第8話 アルメリア侯爵ミランダ
予告通り、アルメリア侯爵の一行はおよそ一週間後にフレゼリシアに到着した。
何人もの官僚や使用人に加え、騎士五十騎もの護衛を引き連れた、まるで王の一行のような――実際、六十年ほど前まではアルメリア家も一国の君主家だったが――大所帯だった。
一行の規模については使者から聞いていたので、護衛たちの宿の用意を含め、迎える準備は抜かりない。フレゼリシア城に入城したアルメリア侯爵家の馬車、そこから降り立ったアルメリア侯爵ミランダを、ウィリアムは自ら出迎えた。
「アルメリア侯爵閣下。ようこそフレゼリシアへお越しくださいました。心より歓迎いたします」
「歓迎に感謝する、アーガイル卿。それに夫人も」
内心はともかく表向きはにこやかな笑顔を作ってみせるウィリアムに、ミランダは微笑を浮かべて答える。ウィリアムの傍らで微笑をたたえるジャスミンにも言葉をかける。
ミランダ・アルメリアは、四十代半ばの実年齢よりはやや若々しい印象。すらりとした長身に軍装を纏い、ダークブラウンの髪はやや短く整え、切れ者の雰囲気を漂わせる。その強い存在感に違わず、聡明さと度胸を兼ね備えた傑物として、貴族社会では知られている。
ウィリアムはアーガイル家の嫡男として彼女と言葉を交わしたことは何度もあるが、当主として対峙することにはまだ慣れていない。本格的に政治のやりとりをするのは今回が初めて。緊張せざるを得ない状況だった。
「急な来訪となってすまなかった。このような情勢で、我がアルメリア侯爵家も少しばたついていてな。なんとかまとまった時間を作ることができたので、急ぎ卿と会談したく思ったのだ」
「いえいえ、とんでもない。アルメリア侯爵閣下のご来訪となれば、当家としてはいつでも大歓迎ですよぉ」
ミランダの言葉に、ウィリアムは作り笑顔を崩さず答える。
実際は、こちらが会談に備える十分な時間を与えず、なおかつ極端な非礼にはあたらないぎりぎりの時期に使者を送り、来訪を予告してきたのは明らか。とはいえ、ウィリアムも貴族として建前を語ることは珍しくないので、特に不愉快さは覚えない。
「長旅でお疲れのことと存じますので、まずは客室へ案内させましょう。夜にはささやかですが会食の場を設けさせていただき、明日会談を――」
「いや、気遣いはありがたいが、時間が惜しい。疲れてはいないので、早速だが貴族家当主として仕事の話がしたい」
「……左様ですか。では、会談の場を整えますね」
五大名家の一角、その当主たる賓客の要望とあらば断るわけにもいかず、ウィリアムは言った。
・・・・・・
会談が始まってミランダが語ったのは、端的に言えば、アルメリア家の陣営に加わって動乱の時代を戦ってほしい、という要求だった。
国王が世を去り、次期君主は決まらずに、宮廷では第一王子と第一王女をそれぞれ中心とした派閥が今にも抗争を開始しようとしている。レグリア王国の情勢が極めて不安定な現状、アルメリア家としては隣人たるアーガイル伯爵家と手を結び、この危機を乗り越えていきたい。
アーガイル家が今後、アルメリア家の完全な味方となってくれるのであれば、たとえレグリア王家の庇護が大陸東部の全体に及ばなくなったとしても、アルメリア家がアーガイル家の領地や財産、地位や特権を保障する。場合によっては、現状以上の待遇となるよう力添えもする。
その対価として、アーガイル家にはアルメリア家を中心とした周辺一帯の秩序維持への協力――具体的には、政治的・経済的に連携し、戦時には味方として参戦することを求める。
一応は未だレグリア王国の一貴族であるが故にミランダも言葉を濁しているが、要するに自国の再興を目指すアルメリア家の側に与するのであれば、自国の貴族として迎え入れ、軍役と引き換えにこれまで通りの立場を安堵し、状況によって今以上の爵位や領地を下賜するという提案。
「いかがだろう、アーガイル卿。悪くない提案だと思うが」
「アーガイル伯爵家として、とても魅力的なお話だと思います。何より、アルメリア侯爵閣下より直接にお誘いいただけること、光栄の極みと存じますぅ」
ここはまず好意的な顔をしておくべき。そう判断したウィリアムは、作り笑顔のまま即座に答える。
良く言えば柔和な、悪く言えば頼りなさそうな笑み。そして声色。ウィリアムのこのような振る舞いに対し、ミランダは――少なくとも表向きは、侮る態度はとらない。
