第十六話【裏切り】
予想だにしなかった人物の登場にノイ達は顔をほころばせ、捨人達は警戒心を剥き出しにした。
「…まさか、高地の連中か?」
白い肌のアベルに対し、明らかに動揺を見せる捨人。
無理もない。
口減らしによって命を脅かされた彼らにとって、高地の人間は憎悪と恐怖の対象でしかないのだから。
「儂らを高地から追いやるだけに飽き足らず、わざわざ殺しに来たのか?」
「いいや、君たちに危害を加えるつもりはないよ。そこにいる人達を解放してくれるならね」
捨人は苛立った様子でスンスンと鼻を動かしながら、ノイとアベルの方を交互に見る。
常に飢えと隣り合わせの彼らにとって、ノイ達は久々の貴重な獲物。そう簡単に手放すわけにはいかない。
皆が固唾を呑んで見守る中、眼を血走らせてよだれを垂らし、歯を剥き出しにした捨人は悩み抜いた挙句、ガアァ!と唸り声を上げてノイの首元に口を近付けた。
しかしその歯はノイの肌に触れる寸前で止まり、やがて名残惜しそうに引っ込んだ。
「…クソッ!」
ギリギリと歯を食いしばり、ノイを離して渋々道を開ける捨人。
彼にとってもリスクを冒してまでノイ達に執着すべきでないという答えに至ったようだ。
怒りからか、怯えからか、あるいはその両方か、小刻みに震える捨人達の間を恐る恐る通り抜けて、一行は出口へと向かう。
洞窟を去る直前、ノイに向かって捨人がボソリと呟いた。
「…命拾いしたな低地の民よ。だが高地の連中に捕まったが最後、ここで喰われた方がマシだったと思うことになるぞ」
ただの負け惜しみか、心からの警告なのかは分からないが、捨人はそれだけ言い残すとノイの返事を待たずして洞窟の奥へと消えていった。
一方でノイ達は月明かりの下へと飛び出し、暗くて狭い洞窟の閉塞感から解放された事実を噛み締めていた。
涼しいそよ風が髪を揺らし、深呼吸をすると爽やかな木々の香りが肺にどんよりと溜まっていた空気を押し出す。
そこは緑生い茂る森だった。
「アベル!無事だったんだね」
洞窟から出るなり、ノイはアベルに思い切り抱きついた。
あまりの勢いに倒れそうになりながらも、アベルは彼女をしっかりと受け止め、抱擁を交わす。
フェトやハキム、双子も嬉しそうに彼のそばへと駆け寄った。
「本物!?まさか幽霊じゃないよね?」
「アベルー!お前は命の恩人だ!!」
「アベルが生きてたね」
「わたし達も生きてるね」
皆それぞれ笑顔ではしゃいで再会を心から喜び合う中、ノイは落ち着かない素振りでキョロキョロと辺りを見渡す。
「他のみんな…父さんやおじいちゃん達は?」
「おじいさま達は奴らに捕まってしまった。ごめんね、僕がもっとしっかりしてればこんなことにはならなかったのに…」
「ううん、アベルのせいじゃないよ。それに、ここにいるみんなで力を合わせればきっと…」
助け出せるよ。
ノイがそう言おうとしたその直後、背後からカチャリと金属の擦れる音が聴こえた。
振り返った一同はその光景を見て信じられないような顔をした。
セナが銃を構えてこちらに向けていたのである。
しかもその眼は普段皆に向けているような優しいものとはまるで違い、敵を射抜く時と同じ鋭さを秘めていた。
「セナ!一体どうしたの!?」
慌てふためくフェトの問いかけに、セナは眉間に皺を寄せて答える。
「…何かがおかしい。みんな、アベルから離れて」
「いいから落ち着けって!何がおかしいんだよ?」
「…あの状況で敵から逃げ切って、私達より先にここまで辿り着くなんてありえない。あのアベルが、息切れもせずにさ」
「き…きっとどこかに抜け道があったんだよ。ね、アベル?」
「………」
ノイがすかさずフォローを入れるが、なぜか肝心のアベルは顔に影を落とし、何も答えようとはしない。
そんな彼に銃口を向けたまま、セナは疑惑を追及し続ける。
「…それに、捨人達がこんな簡単に逃げ出すなんて変だと思わない?アベルの顔だってほとんど見えてないはずのに高地の連中が来たと思い込むなんて、まるで…」
タラリと皆のひたいから冷や汗が垂れた。
セナもそれ以上言葉を紡ぐ代わりに、引き金にかかった人差し指にググッと力を込める。
もはや彼女の中で答えは出ていた。
「セナ、やめてっ!」
ズドンッ!と無情にも銃声が響き、木々の間から驚いた鳥達が空へと羽ばたいた。
