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方舟のノイ  作者: 刹那
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第九話【初陣】


空には雲らしい雲もなく、風は穏やかで、火傷しそうなほどの熱い日射しが降り注ぐ。

周辺に魚の姿がないことを除けば、今日は素潜り漁をするのに最適な気候であった。

村のすぐそばにある海岸に集った、ノイを含む十数名の有志達。

各々がモリや網を携え、手や足を軽く伸ばしたり、ひねったりしながら入水を前にした準備運動を行っているところである。


「無理はせず、危険を感じたらすぐに戻ってきてね」


アベルからの声かけに頷きつつ、ノイはふと尋ねる。


「アベルは行かないの?」


その問いに、彼はなぜかバツが悪そうに目を伏せた。

聞いてはいけないことだったのだろうか。


「僕は…」


「アベルは生まれつき体が弱えーから、俺らみたいに泳げねーんだよ」


口ごもるアベルの代わりに、上半身裸のハキムが自分の右腕をぐるぐる回しながら答える。

あ…、とノイは軽率に質問したことを悔いる。

確かに他の男性に比べて華奢な体つきだとは思っていたが、まさかそんな事情があるとは知らなかったのだ。


「…力になれなくてごめんね」


「気にすんなって!お前にはお前にしかできないことがあんだから」


申し訳なさげに謝るアベルの背中を、ハキムはポンと叩く。

そこへ急に水着姿のフェトが、何やらごちゃごちゃと両手いっぱいの道具を抱えてやってきた。


「ノイちゃん〜!よかったらこれ使って!」


「おっ、スピアガンじゃん!」


持ってきたスピアガンに触ろうとしたハキムの手をペチリとフェトが叩く。


「ダメ!これはノイちゃんの。ハキムは脳筋なんだからこっちでいいの」


「ちぇっ…」


仕方なく長いモリを握り締め、トボトボと離れるハキム。


「イラも欲しいー」

「ナエルも欲しいー」


好奇心旺盛な双子もつられてやってきたが、まだ幼い子供に渡すには危険な道具なので、フェトは代わりに設置型のカゴ罠を二人に渡すことにした。


「あー…ごめんね、これは二人にはちょっと早いかな〜。代わりにこっちをあげるから、魚が来そうな場所に仕掛けてきてくれる?」


「りょーかーい!」

「あいあいさー!」


走り去る双子を見送って、フェトは満面の笑みを浮かべながら「どうぞ♪」とノイにスピアガンを手渡す。

それは非力な少女にも扱えるような、銃身の短い比較的コンパクトなものだったが、ずしりとした重みにノイの肩に力が入る。

今までこんなものを手にしたことがないノイは、それをどう扱えばいいのか分からず、興味深げに動かして全体に目を這わせる。


「これってどう使うの?」


「それはね、魚を見つけた時に、その引き金を引くと…」


「こう?」


説明の途中でノイが引き金に触れると、突然ヒュッ!と銃口から鋭いモリ先が飛び出した。


「…っ!」


紐の付いたモリ先は皆の目の前でシュルシュルと軌道を描きながら、フェトの鼻先とハキムの髪の毛をかすめて近くの岩に命中した。

ガキンッ!と硬そうな金属音を耳にして、死の恐怖を感じた二人の顔が青ざめる。


「ナイス……トライ…」


「あ、あぶねーだろっ!」


血の気のない二人の表情と、岩の隙間に突き刺さったモリ先を見てようやく事の重大さを理解したノイは、冷や汗をかきながら「…ごめんなさい」と呟いた。

そんな中、皆の準備が整ったのを見てメトシェラが声を上げる。


「皆、準備はよいか?くれぐれも無理はせんようにな」


長老の声に顔付きを引き締めた一同は、波打ち際に並んで海と向き合った。

つま先を海水に浸したフェトが「…冷たっ」と、脚をパタパタ小刻みに動かす。

先日の嵐で深海の水が混ざったのか、思いのほか海水は冷たく、それでいて少し濁っていた。


「では漁の開始じゃ!」


長い杖を掲げたメトシェラの号令を皮切りに、バシャッと派手な水しぶきを上げながら一人、また一人と海に飛び込んでいく。

各々が意気揚々と入水するのを見て、ノイも負けじと海に足を踏み入れる。


「気を付けてね、ノイ」


「うん」


アベルの言葉にコクリと頷くと、ノイは両手を広げて海中に身を落としたのだった。

ザバンッと一瞬の抵抗感の後、全身がひんやりとした海水に包まれ、視界に映る景色が青に染まる。

周囲には自分と同じように、小さな気泡を巻き上げながら沈んでいく仲間達の姿が確認できた。

しかしその一方で、やはり魚影らしき魚影はまったくと言っていいほど見当たらない。


(きっとどこかにいるはず…)


