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方舟のノイ  作者: 刹那
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第十一話【贈り物】


「………痛っ!」


「ごめんね、大丈夫?」


「…大丈夫」


漁も終わり、村に帰り着いたノイは自分の部屋でベッドに腰かけ、アベルから治療を受けているところであった。

外ではすっかり日も落ち、壁に備え付けられたランタンの火が室内をゆらゆらと照らし出す。


「思ったより傷は深くないみたいだ。どちらかというと切り傷よりも圧迫されたことによる打撲の方が酷いから、しばらくは痣が残ると思う。念のため雑菌が入らないように薬を塗っておくね」


すり潰した薬草を指でノイの左腕に塗った後、慣れた手つきで包帯をぐるぐると巻きながらそう説明するアベル。

薬が傷口に染み込む際のヒリヒリとした痛みに、下唇を噛んで我慢するノイ。


「アベルはお医者さんなの?」


「うん、これが僕の役割。まだまだ見習いだけどね。おじいさまから色々と教えてもらいながら今も勉強してる」


「凄いんだね」


「そんなことないよ。みんなみたいに魚を捕ったり、畑仕事をやったりする方がずっと凄いよ」


二人が会話をしていると、そこへセナ、ハキム、フェトの三人が部屋の扉を開けてバタバタと入ってくる。


「おーい、腕は大丈夫か!?」


「ノイちゃん!ご飯持ってきたから、これ食べて早く元気になって!」


「…着替えの服も洗濯しといたよ」


フェトは持ってきた食事を机に置くなり、すかさずノイにすり寄った。


「私をかばってくれたばっかりにこんな大ケガして…。ノイちゃんは私の命の恩人だよ!」


「心配しないで、大したケガじゃないってアベルも言ってるから」


「ううん!もしも傷痕が残ってお嫁に行けなくなったりしたら、私が責任取って結婚するから!」


「結婚!?」


「お前はただノイと一緒にいたいだけだろ…」


ハキムが呆れたようにツッコむ。


「…とりあえず先に着替えた方がいい。風邪引く前に」


服を抱えたセナの言葉に、フェトが目を輝かせて立ち上がる。


「そうそう、ずぶ濡れだから早く着替えないと!男どもは着替えが終わるまで立入禁止!」


「…へっ?」


しっしっ!とフェトから体を押され、強引に部屋から退出させられるハキムとアベル。

バタンッと扉が閉まり、突然の出来事に男二人が呆気に取られながらその場で立ち尽くしていると、中から声が聴こえてきた。


「ノイちゃんは腕をケガしてるから、私が脱がしてあげるねー。セナ、手伝って」


「…なんか人の服を脱がすのって、悪いことしてる気分」


「私、自分で脱げるよ?」


「よいではないか〜」


「ひゃっ!?」


「フェト、もうすこし優しく脱がせないと…」


「ちょっ!?くすぐったいよ二人とも!」


「…はぁ~、このエラのワレメ可愛すぎる。舐めたり指を入れたりしてみたい………って、痛たたた!?セナやめて!」


「フェト、下品すぎ…」


「え?え?」


ただの着替えとは思えないほどの騒々しさに、扉の外で呆れ返るハキムとアベル。


「何やってんだあいつら…」


「はは…」


しばらくすると扉が開き、右の頬を赤く腫らしたフェトが出てくる。


「お待たせー。入っていいよ」


二人が中に入ると、そこには無地のシャツと短パンに着替えたノイの姿があった。

この村に来た時と同じ出で立ちである。


「なんかやたら騒がしかったけど、セナとフェトから変なことされなかったか?」


「変なこと?」


ハキムからの問いかけに、首をかしげるノイ。

代わりに膨れっ面のフェトが不満げに答えた。


「失礼ね、着替えさせてあげただけだもーん」


「…まあ、ちょっと手つきがいやらしかった気がする」


「ちょっとセナ!裏切る気!?」


「…ふふっ、ははは」


皆のくだらないやり取りに堪えかねて、突然アベルが声を上げて笑い出した。

普段見ることのない崩れた彼の表情に、一同は驚きを隠せない。


「いつもクールなアベルが爆笑してる!?」


「…たしかに、珍しい」


一体どうしたことかと戸惑うフェトとセナに、アベルは口元を押さえて笑いをこらえながら答える。


「ごめんごめん。僕はただみんなが無事に揃って、またこんな風に楽しい会話が聞けて良かったなって思っただけだよ」


「まあ確かに、今回はヤバかったからな。もしノイがクジラに食われてたら、今頃泣きながら葬式してるとこだぜ」


ガハハと豪快なハキムの笑い声に皆がつられて笑う中、ここでふとアベルがノイに疑問を投げかける。


「そういえば、ノイに聞きたいことがあるんだけど…」


「ん、何?」


「あの時、どうしてあんなにクジラをかばったりしたの?」


確かに、と他の仲間達も興味深げにノイの方を向いた。

それは誰もが気になっていたことだからだ。

皆の視線を一身に集めながら、ノイは真っ直ぐな目で答える。


「父さんが言ってたの。むやみに多くの命を狩ってはいけないって。もう魚はいっぱい捕れてたから、もし父さんならきっと止めると思って」


「いい父さんなんだね…」


ノイはコクリと頷く。


「…うん。それに私も、お腹の中の赤ちゃんを殺すのはなんだか可哀想な気がして…。せっかくもうすぐ産まれてこれるんだからさ、お腹の中だけしか知らないまま終わるより、せめてこの世界を見せてあげたかったの」


