第6話 軍事力整備①
レグリア王家がエルシオン大陸東部を統一してからの六十余年、王国は概ね平穏を保ってきた。北や南の国境において時おり武力衝突が起こっているものの、それ以外では貴族も領民たちも平和を享受してきた。
それでも、国内外の情勢がいつどのように変わるかは誰も分からず、いつかは必ず情勢が悪化することが予想される以上、軍備が疎かにされることはない。
王領に百万の人口を擁するレグリア王家は、王国軍として一万の常備兵力と、さらに近衛隊五百を抱えている。この軍事力をもって、レグリア王家は盤石とは言えないながらも君主家としての権勢を維持し、王国に一定の秩序をもたらしてきた。
そして各貴族家も、領内の治安を維持し、自家の一族とその財産、家臣と領民を守るため、それぞれ手勢たる領軍を保有している。その兵力は各貴族家の経済力や、領内外の様々な事情に左右されるが、概ね人口の一パーセントに届かない程度。
アーガイル伯爵家も例外ではなく、およそ十二万の領地人口に対して一千の正規軍人から成る領軍を抱えている。
その内訳は、まず騎士が三百人。伯爵家より叙任を受け、戦場において騎乗を許された身分である彼らは、重装備の白兵戦力として領軍の中核を担っている。
このうち五十人は、アーガイル家一族の身辺警護や居所たるフレゼリシア城の警備などを担う親衛隊を編成している。親衛隊に所属する騎士の多くは伯爵家に古くから仕える譜代の家臣家の出身で、ギルバートはこの親衛隊の長を務めている。
次に、弓兵が五百人。よく鍛えられたアーガイル伯爵領軍の弓兵部隊は、いざ戦時になれば頼もしい味方あるいは厄介な敵になり得る存在として、周辺の貴族家からも認知されている。
騎士ほどではないが維持に金のかかる弓兵が、領軍の半数を占めるというのは、実のところ珍しい。このような極端な編成になっているのは、アーガイル伯爵領軍が領地防衛、特に領都フレゼリシアと鉄鉱山の防衛に主眼を置いて作られているため。練度の高い数百の弓兵は、城郭都市を守る上でこの上なく心強い戦力となる。
そして最後に、歩兵が二百人。騎士や弓兵に比して小規模な歩兵部隊がわざわざ編制されているのは、非常時に徴集された民兵を率いる隊長格とするため。
これら総勢千の領軍に加えて、三百人規模の任期制の兵士から成る部隊が、平時から維持されている。
この兵士たちは基本的な訓練を積む傍ら、正規の領軍歩兵たちの部下となり、関所や橋など重要施設の運営、都市の城門管理や市街地警備などを担う。
彼らの任期は二年。この任期を終えた後も、戦時は他の領民よりも優先的に徴集される義務を負う。給金は安いが、三食付きの兵舎というかたちで食と住は保証されるため、退役のときにはまとまった額の金が貯まる。また、二年の任期を務め上げれば生涯にわたって人頭税が免除され、都市の城門や橋、関所の通行料も無料となる。
そのため、継ぐべき家や土地、店や工房などのない貧困層の若者が多く入隊する。そのままでは将来も困窮し、路上で暮らしたり犯罪などに手を染めたりすることになりかねない彼らは、任期制の軍隊生活を経ることで、まとまった金や税制面での有利を得て、人生を切り開く機会をも得る。
一方で為政者たるアーガイル伯爵家にとっても、この制度は多大な利点がある。
任期制の兵士たちを平時の雑多な軍務の主力とすることで、領軍の正規軍人たちの負担を減らして練度維持のための訓練時間を確保させることができる。貧困層の若者に人生を切り開く機会を与えることで、犯罪率の増加を予防し、領内の治安を向上させることも叶う。
また、軍隊経験のある成人男子を増やすことで、戦時はある程度「まともに戦える」徴集兵を揃えることができる。
徴集された民兵でも、武器をまともに握ったこともない者と、一応は体系的な軍事訓練を受けたことがある者とでは、戦力として雲泥の差がある。アーガイル伯爵領のこの軍制ならば、平時の財政や社会の負担を抑えつつ、戦時は領軍に加えて、ある程度組織立って戦うことのできる数千の兵士を揃えることができる。
総合的に見て、アーガイル伯爵領の軍備は領地規模に比して充実している方だと言える。これもやはり、フレゼリシア鉱山の恩恵だった。領内から得られる税収はもちろん、鉄鉱山が生み出す富を源とすることで、アーガイル家はこれだけの軍制を維持できている。
そんなアーガイル伯爵領において、軍部の頂点に立つのが領軍隊長ロベルトだった。家令のエイダンと並んでウィリアムの最側近であるロベルトは、名目上の最高指揮官であるウィリアムの下で実務を担い、全軍を統括している。