「そう言ってもらえて何よりだ……正直に言ってしまうと、我がアルメリア家が最も警戒しているのはレスター公爵家。レグリア王国の秩序が崩壊すれば、かの家はそれを好機と見てアルメリア侯爵領や周辺地域の安寧を脅かすであろうと考えている」
「……なるほどぉ」
ミランダの言葉を聞きながら、ウィリアムは笑顔を堅持する。
アルメリア家とレスター家が互いを敵視し、動乱の時代が到来すると同時に戦争を始めるつもりであることは、誰もが予想している。ミランダとしてももはや隠すつもりはないのだろうが、こうもはっきり言われると、ウィリアムとしてはやはり少し驚く。
「アーガイル卿。卿も、アルメリア家とレスター家の過去については知っているな?」
「はい、もちろん存じております」
「そうか。ではレスター家のかつての振る舞い――卑劣にもアルメリア家を裏切り、領地を荒らし回り、領民たちを殺し回ったことについて、正義の怒りを共有してくれるな?」
「……」
ミランダの言い方に、ウィリアムは思わず笑顔が硬直しそうになったのを懸命にこらえた。
「どうだ、アーガイル卿? それとも卿はレスター家の側に理解を示すのか?」
「……いえ、決してそういうわけでは。アーガイル家としては、いつも正義を貫く側でありたいと思っています」
「では、当家の正義の怒りを共有してくれるということだな?」
問いかけながら、ミランダは微笑を浮かべ、しかしその目は冷えていた。
「…………は、はい」
「そうか。レスター家のかつての非道について、アーガイル家と共通の認識があると分かって幸いだ。貴家が今後もそのような認識でいてくれると、当家としては嬉しく思う」
とうとう我慢しきれず、ウィリアムの作り笑顔が少しばかり崩れる。
前回の動乱の時代以来、アルメリア家とレスター家の間に深い因縁があることを知らない貴族はいない。当初と約束を違えたレスター家が悪いと見ることもできるし、所詮は勝った者が正義となる動乱の時代において、不運の結果とはいえ敗北したアルメリア家が悪いと見ることもできる。
だからこそ、勝者も敗者も皆揃ってレグリア王国の一員となった後、アーガイル家はこの二家の争いに中立の立場を貫いてきた。周囲に鉄を供給するアーガイル家の立場も盾となり、政争に巻き込まれる事態はこれまで防ぐことができた。
しかし次の動乱の時代を前に、ミランダはアルメリア家の当主として、このように強引な手段をとってきた。力ずくでアーガイル家を自家の側に引っ張りにきた。
これで後々ウィリアムがレスター家の側につけば、貴様はレスター家の卑劣さを認めておきながらその側に与するのか、とミランダは非難してくるだろう。そうして戦争の末にレスター家が敗北し、アーガイル家も共に敗者の側となってしまえば、アルメリア家からの報復としてどんな目に遭わされるか分かったものではない。
かといって、もしウィリアムがこの場でミランダの言葉に異を唱えれば、レスター家を庇おうとしているように聞こえてしまい、今後アルメリア家と協力する道を選んだ場合に致命的な禍根を残しかねない。
上手い立ち回りだが、ずるい。かといって、あらゆる点で格上のアルメリア家当主に面と向かってずるいと言うことなどできるはずもない。ウィリアムが言い返せないと、ミランダも分かってこのような言動を見せているはず。
大貴族は時に、力任せにこういうことを平然とするから苦手だ。もっと言えば嫌いだ。ウィリアムは内心でそう愚痴を零す。
「卿にも考慮すべき事情があり、調整すべき事項もあろう。今すぐにこの場で正式な返答をしてくれとは言わない。だが、協力関係の構築を前向きに検討してもらえると、当家としては幸いだ」
「えー……はい、もちろん。当家としても極めて重要な決断となるため、家臣たちも交えてじっくりと話し合った上で最終的なお返事をさせていただきたく存じますが、是非とも前向きに。それだけはこの場でお約束いたしますぅ」
ミランダの言葉に、ウィリアムは曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「そうか。では、いずれ良い返事をもらえることを期待しよう……先ほどの卿の言葉が嘘ではないと信じている」
そう言って笑みを深めたミランダを前に、ウィリアムは寒気を覚えた。
強気の姿勢を示しておいて、しかし即断を迫らずこの場での逃げ道を作ることで、追い詰めすぎずに話を終える。と思わせて油断させ、最後にもう一度、釘をさす。ただ攻めるばかりではない会話術は、ミランダがやはり傑物であることを表していた。