「………」


慈愛に満ちたノイの言葉を聞いて、その場にいた全員の胸が打たれる。

自らが食われかけたにも関わらず、それでも身を呈してクジラへの思いやりを示すなど、他に誰が真似できようか。


「ノイちゃん優しすぎるよ〜!やっぱり私と結婚して!!」


「ええっ!?」


フェトに勢いよく抱きつかれ、ベッドに押し倒されそうになるノイ。

ハキムやセナは行動でこそ示さなかったものの、ノイに対する尊敬の気持ちは同じだった。


「ノイ…お前すげーよ」


「…爪の垢を煎じて飲みたい」


皆から褒めちぎられて伏し目がちに照れるノイだったが、アベルただ一人だけはそんな彼女に対して穏やかながらもどこか諌めるような声色で語りかける。


「優しいんだね…。でも、今回みたいに危険な目に遭った時は、何よりも自分の命を一番に考えてほしい。たとえ相手の命を奪うことになったとしても…」


そう言ってアベルはおもむろにポケットから折りたたみ式ナイフを取り出して、刃を見せる。

鋭い刃が、ランタンの火とノイの顔を反射してギラギラと輝いていた。

アベルはすぐに刃をたたんでそのナイフをノイに差し出す。


「このナイフをあげるから、肌身放さず持ってて。もし誰かに襲われたりしたら迷わずこれを使うんだ。相手がクジラだろうと、人間だろうと」


「ちょっとアベル、ノイちゃんにそういうことは…!」


アベルに突っかかろうとするフェトを、セナとハキムが制する。


「…フェト、これは大事な話」


「ああ。アベルの言う通り、クジラよりもっとヤべー奴らがノイの命を狙ってるんだ。そういうのはちゃんと教えとかねーと」


いつになく真剣な皆の表情を見て、これは冗談などではないと感じたノイも緩んでいた頬を引き締めて、言われるがままナイフに手を伸ばす。

ナイフに触れる直前、一瞬迷いが生まれて手が止まったものの、そんな迷いを見透かすかのようなアベルの強い眼差しに後押しされ、ノイは覚悟を決めた。


「…分かった。アベルがそう言うなら」


軽いはずの小さなナイフが、やけにズシリと重く手にのしかかる。

しばらくの間ノイが無言でナイフを見つめていると、沈黙に堪えかねた皆はあえて陽気な声を出して彼女を励ました。


「大丈夫大丈夫!いざという時は私達がノイちゃんのこと全力で守るから、そんなの使うタイミングなんて無いよ、きっと」


「確かにそれは言えてるな。高地の連中なんかには、俺らが指一本触れさせねーよ」


「…私達、こう見えて結構強いから」


「ありがとう…みんな」


頼もしい仲間達の発言にほだされて張り詰めていた緊張の糸が解けたノイは、ホッと息を吐いてナイフをズボンのポケットにしまい込んだ。


…コツ。


ポケットの奥で、小さく何かがぶつかる音がした。


「…?」


ゴソゴソと指を動かして探ってみると、ポケットの中から出てきたのは一枚の金貨だった。

それはノイが昨日夢中になって海底で拾い集めていたもの。

慌てて泳いだ時に全て落としたかと思っていたが、どうやら一枚だけポケットの奥に引っかかっていたらしい。


「何だそれ?」


皆がノイの手のひらの上に乗った金貨に首をかしげる中、アベルが突然ガタッと椅子から立ち上がる。


「ノイ、どこでそれを手に入れたの!?」


「え?昨日海の底に落ちてたのを拾ったんだけど…」


「それは金貨といって、この村では使われてないけど、高地の人達の間ではとても貴重なものなんだよ!たった一枚で多くの食べ物や道具と交換できるんだ」


