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ウィリアム・アーガイルの憂心 ~脇役貴族は生き残りたい~  作者: エノキスルメ
第一章 偉大な王国、崩壊間違いなし
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第5話 ウィリアムの憂鬱

 ウィリアムが領地を空けている間の領地運営は、妻のジャスミンが領主代行として担ってくれていた。彼女はウィリアムから全権を預かり、エイダンやロベルトの補佐を受けながら無難に政務をこなしてくれていた。

 しかし、あくまで領主代行。どうしても領主当人に代われない仕事はある。後であらためて領主当人に確認してもらわなければならない事項も。

 領都フレゼリシアに帰還したウィリアムの政務はまず、王都に出向いている間の一か月半で溜まったそれらの仕事を片付け、不在中の重要事項について確認することから始まった。

 ジャスミンとエイダンから説明を受けつつ、鉄鉱山運営の決済関係など、自身の確認が必須の書類を片付ける。御用商人や職人をはじめとした、領内の要人たちと面会する。ジャスミンが処理した領民からの陳情のうち、重要そうなものに目を通す。それら領主としての役割を果たし、並行して平時の政務をこなした。


 忙しい時期を乗り越えたのは、帰還から二週間ほど経った頃。ようやくまともな休日を得たウィリアムは、朝から居間で読書をしていた。

 フレゼリシアは鉱山都市であるが、鉱山そのものに接しているわけではない。山脈の麓の平原に築かれた城郭都市で、西には清涼な川が流れ、周辺には森も点在する。完全な平地ではなく、北東から南西にかけてごく緩やかに下る地形となっており、そのおかげで風通しもよく暮らしやすい都市だった。

 そんな故郷で休日を過ごしながら、ウィリアムの表情はあまり明るくない。


「やっぱり、前みたいには安らげないなぁ」


 読んでいた本から視線を上げ、何とはなしに天井を見上げる。呟きと共に零れるのはため息。


「やはり、今後の情勢が気になられますか?」

「うん。こうして穏やかに暮らす毎日も、そう遠くないうちに終わると思うと……どうしても心から気楽に過ごすってわけにはいかないよねぇ」


 温かいお茶を淹れながら尋ねたアイリーンに、ウィリアムはしょぼくれた顔で頷く。

 情勢から考えて、レグリア王国がそう長く大陸東部を統一しきれないことはウィリアムも分かっていた。いずれ、自分がアーガイル伯爵家の当主を務めているうちにも、動乱の時代が来ると予想はしていた。

 しかし、漠然といつかは動乱が始まるだろうと考えながら日々を過ごすのと、現実的な困難として来年にも始まるだろうと思いながら日々を過ごすのとでは、心持ちはまったく異なる。実質的にあと半年もすればこのような平穏は失われている可能性が高く、来年の今頃は自分が生きているかも分からないとなれば、子供の頃からの趣味である読書にも身が入らない。


「領主の僕がそわそわしてたら家臣や領民の皆も不安にさせちゃうかもしれないし、ほんとはもっと落ち着いて、どっしり構えられるようになりたいけど……」

「いいのよ、ウィリアム。世の中の全員がどっしり構えている必要なんてないんだから。あなたにはあなたなりの、領主貴族として素晴らしい才覚があるの。あなたが不安を感じるなら、私や家臣の皆が支えればいいの。そしたら動乱の時代だって生きて乗り越えられるわ」


 隣に座っていたジャスミンはそう言いながら、作り進めていた趣味の木工細工とナイフをテーブルに置き、ウィリアムを自身の方へ引き寄せ、優しく腕の中に抱き包む。


「……ありがとうジャスミン。好きだよぉ」

「……っ、私も好きよ。大好き。愛してる。私だけのウィリアム。全部私のもの」


 熱を帯びた声で言いながら、ウィリアムを抱くジャスミンの腕に力がこもる。


「あはは、僕は幸せものだねぇ、マクシミリアン」


 妻から熱烈に愛される幸福を感じながらウィリアムが声をかけたのは、のそのそと傍へ歩み寄ってきたリクガメだった。マクシミリアンと名づけられているこのリクガメは、アーガイル伯爵家の一員として扱われ、可愛がられている。

 アーガイル家の家紋は、長い繁栄をもたらすというリクガメの意匠。それもあって、フレゼリシア城では常にリクガメが飼われてきた。このマクシミリアンは、先代のリクガメが老齢で弱ってきた七十年ほど前、ウィリアムたちの祖母が生まれた年に同じく生まれ、迎えられた。

 祖母が世を去った今も、マクシミリアンはまだまだ健在。甲羅の直径一メートルほどまで育った巨体で、いつも悠々と館の中を歩き回っている。高祖父からウィリアムまで五代の当主に寄り添いながら、レグリア王国による東部統一やそこに至るまでの動乱の時代、さらにその前の小国共存の時代までをも乗り越えてきた、ある意味ではこの家で最も敬うべき年長者。

 とはいえ、七十年をこのフレゼリシア城でのんびりと過ごしてきたマクシミリアンは人の世の移り変わりなど知るはずもなく、自身の名を呼ぶ声にいつも通りのんびりと反応して、現在の主人の方を向く。ジャスミンに抱き締められたウィリアムを一瞥すると、またのそのそと歩き出し、陽光の差し込む窓際に鎮座して日向ぼっこを始める。


「ほら、マクシミリアンも言ってるわ。勇ましさじゃなくて聡明さこそがウィリアムの武器なんだから、あなたはあなたのままでいいって」

「ほんとに言ってるぅ~?」


 当主夫妻のやり取りと、それを気にもとめず昼寝を始めたマクシミリアンを前に、居間の隅に控えるアイリーンがクスッと笑いを零した。

 マクシミリアン――もといジャスミンが言ったように、ウィリアムは幼い頃から聡明な嫡男として知られていた。将来は経済大領の主にふさわしい優秀な領主になるだろうと父や家臣たちから期待される一方で、その聡明さが少々悪い方向にも働いたのか、よく言えば慎重で繊細、悪く言えば後ろ向きで悲観的な考え方をする癖があった。

 この性格については、貴族社会からの評判はあまりよくない。伴侶であるジャスミンが何事にもあまり動じない性格のため、二人一緒に社交の場に出るようになってからは、比較されて陰口を囁かれることも珍しくない。家名の威光のおかげもあり、公然と馬鹿にされることはないが。


 領地を運営する為政者として考えると、慎重さや繊細さを備えていることは決して悪いことではない。とはいえ、物事を悲観しがちであることは褒められたことではない。自身の欠点はウィリアムとしても自覚しているが、二十年をこの性格で生きてきて、今からこの性格ががらりと変わるとは思えない。

 それはきっと、動乱の時代が始まってからも同じこと。この性格のまま、自分なりに動乱を乗り越えていくしかないのだと、ウィリアムは諦念交じりに考えている。

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