第二十話【無双】
「…なんだ、相手はたったあれだけか?」
闘技場のステージに立つ十二人の兵士達の内の一人が、目の前に並ぶ相手を見て肩の力を抜いた。
「五人のうち女が二人に、老いぼれが一人。しかも全員怪我人とか楽勝じゃねーか」
カインの船を沈めるという大罪を犯し、コロシアムに参加させられることが決まった時には死を覚悟したものだが、いざ蓋を開けてみれば負ける要素の見あたらない闘いに参加させられただけ。
はっきり言って拍子抜けもいいところだ。
先ほどまで恐怖に打ち震えていた兵士達の間にも、いつしか薄ら笑いが漏れるほどの余裕が生まれていた。
「実質、剣を持った男だけ倒せば、あとはいたぶり放題。こんなコロシアム観たことあるか?」
男の問いかけに、他の兵士が答える。
「きっとこれはカイン様からの粋な計らいだろう。船を沈めた俺達を処罰しないわけにはいかないから、コロシアムに参加させるという形で赦しを与えてくださったんだ」
「なるほどな。じゃあさっさと終わらせようぜ、こんな茶番。どうする?全員で囲い込むか?」
「バカ言え。そんな見苦しい戦い方しなくてもあの男を殺せばそれで終わりなんだから、一人か二人行けば充分だ。誰かさっさと終わらせてこい」
兵士達が呑気にそんな会話をしている間も、レジスタンス側からしかけてくる素振りは一切なく、怯えて守りに徹しているようにしか見えない。
「じゃあ俺がやるよ。ヒーローインタビューは一人だけだしな」
先ほどからずっと喋っていた男が余裕ぶった態度で剣を抜き、足を前に進めた。
そんな男の後ろ姿を見送りながら、兵士達は呆れたように呟く。
「…いいのか?一人で行かせて」
「なあに、相手はただの民間人だ。すぐにケリはつくさ」
「だがあの四本腕の男は確か、海岸で暴れまわって兵士を大勢殺した奴じゃなかったか?」
「あの時は不意打ちを食らって皆パニックになってたからな。冷静に戦えばどうってことないだろう」
ガリガリと剣先で地面をなぞりながら、男が一歩、また一歩とレジスタンス側へ距離を詰めていく。
しかし交戦間近だというのに、正面を向いているのは相変わらずハキムだけで、他の者達はずっと馬鹿正直に側面や背後に盾を向けたまま誰もこちらを見ようともしない。
とんだ素人集団だなと、男はほくそ笑む。
そもそもである。
唯一のアタッカーが四刀流などというふざけた武装をしている時点で実力の底が知れているというものだ。
確かに四本の剣からなる構えは威圧感こそあるものの、それぞれを片手で持っているがゆえに一本一本に込められた力は軽い。
それに両手でペンを持っても同時に別々の文字を書くことが難しいように、左右の動きは結局単調になりがちで、一般的な剣と盾の装備の方が攻守共に遥かに優れている。
(…ありゃ見せかけだけの雑魚だな)
男は攻撃を仕掛ける前に、やや距離を置いて立ち止まった。
「おいそこのあんた、盾を持った男!」
自分が呼ばれたことに気付き、レメクが振り向く。
「そう、あんただ。あんたのこと覚えてるよ。溺れた俺達を助けてくれたな。それには感謝してるが、コロシアムに参加させられた以上どちらかが死ななきゃならねぇ。勝ち目が無いのはあんたらも分かってるはずだ。せめて楽に死なせてやるから、今すぐ盾を捨てて前に出てこい」
「………」
返事をしないレメクにいささかの苛立ちを覚えつつ、男は溜め息を吐いて剣と盾を構えた。
「…まあいいさ。剣を持った男が死ねば考えも変わるだろう」
いよいよ始まる戦闘に、皆の表情がこわばる。
最初に動いたのは男の方だった。
盾を前面に構えて牽制しつつ、ハキムの脳天めがけて一気に剣を振り下ろしたのである。
それに対してハキムは反応する暇もないのか、迫りくる剣を前にただ立ち尽くすのみ。
(終わったな…)
民衆や兵士達の誰もがそう思った、次の瞬間。
ハキムはグッと足を踏み込んで急激に距離を詰めると、左右の剣をハサミのように交差させて男の右手首を斬り落とした。