銃口から放たれた残響が鳴りやまぬ内に、「うっ…!」と苦悶の声が漏れる。
アベルが撃たれたと、ここにいる誰もがそう思った。
しかし実際は違った。
苦痛に喘ぎ、ドサッと地面に膝をついたのはアベルではなく、セナの方だったのだ。
右腕から血を流し、持っていた銃を落とすセナ。
はたして一体何が起こったのか皆の理解が追いつかない中、近くの木の陰からその男は姿を現した。
「“まるで裏切ったアベルが高地の連中を引き連れてやってきたとしか思えない“…だろう?なかなか鋭いじゃないか」
「カイン!?」
そこには馬に跨り、拳銃を構えるカインがいた。
彼がセナを撃ったのである。
カインに続き、他にも馬に乗った高地の兵士達がぞろぞろと物陰から出てきてノイ達を取り囲んだ。
「よくやったアベル。お前が洞窟の出口まで案内してくれたおかげで、こうしてテロリストどもの残党と、エラのある少女を残らず捕らえることができた。さすがは俺の息子だ」
カインは満足げにそう言いながら、馬の上からアベルの頭をポンポンと叩く。
アベルはそれに対して返事をすることなく、目を伏せたままずっと黙り込んでいた。
「アベルが…カインの息子…?」
カインの口からもたらされた衝撃的な事実に、愕然と立ち尽くすノイ。
あのアベルが自分達を裏切った上に、高地の王の息子だったなんて、とてもではないが信じることができない。
「そんなの嘘!アベルはずっと昔から私達と一緒に暮らしてたんだから、あんたの息子なわけない!」
フェトがセナの体を支えながらカインを睨みつける。
彼女の言う通り、アベルはまだ年端もいかない頃にレジスタンスの村にやってきて、ここにいる皆と共に育ったのだ。
その事実や思い出が、カインの言葉を否定する。
もし本当にアベルが王の息子なら、高地を追いやられるわけがないと。
「そりゃあそうさ。こいつはお前達テロリストを監視させ、内部から一網打尽にするためにわざわざ育てて送り込んだんだからな。まさか自分達と同じ新人類の子供がスパイなどと疑いもせず、お前達はまんまと騙されたというわけだ」
悪びれる様子もなく平然とそう言い放つカインに、ハキムとセナが侮蔑の眼差しを送る。
「最初から全部嘘だったってのか…?」
「…最悪」
「ふん、どうとでも言うがいい。さあアベル、早くそいつらを連れて来い。高地に帰るぞ」
カインに促され、ノイ達のもとへ無言で歩み寄るアベル。
どうやら本当にカインの言いなりになってしまったらしい。
とはいえ彼の様子を見る限りではとてもではないが自ら進んで裏切ったとは到底思えず、ノイは一縷の望みをかけて彼に向かって手を差し伸べた。
「アベル…こっちに来て。そんな奴の言いなりになっちゃダメ」
「………」
「本当は脅されて言いなりになってるだけだよね。そうでしょ?」
ノイの目の前で立ち止まるアベル。
返事はない。
ノイはなおも諦めずに、カインに聞かれぬよう小声で耳打ちする。
「私達と一緒に逃げて、父さんやおじいちゃんを一緒に助け出そう」
そう言って、あらためてグッと手を伸ばす。
アベルならこの手を握り返してくれると信じていたからだ。
そんな彼女の想いが通じたのか、アベルの右手が迷いがちにゆっくりと伸びる。
それを見て、やはり彼は心から裏切ったわけではなかったのだと安堵するノイや仲間達。
しかし次の瞬間、アベルは皆の予想に反してノイの手首をグイッと強くひねり上げたではないか。
「…君に、僕の何が分かるっていうんだ」
今まで誰にも見せたことのない彼の冷たい視線に、ゾッとノイの背筋が凍る。
「君と違って僕は肺もエラも発達が不十分なせいで、陸でも海でもまともに呼吸ができない。この苦しみを生み出したのは、他でもないおじいさまなんだ」
そう言ってアベルは空いている左手で自分の着ているシャツをたくし上げる。
服の下から現れた彼の胸元は右側が大きく潰れ、本来なら肺が入っているであろう膨らみがまったく無く、代わりにエラのような隙間が呼吸と共に微かに動いていた。
「君という奇跡の子が誕生するまでに、一体どれほど多くの犠牲があったと思う?…いいかいノイ。レジスタンスの本当の目的は方舟の奪還なんかじゃない。高地を乗っ取って“新人類計画”を再開することだ」