「今のところ、訓練計画は予定通り進んでおります。遅くとも冬明けまでには、軍隊経験のある五十歳以下の徴集兵、およそ四千五百人を再訓練し終える見込みです」
領都フレゼリシアの城壁外に広がる庶民街の、さらに外。平原で行われている訓練を視察に訪れたウィリアムに、自ら案内を務めるロベルトはそう語った。
訓練に臨んでいるのは、かつて任期制の兵士を務め、今再び集められて訓練を施されている徴集兵、およそ三百人。
訓練期間はおよそ一週間。一週間で彼らに武器の扱い方と、隊列の組み方を思い出させる。いざ戦争が起こる場合は、出撃に向けて再び集結させた際、さらに訓練を施して練度を高める予定。
「なかなか様になってるねぇ。この隊は再訓練を始めて何日目?」
「四日目です。こうして再訓練を施すのは私も初めてですが、皆、かつての訓練は案外覚えているようですな。年配の者たちは動きが多少おぼつかないようですが、徴集兵として考えれば十分以上でしょう」
ウィリアムの問いかけに、ロベルトはそう説明した。
徴集兵たちが扱っているのは、身の丈をやや上回る程度の長さの槍。ある程度の間合いがあり、高度な技量がなくとも突き出すか振り回すだけで敵を殺傷できるため、限られた任期と訓練時間で領民たちを戦力化する上では最も都合が良い武器だった。
さらに言えば、剣と違って槍ならば鉄を使うのが穂先の部分だけで済むため、数を揃えておく費用を節約できる。フレゼリシアをはじめ領内の各都市には合計で数千本の槍が保管されており、戦時は徴集兵に支給される。大半の貴族領では徴集兵に武器を自弁させ、その結果農具などを抱えてくる者も多いことを考えると、アーガイル伯爵領の軍備は相当に恵まれているものと言える。
徴集兵たちはフレゼリシア城の備品である槍を抱え、上官である正規歩兵たちの指示に従って整列し、移動し、陣形を作る。正規の歩兵部隊と比べれば練度は相当に劣るが、それでも命令の通りに動けるだけ、徴集兵としては上等な部類だった。
また、訓練場となっている平原の一角では、別の訓練を行っている集団がいる。
その数は徴集兵三百人のうち、五分の一ほど。彼らが持っているのは、他の徴集兵たちの槍と比べて倍も長い槍だった。
長槍を携えた徴集兵たちは、指揮官の合図で一斉に陣形を作る。
三列に並んだうち最前列の兵士たちは、腰を落とし、穂先の反対側、石突を地面に突き立てるようにして槍を斜め上に構える。彼ら最前列の兵士たちの間から、二列目の兵士たちがやはり同じように構える。そして最後尾、三列目の兵士たちは、腰の高さで構えた槍を斜め上に向ける。
こうして築かれたのは、重厚な槍衾。これは主に、突撃してくる敵、特に騎兵部隊を撃退するための密集陣形だった。
アーガイル伯爵領軍は城郭都市などの防衛戦を想定した常備軍だが、例えば他国との大規模な戦争が起こった際の参戦や、協力関係にある他家と共闘するための出征など、場合によっては会戦に臨むことも当然あり得る。
開けた場所での会戦で、最大の脅威となるのが騎兵部隊による突撃戦法。アーガイル伯爵領軍の自慢である精鋭の弓兵部隊も、接近戦での防御力に関しては貧弱。騎馬の集団がまともに迫ってきては太刀打ちできない。
この騎馬突撃への対策としてアーガイル家が力を入れているのが、長槍兵部隊による防御戦術だった。極端に間合いの長い槍を用いた槍衾ならば、敵騎兵部隊を殲滅することはできずとも、突破を許さず撃退する程度は叶う。
騎馬突撃をまともに受け止めるために度胸と勇気を必要とする長槍兵に関しては、任期制兵士の中から志願者を選んで部隊を編成している。徴集兵に関しても、かつて長槍を持っていた者たちが再び長槍を持っている。
彼ら長槍兵は他の任期制兵士よりも報酬が多少高い上に、特別な栄誉が与えられる。一際勇敢な者たちとして伯爵家から称賛され、正規軍人たちからも一目置かれる。アーガイル伯爵領には昔から、長槍兵を称える歌まである。
そのような扱いもあり、危険な役割を担う長槍兵への志願者は、意外にも事欠かない。腕っぷしが自慢の者などはこぞって長槍を持ちたがる。長槍兵を務めた者は勇敢で立派な人間と見なされ、他の軍隊経験者と比べてもさらに大きな社会的信用を得られる上に、女性からも人気を得るのだという。
陣形を作る長槍兵たちは見るからに体格が良く、動きに迫力があり、何とも頼もしかった。