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方舟のノイ  作者: 刹那
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プロローグ

約一年かけて、公募用に書いた作品です。

すでに最終話まで書ききっているので、ぼちぼち投稿していこうと思ってます。

流行りのジャンルではありませんが、いつの時代に読んでも楽しめるような王道ストーリーを意識しました。

評価、感想など頂ければありがたいです。


町のいたるところから火の手が上がっていた。

メラメラと燃え盛る炎は数多の住宅や工場などを灰に変えながらどす黒い煙を吐き出し、きらびやかな星空を覆い隠す。

太陽も無いのに夕暮れと見紛うほど真っ赤に染まった町の中では、人間の死体がまるで町を彩るオブジェのように建物の壁に寄りかかったり道路に寝そべったまま放置されているが、誰もそれらを気にかける余裕などない。

今もあちこちで民兵と政府軍による衝突が繰り広げられ、各々が敵を殺すこと、自分の身を守ることに必死だったからだ。

派手な爆発音と乾いた銃声、それに人々の悲鳴が絶え間なく鳴り響くこの戦場で、おぎゃあおぎゃあとどこからか乳児の泣き声が小さく漏れ出ていた。

それは激しい戦火から逃れるべく、闇に紛れて路地裏を駆け抜ける少数の集団の中から発せられたものであった。

集団を先導するのは、軍服を着た二人の若い男。

一人は乳児を紐で固定して背負い、もう一人はローブに身を包んだ妊婦を支えながら走っている。

彼らのすぐ後ろには、追従する三人の幼児の姿もあった。

しかし前を行く大人達と違い、その子供達の姿はいずれもいわゆる普通の人間とは様相が少し違っていた。

先頭を走る少女は顔の右側がビッシリと魚の鱗のようなもので覆われ、その後ろを走る少年は四本の腕を生やし、最後尾の少女は揺れるスカートの中から短く尖った尻尾がはみ出している。


「いたぞ!あそこだ」


その時、乳児の泣き声を辿ってやってきた民兵が声を上げた。


「チッ、見つかったか!」


乳児を背負った男が振り向きざまに銃を発砲し、民兵を撃ち倒す。

だが他にも追っ手が次から次へと路地裏になだれ込んできたため、男は撃ち続けながら銃声に負けぬほど大きな声で叫んだ。


「先に行け、レメク!あとで追いつく」


レメクと呼ばれたもう一方の男は一瞬躊躇いを見せたが、どうしようもないと悟るや、妊婦と子供達を連れて走った。

銃撃戦の音や乳児の泣き声に背を向けて走っていたレメクだったが、不意にそれらがピタリと鳴り止み、嫌な予感が背中を冷や汗で濡らす。


「あなた、待って…」


焦りから無意識のうちに走るペースが上がり、足が追いつかなくなった妊婦がレメクを巻き込んで転んだ。


「うっ…!」


地面に倒れた瞬間、パシャッとバケツの水をひっくり返したような音がしたかと思うと、妊婦の股の間から大量の液体が溢れ、レメクと妊婦は驚きのあまり互いに顔を見合わせて硬直した。