「新人類…計画?」
「遺伝子操作によって、海中で生きていける人間を作り出すための非道な人体実験さ。でももう二度とそんな悲劇は繰り返させない。そのためにはこうするしかないんだよ」
アベルの裏切りが確信に代わり、激昂したハキムがズカズカと食ってかかる。
「アベル…てめぇ!」
すぐさま兵士達が彼の前に立ちはだかるが、ハキムはそんなのお構いなしとばかりに、怒りに任せて目の前の兵士を殴り飛ばした。
「何が悲劇だ!たとえこんなバケモノみたいな体に生まれたってな、俺はみんなと一緒に過ごせて幸せだったんだよ!!」
それを見た他の兵士達がハキムを取り押さえるために次々と集まってくる。
四本の腕を激しく振り回して暴れるハキムだったが、当然勝ち目などない。
彼もそれが分かっていたため、敵の注意を引きつけながら精一杯叫んだ。
「みんな逃げろ!」
その声に弾かれ、真っ先に双子が走り出す。
フェトも負傷したセナと一緒に逃げようとするが、走れない二人はまたたく間に追いつかれて地面に押し倒されてしまった。
「いやーっ!」
「フェト!」
ハキムも必死の抵抗虚しく、背後から兵士に羽交い絞めされたが最後、何度も殴られて口から血を吐き、次第に動きが止まってゆく。
「やめさせて…。やめさせてよアベル!」
非情な暴力にさらされる仲間達を見て、ノイはたまらずアベルに詰め寄る。
しかしアベルはそんなのまったく意に介さないとばかりに顔をそむけ、ノイの腕を引いてカインのもとへ行こうとした。
このままでは全員殺されてしまう。
そう感じたノイは無我夢中でポケットからナイフを取り出し、それをアベルの背中に振り下ろした。
「…!」
異変に気付いて振り返ったアベルと目が合ったその瞬間、ノイの脳裏に彼と過ごした日々の思い出が蘇った。
『えっと…君は確か、ノイだよね?僕はアベル。よろしく』
『…よかったらこれも飲んでいいよ。僕はあんまりお腹すいてないからさ』
『無理はせず、危険を感じたらすぐに戻ってきてね』
『優しいんだね…』
『…さよなら、ノイ』
ピタッと、ナイフがアベルに突き刺さる寸前で止まる。
アベルも刺される覚悟を決めていたにも関わらず、自分が無傷であることに戸惑いを隠せない。
「ノイ、どうして…?」
「こんなの…あんまりだよ…」
ナイフを握る手をぶるぶると震えわせ、かすれた声を絞り出すのがやっとのノイ。
たとえ裏切られたとしても、今まで彼から貰った優しさや恩が消えるわけではない。
ノイには彼を殺すことなどできやしなかった。
そんな様子を遠目から見ていたカインはフンッとあざ笑い、部下達に声をかける。
「お前らその辺にしておけ。さっさと行くぞ!」
王の一声で高地の兵士達は即座に手を止め、ボロボロになったハキム達を縛り上げて引きずるように連行した。
アベルもノイの指をそっとほどいてナイフを取り上げると、彼女の腕を縛ってカインの後に続く。
信頼していた仲間の裏切りと、圧倒的な兵力を前に、もはや一行は完全に心を折られて抵抗する気力もない。
「カイン様、逃げた双子のガキはどうしますか?」
部下から声をかけられたカインは少し考えた後、興味無さげに顔を背ける。
「どうせその辺で野垂れ死ぬさ。放っておけ」
すでに目的を達成したカイン達は、そのままノイ達を引き連れてぞろぞろと歩き去ったのだった。
「…みんな連れて行かれちゃったね」
「…わたし達だけになっちゃったね」
背の高い草の陰に隠れて、仲間達が連行される様子を恐る恐る眺めるイラとナエル。
お互い、そのすばしっこさを活かしてどうにか高地の兵士達から逃げ切ることに成功したものの、レジスタンスが壊滅した今や彼女達は完全に手詰まりの状況であった。
「みんなのことを助けなきゃ」
「わたし達だけで助けなきゃ」
非力な二人は目を見合わせて首をかしげる。
「「でもどうやって?」」
声を重ねて、う~んと悩ましげな唸り声を上げる双子。
だがしばらく互いを見つめ合って何かに考えが至り、コクリと頷く。
言葉を交わさずとも、考えることは同じだった。
「やるしかないね」
「それしかないね」
イラとナエルは覚悟を決めたようにギュッと手を繋ぐと、仲間達が連れて行かれた高地とは反対方向へタッタッタッと駆けていったのだった。




