り、悲鳴の方角を確認するカイン。
すると観客席の一角で、民衆の一人が何者かに襲われている光景が目に飛び込んできた。
手当たり次第に民衆に飛びかって人肉を喰らう“それ”は、人の形こそしているものの、何も服を着ておらず、体毛すら生えていない灰色の肌をした不気味な生き物であった。
「そんな馬鹿な…!」
それは本来ここにいるはずのない存在、高地から遠く離れた洞窟の奥深くに潜む捨人に他ならない。
カインがその正体に気付くと同時に、観客席の入口から大勢の捨人達がわらわらと闘技場内部になだれ込んできたではないか。
突如として出現したおぞましい生き物を前に民衆はパニックに陥り、蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。
「なあ、あれってもしかして…」
「…捨人!?」
「嘘でしょ!?どうしてこんなところに捨人がいるのよ!?」
民衆が次々と貪り食われる光景を目の当たりにし、洞窟でのトラウマが蘇ったハキム達の間にも緊張が走る。
『みんな、慌てず落ち着いて避難するんだ!すぐに警備の兵士達が駆けつけて………ん?なんだ…うわっ!うわあぁあぁあああ!!』
スピーカーから発せられる実況が阿鼻叫喚に変わって急に途絶えたかと思うと、しばらくしてさっきまでとは別の人物の声が流れ始めた。
『…エデンの民よ、儂らのことを覚えているか?』
そのしゃがれた低い声に、レジスタンス一行は聴き覚えがあった。
洞窟で自分達に話しかけてきた捨人の声である。
『かつてお前達は傲慢にも、自分達が享受する贅沢のためにこの楽園から儂らをゴミのように捨てた。人であることを捨てた儂らの望みは今やただひとつ。復讐だ。今度はお前達が儂らと同じ絶望を味わうがいい…』
捨人による恐ろしい演説が一帯に響き渡り、闘技場は恐怖の渦に包まれた。
…かに思われた直後。
『ふくしゅうだー!』
『そうだそうだー!』
マイク越しの声が、まるで緊張感のない幼女二人のものに切り替わった。
「この声…」
聴き慣れた仲間の声に、ノイの顔がパァッと綻ぶ。
『…あの、お嬢ちゃん達。儂がせっかく良い感じの雰囲気を出したのに、これじゃあ台無しじゃないか…』
『みんなー、イラだよー』
『ナエルだよー』
『『助けにきたよー!』』
「イラ!ナエル!」
絶望が支配するこの状況下において流れたそんな呑気な実況は、諦めかけていたノイ達の心を再び奮い立たせ、一筋の希望をもたらした。