破水したのである。

だが追っ手の放った流れ弾がすぐそばの配管に当たる音にハッとして、二人は慌てて起き上がった。

立ち止まっている暇はない。

ビチャビチャと湿っぽい足音を響かせながら何とか路地裏の突き当たりまで辿り着いた一行は、そこに佇む廃ビルのシャッターを勢いよく叩いた。

ガシャガシャと大きな音を立てながらレメクが入口の監視カメラに顔を向けると、間もなくシャッターが内側から開き、中にいた軍服の男達に引き込まれる。

そのまま狭い通路をくぐり抜けて連れて行かれた先は、大勢の兵士達がたむろする会議所であった。


慌ただしく入ってきたレメク達に向かって、緊迫した兵士らの目線が一斉に注がれる。

レメクは前のめりになりながら兵士達をかき分け、部屋の奥で地図を眺めている初老の男へと詰め寄った。

その男はこの国の王であり、現在は政府軍を率いる最高司令官である。


「親父!中央区が奴らの手に落ちた。ここが落とされるのも時間の問題だ」


レメクの報告を聞いた司令官は眉間に深く皺を寄せ、長い顎髭を手で撫でながら全てを諦めたように溜め息を吐いた。


「もはやこれまでか…」


室内を重い沈黙が支配する。

誰もがうつむき無言で唇を噛み締める中、妊婦の悲鳴が静寂を切り裂いた。


「…うっ…あぁあ!!」


彼女は足をガクガクと震わせ、その場に膝をついて崩れ落ちる。

誰の目にも、出産の時が今まさに迫っているのが見て取れた。


「まさか、今産まれるというのか!?」


沈黙がどよめきに変わり、誰もが後ずさりをして妊婦から距離を置く中、レメクだけはそばに駆け寄って出産のサポートに入る。

室内をビリビリと震わせるほど悲痛な絶叫が響き、三人の子供達は互いにギュッと手を握り締めて事の成り行きを見守る。


しばらくすると絶叫が止み、代わりに力強い産声が室内に満ちた。

ついに赤子が産まれたのである。

レメクはホッとした顔で赤子を抱き上げ、出産を終えたばかりの女に向かって差し出した。

女の疲れ切った虚ろな瞳に、手足をバタつかせる元気な赤子の姿が映り込む。


「…なんて可愛い子」


女が赤子の首元を優しく撫でる。

そこには本来、人間が持つはずの無い器官が生まれつき備わっていた。

魚のようなエラである。

首の左右にそれぞれ三本の細長い隙間が空いており、呼吸に合わせて微かに開いたり閉じたりしている。


「おお…待ち望んだ奇跡の子が、ついに生まれたぞ…」


司令官が感嘆の声を上げるなり、それにつられて他の者達もそれぞれヘルメットや帽子を脱いで赤子に対する敬意を示した。

しかしそんな感動的な時間を、突如として巻き起こった爆発音が吹き飛ばした。

それはビルの入口が破壊され、敵が侵入してきた音に他ならない。


「奴らだ…」


レメクの顔からサーッと血の気が引く。


「やむを得ん、町を捨てて低地に逃げるぞ!この子は人類の希望。絶対に奴らの手に渡してはならん」


司令官からの指示を受け、ただちに撤退の準備に取りかかる一同。

各々が武器を手に取りつつ、少しでも敵の侵入を遅らせるために部屋中の棚や机を乱雑に重ねて入口を塞ぐ。

バタバタと大勢の足音が入り乱れる中、レメクだけは出産を終えた女の異変に気が付いた。

股からの出血が止まらず、壁に寄りかかったまま今にも目を閉じてしまいそうなほど衰弱しきっていたのだ。


「おいっ、大丈夫か!?」


レメクの呼びかけに、女は生気をまるで感じさせない青白い顔をゆっくりと向ける。

何やらパクパクと口を動かしているが、赤子の泣き声と兵士達の喧騒で声を聴き取ることができない。

レメクが顔を近付けると、女は抱いている赤子をそっと彼に手渡した。


「…あなた、この子をお願い。私はもう立てない」


「馬鹿言うな!すぐに敵が来る。さあ、早く立…」


言いながら女の手に触れると、死人のような肌の冷たさにレメクは思わずブルリと身震いする。

もはや助からない、と直感で悟った。

二人のただならぬ様子に司令官も気が付き、足を止めてそのやり取りを見守る。


「…私はもう母親としての役割を果たせない。だからせめて軍人としての役割をここで果たす」


「軍人として死ぬのは俺の役目だ!この子の母親はお前しかいない。生き延びてこの子を一緒に育てるんだよ」


泣きそうになりながら必死に食い下がるレメクを見て、女は彼の頬に手を添えてクスリと笑った。


「あなたなら大丈夫よレメク。私が惚れた男だもの」


「大丈夫なわけないだろ!いつかこの子に『ママは?』と聞かれた時、俺にどう答えろと?『ママを見捨てて逃げた』と、そう言えというのか!?」


「ただ『愛してる』と、そう伝えて」


ドンッ!ドンッ!と会議室のドアが激しく揺れる。


「レメク、時間が無いぞ!彼女の意志を汲んでやれ!」


「だめだ!置いてはいけない」


司令官が強引に彼を引き剥がそうとするも、諦めきれずに留まるレメクに向かって女は必死に声を絞り出す。


「お願い、父親としての役割を果たして!」


「…っ!」


強い声に弾かれたレメクは歯を食いしばり、赤子を抱えて裏口から走り去った。

次第に遠ざかってゆく赤子の泣き声に耳を傾けながら、女はふと何かを思い出したように呟く。


「ああ…。あの子におっぱいあげるの忘れてた…」


そのまま力無く顔を伏せ、ゆっくりと目を閉じる女。


「母親らしいこと、何もしてあげられなかったな…」


その直後、爆音と共に、入口を塞いでいた棚や机がドアごと弾け飛んだ。

灰色の砂塵が舞う中、銃器を構えて続々と室内に侵入する民兵達。


「異常無し!すでにもぬけの殻です」


しばらく室内の様子を探っていた民兵は、ふと壁に寄りかかったまま動かない女の姿を見つけ、銃口を向けながら近寄る。

ピチャ…ピチャ…と床の上に広がるおびただしい量の血溜まりを踏み、赤い足跡が女に近づく。

民兵が女の顔を覗き込んでみるも、そのまぶたは固く閉ざされ、呼吸をしている気配すらない。


「…死んでる」


それが死体と分かるや、ホッと肩の力を抜く民兵。女の全身に目を這わせると、ローブで覆われたお腹の部分が異様に膨らんでいることに気付いたため、服の裾をめくって確認してみる。