「へぇ…」


金貨に見入るアベルの視線に気付いたノイは、少し考えたあと、それをこともなげに彼に差し出した。


「これ、アベルにあげる」


「いいの!?とても価値のあるものなんだよ?」


「うん。私が持ってても価値なんて分からないし、それにアベルからはいろんなものを貰ったから、そのお礼」


「あ、ありがとう…」


躊躇いがちに金貨を受け取ったアベルだったが、やはり嬉しかったようで、裏返してみたり、指で撫でたりして目を輝かせている様子が見て取れた。

いつも助けてもらってばかりで何もしてあげられなかったノイは、ようやくお礼ができたことに自分も嬉しくなる。

それにしても、高地でしか使えないものに対してそこまで興味を持つ理由は何なのだろうかという疑問が生まれた。

アベルの横顔を見つめ、あらためて彼について思いを巡らせる。

村の皆とは違い、一人だけ白い肌を持つ青年。

よくよく思い返してみれば、自分はまだ彼のことを何も知らない。


「…もしかしてアベルって、高地の人なの?」


途端にギョッとした顔で、その場の全員がノイの方を向いた。

皆の視線が痛いほど突き刺さる。

その場の雰囲気が急激に変わったのを感じて、え?え?と戸惑うノイ。

どうやらその質問はタブーだったらしい。

当のアベルは金貨をそっとシャツの胸ポケットにしまうと、あらたまった態度でノイの方に向き直った。


「…そうだよ。僕はみんなと違って、生まれた時からずっと高地で育てられてきた。…いや、育てられたというより、囚われてたと言った方がいいかな」


「囚われてた?」


「うん。来る日も来る日も人体実験をされたり、奴隷のように扱われながら、十歳になった頃にどうにか監視の目を盗んで逃げ出したんだ」


「そんな…」


「死に物狂いで低地までやってこれたけど、子供だった僕にはどうすればいいかなんて分からなかった。そんな僕を拾ってくれたのがおじいさまだったんだ。おじいさまは僕の生まれも育ちも気にせず、本当の親のように育ててくれた」


ノイにとって、その話は衝撃的なものだった。

父を殺された後路頭に迷い、行くあてもなく村に辿り着いた自分と重なり、他人事とはとても思えない。

言葉に詰まるノイの前で、ハキムがアベルの肩をポンと叩く。


「…ま、俺らみんな親無しだからさ。全員家族みたいなもんだけどな」


「そうそう、ノイちゃんも私達家族の一員だからね!」


「…これからはずっと一緒」


誰からともなく肩を寄せ合い、円を描くように密着する。

それぞれの照れた笑顔や温かかな体温を間近に感じて、自分は孤独じゃないと身をもって知るノイ。

血の繋がりこそないものの、間違いなく皆は自分にとってかけがのない家族であった。


そんなさなか、外から急にカーンカーンと鐘の音が鳴り響く。

こんな時間に一体何の合図だろうか。

何も知らずに呑気な表情を浮かべるノイと違って、アベル達は緊迫した様子で冷や汗を垂らしていた。


「そんなまさか…!」


「これって何の音?」


なんのけなしに尋ねるノイの肩をぐっと掴んで、目を見開くアベル。

そしてその口からもたらされたのは、この場の誰にとっても最悪な知らせであった。


「…奴らに、高地の連中に見つかった!」



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