息継ぎを必要としないノイは、目の前に広がる海底遺跡の中を誰よりも丹念に泳いで回る。

だが沈んだ民家の中を一軒一軒念入りに覗き込んでみるも、そこには朽ち果てた家具が散乱しているだけで、生き物の存在はまるで感じられない。

なおも諦めずに探索を続けていると、やがて工場跡地に辿り着いた。

ここはかつて宇宙開発が盛んに行われ、スペースシャトルの製造などを行っていた場所であった。

それを証明するように、錆びついた巨大な鉄の塊や機械の残骸などが海底にごろごろと転がっている。

そんな中、真下に巨大な倉庫を見つけ、天板に空いた小さな穴から頭を中に入れたノイは、驚きのあまり目を見開いた。

なんとそこには無数の魚の群れが所狭しと住み着いていたのだ。

きっと先日の嵐を乗り切るため、ずっとここに身を潜めていたのだろう。


(見つけた!)


ノイはすぐさま海面へと浮上して、陸地で見張りをしているメトシェラにその事実を伝える。


「あっちの建物の中に、魚がいっぱいいたよ!」


「本当か!?お手柄じゃぞ、ノイ」


報告を受けたメトシェラが手で合図を送ると、浮上した仲間達がぞろぞろと集まってきた。


「ノイが建物の中に魚を見つけたそうじゃ。ノイ、先導してやってくれ」


言われるがまま、ノイは再び倉庫を目指して潜水する。

仲間達もあとに続き、彼女の背中を追った。

それなりに深さはあるものの、皆の泳ぎは慣れたもので難なく海底へと辿り着いた。

海面が上昇したこの世界においては泳ぎの実力がそのまま生死に直結するため、たとえ漁師でなくとも幼少期から鍛錬を受けている彼らにとって、素潜り程度は朝飯前のことであった。


倉庫の中に入るなり、ノイが言った通り何百という魚の群れが蠢いているのを目にして皆の士気も高まる。

そこからは彼らにとって夢のような時間だった。

逃げ場のない壁の内を泳ぎ回る魚はまさに狩り放題といっても過言ではなく、誰もが容易にモリで突くことができたからだ。

次々と魚が捕らえられ、皆の腰に下げられた捕獲網が膨らんでいく。


(…よかった。これでみんなお腹いっぱい食べられる)


順調に漁が進む光景を見て、ノイはホッと胸を撫で下ろした。

自分も負けてられないと意気込んでスピアガンを構えた矢先、どこからともなく奇妙な音が辺り一帯に響いた。

コッ、コッ、コッと小石を一定のリズムで叩くような固い音だった。

だが倉庫の中を見渡してみてもこれといった変化はない。

おそらく外からだろう。

漂う異様な気配に、皆は手を止めて目を見合わせた。


(なんだろう…)


最初に動いたのはノイだった。

誰よりも出入り口に近かった彼女は、真っ先に倉庫から出て音の正体を探る。

こころなしか、外は先ほどよりも水が濁っており、視界が悪く感じた。

まるで海全体が霧がかったように白みを帯び、遠くまで見通すことができない。

そんな中、不意に背後から嫌な気配を感じた。


(…っ!?)


振り向きざまに、思わず悲鳴を上げるノイ。

声の代わりに泡が勢いよくぶくぶくと口から溢れる。

何故ならすぐ目の前に、人間のこぶし大ほどの巨大な眼球があったからだ。

眼球は明らかにこちらのことを視認しながら、ゆっくりとした動きで横切っていく。

それに気をとられていたノイの背中に、今度は灰色の壁が迫ってきた。

ググッと強い波の揺らめきを感じて壁の存在に気付いたノイは、慌てて体を仰け反らせてそれを避ける。

傷だらけでゴツゴツとした岩のようなその壁は、見た目に反してしなやかな動きで上下に揺れていた。


(クジラ!?)


その眼球と壁の正体が巨大なマッコウクジラの体だと、ここにきてようやく気付くノイ。

壁のように見えたのは尾びれで、ずっと聴こえていた謎の音はクジラが発する声であった。




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