「妊婦か?」


しかしローブの下から出てきたのは丸いお腹などではなく、大量に抱きかかえられた黒くてゴツゴツとした塊であった。

その正体が爆弾だと認識するや、民兵は声にならない悲鳴を上げる。

不意に、死んだと思われていた女が急に顔を上げ、民兵に向かってニッと笑いかけたではないか。


「…ばぁ」


「みんな逃げ…!」


次の瞬間。

女を中心として凄まじい火炎と爆風がビルの中を一気に吹き抜けた。

全ての窓ガラスが粉々に砕け散り、ビル全体が炎を吐き出して大きく揺れる。


「くっ!」


背中越しに爆発の衝撃を感じながらレメクがとっさに赤子の上に覆いかぶさると、爆風に運ばれた大量の土煙が彼の体を覆い隠した。




そこから少し離れた場所で、一人の若者が燃え盛るビルを険しい表情で見上げていた。

惨状を映した瞳は真っ赤な輝きを放ち、風になびく髪の毛が炎のように不規則に揺らめく。

そんな精悍な顔つきの若者に、ビルの方からやってきた民兵が話しかけた。


「奴らは町を抜け出して低地に逃げたみたいだぜ、カイン。すぐに追いかけよう」


「…いや、この町から追い出せたならそれでいい。今は町の復興が最優先だ。犠牲があまりにも大きすぎた」


カインと呼ばれた若者は踵を返し、足下に転がる死体の山を何の躊躇もなく踏み越えながら、集まった民衆達に向かって高らかに宣言する。


「同士達よ。愚かなる王メトシェラは、自らが生み出した“新人類“などという怪物と共にこの地を去り、我々は戦いに勝利した。今度こそ我ら人間が、人間らしいやり方で人類を救うのだ。この地球全土が海に沈む前に、方舟計画を実行する!」


オオーッ!と民衆達の歓声が一帯に響き渡る。

革命の成功と共に、先ほどまで大勢の命を奪っていた銃声は祝砲に変わり、殺気立っていた民衆達の怒号は歓喜の声に変わった。

そんな光景を見てカインはほんの少しだけ肩の力を抜くと、その場を離れて最後の仕事へと取りかかる。


「カイン、こいつらはどうする?」


目の前には、十数名の政府軍捕虜が横一列に並んでいた。

いずれも両手を頭の後ろに当て、地面に膝をついて絶望に打ちひしがれている。


「殺せ」とカインは間髪置かずに答えた。


「誰一人として生かして残すな。この町から奴らの忌まわしい思想を根絶やしにして、二度と悲劇を繰り返さないために」


「そうこなくちゃな。…お前ら構えろ」


カチャリと民兵達の構えるライフルの銃口が一斉に向き、死を覚悟して歯を食いしばる捕虜達。

しかし発砲の直前、おぎゃあおぎゃあと乳児の泣き声が列の中から発せられたのを聴いて、カインは右手を上げて民兵を制止する。


「待て!」


泣き声の方へ歩み寄ると、捕虜の内の一人が乳児を背負っていた。

それは路地裏でレメク達を逃がすために時間を稼いだ男である。


「その子は新人類か?」


カインの問いかけに、男は恐る恐る頷く。


「呪われし怪物…。だが、裁かれるべきはそれを生み出した大人であり、子供に罪はない。こちらに引き渡せば、お前に代わりその子を育てると約束しよう」


カインからもたらされた提案に、捕虜の男だけでなく民兵も驚きを隠しきれず目を丸くする。

とはいえ、男にとっては我が子を救う願ってもないチャンスであり、断る理由などどこにもない。


「…慈悲に感謝する」


男は紐を解き、泣きじゃくる乳児を渡しながら礼を言う。

カインはそれを受け取るや否や、途端に冷酷な眼差しを男に向けた。


「慈悲などない。その子に待つのは、生き地獄だ」


「え…?」


ズドンッ!と銃声が響き、男や捕虜達が全員糸の切れた人形のようにバタバタと倒れる。

銃声に驚いた乳児の泣き声が一層激しさを増し、民兵は焦った様子でカインに歩み寄った。


「おい、化物は全滅させる予定だろ!?そのために大勢が死んだってのに、仲間達にどう説明する気だ?」


「こいつにはまだ利用価値がある。人類の未来のため、せいぜい役に立ってもらうさ」






静寂の中、おぎゃあおぎゃあという泣き声だけが嫌に響く。

誰もが無言で肩を落とし、重い足取りで低地へと敗走する政府軍。

家を失い、妻を失い、泣きじゃくる我が子だけを残されたレメクが途方に暮れる様子を見かねた司令官は、後ろからポンポンと彼の肩を叩く。


「まだ終わってはいないぞレメクよ。一旦状況を立て直し、準備が整い次第町を奪還しようぞ」


「…いいや、もう終わりさ。高地を奪われ、多くの仲間を失った。これ以上何ができるっていうんだ」


「では奴らが世界を滅ぼすのを指をくわえて見ているとでも言うのか!?」


「もうこれ以上争いは懲り懲りだ。この子を守るために、俺は俺のやり方でいく」


「なっ…!まさか降伏するんじゃあるまいな?皆の死を無駄にするつもりか!?」


「なんと言われようと、この子が生き残ればそれでいいさ」


「待てレメク!!」


レメクは赤子の体を揺すりながら弱々しい一歩を踏み出すと、彼の考えに同調した数名の仲間達と共に背中を丸めて別の道を歩んでいったのだった。






【方舟のノイ】






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