男の右手が剣を握ったまま、ぐるりと一回転して宙を舞う。
それが地面に落ちると同時に、手首の断面から大量の血がドバドバと溢れ、飛び散った返り血がハキムの顔を赤く染める。
「う…あああぁあぁあ!?」
男の絶叫だけが静寂の中で嫌に響き渡る。
「だ、誰か助け…」
あまりの激痛に盾を投げ捨て、右手首を押さえながら涙でくしゃくしゃになった顔を仲間の方へ向ける男。
その直後、男の頭がボトッと真下に転がった。
ハキムによって背後から首を切断されたのだ。
手首と同じかそれ以上の血しぶきを首元から噴き出し、手と頭を失った男の体はその場にドサリと崩れ落ちる。
しんと静まり返る闘技場。
そんな異様な空気を、観客席から放たれた何者かの金切り声が引き裂いた。
「嫌ぁぁああ!…夫、私の夫がっ!!」
それは夫である男を殺された妻の悲鳴に他ならない。
ハキムはハッとして、その女の“夫だったもの”に目をやる。
しかしそんな悲痛な声は、すぐに愉快な実況と民衆の大歓声によって掻き消された。
『なっ、なっ、なんということだ〜!攻撃を仕掛けたはずの兵士が一瞬でバラバラになってしまった!!我々は悪い夢でも見ているのかっ!?』
まさかの大番狂わせに、コロシアムはこの日一番の盛り上がりを見せた。
「…相手を舐めてかかるからだ。馬鹿め」
特等席で肘をつきながら、カインがフンッと鼻息を荒くする。
一方のノイはカインの言葉など耳に入らず、ステージ上の仲間達の一挙手一投足に意識を集中させていた。
(みんな…死なないで)
そんなノイの視線に気付き、ステージの上からレメクが特等席を見上げる。
「ノイ…」
「ボサッとしてる場合じゃねーぞ、こっからが本番だ!」
「あ、ああ…すまない」
ハキムから注意を受け、慌てて盾を持ち直すレメク。
だがレジスタンスの面々以上に焦っていたのは兵士達の方だった。
仲間が一瞬の内にバラバラにされる姿を見せつけられ、渦巻いていた闘志は恐怖へと変貌を遂げつつあった。
「どういうことだ!?あいつら、低地の民間人のはずだろ?」
「きっと油断したせいだ。あんなのまぐれに決まってる!」
「おいお前ら、勝手に動くな!」
恐怖にのまれぬよう強がる心が、冷静さを失わせる。
今度は槍を持った二人の兵士が同時に飛び出してきた。
『おっと、兵士が二人がかりで男を攻める。さすがにこれは終わったか〜?』
二つの槍の切っ先が、同時にハキムへと迫る。
「もらった!」
力を込め、興奮気味に声を上げる兵士達。
だがハキムは四本の剣を駆使し、左右からくる槍を弾いて受け流したではないか。
「くそっ!…」
狼狽してすぐに追撃を入れようとする兵士二人だったが、その動きよりも遥かに速くハキムの剣が彼らの首を同時にはねた。
肉体を離れた頭が、白目をむいて天を仰ぐ。
『またもや兵士の頭が宙を舞う〜!まさに圧倒的、圧倒的強さ!闘技場は今やこの男の独壇場と化している!!』
割れんばかりの歓声の中、誰かが泣き叫ぶ声がする。
きっと先程と同じく、死んだ兵士の家族の嘆きだろう。
やりきれない想いが胸を締め付け、血しぶきを浴びながらハキムは「チッ…」と舌打ちする。
「凄いよハキム、あんたってホント最高!」
「…もしかして私達、生き残れる?」
次第に見えてきた希望にフェトとセナが目を輝かせるも、肝心のハキムには焦りの色が見えた。
「悪いけど、こっからは全員参加みてーだ。生き残れるかどうかは俺じゃなくて神様にでも聞いた方がいいかもな…」
「え?」
喜びも束の間。
とうとう皆にとって最も恐れていたことが起こってしまった。
ハキムの脅威を理解して、残された九人の兵士達が一斉に前進してきたのだ。
兵士らはぐるりと円を描くように広がり、レジスタンス一行を完全に取り囲んだ。
『さ〜て、試合もいよいよ大詰めだ。生き残るために恥も外聞もかなぐり捨て、ついに全ての兵士がまとめて出陣。袋のネズミと化したテロリスト達に、もはや勝ち目は無い!!』




