第4話 状況確認
帰還当日はゆっくりと休み、夜にはジャスミンにたっぷりと癒され、翌日は夫婦で仲良く正午近くまで惰眠を貪って起床後もだらだらと読書などをしながら過ごし、さらに翌日。ウィリアムは最初の仕事として、家臣たちとの会議に臨んでいた。
城館の会議室に集まったのは、ウィリアムとジャスミン、エイダンとロベルト、そしてアイリーンとギルバートだった。
今回の王都訪問、その中で起こったことについては、会議に先立ってアイリーンとギルバートが概要を報告してくれている。国葬の場での王家や貴族たちの様子について、ウィリアムがあらためて詳しく語った上で、今後まず間違いなく起こるであろう動乱の時代にアーガイル家としてどう立ち回るかが、これから話し合われる。
「立ち回り方って言っても、レスター公爵家につくかアルメリア侯爵家につくか、実質二択かなぁ……ほんと、うちの領地はなんでこんな立地なんだろうねぇ。よりにもよって二つの大貴族領の間なんて」
「今さらそのようなことを嘆いても、領地ごと引っ越すことはできない以上、現状を受け入れて生き残る道を模索するしかありますまい。過去のアーガイル家当主の方々も、そのようになされたのですから」
言っても仕方のない愚痴を吐くウィリアムに、半ば呆れながらエイダンが返す。
「しかし、難しい選択ですな。閣下が嘆かれるお気持ちも分かります……レスター公爵家とアルメリア侯爵家の険悪な関係や、アーガイル伯爵家の立ち位置を考えれば、与した側が勢力争いに破れた場合、もう一方に降伏したからと言って温かく迎えられるとは思い難い」
腕を組みながら言ったのはロベルトだった。
アーガイル伯爵領の東に領地を持つレスター公爵家と、西に領地を持つアルメリア侯爵家。この両家はひどく仲が悪いことで知られている。
その原因は、レグリア王国の建国前、前回の動乱の時代までさかのぼる。
当時、大陸東部は六つの小国に分かれていた。そのうち東端の国がレグリア王国の征服に乗り出し、しかし返り討ちに遭って逆に征服された。その国の王領やいくつかの貴族領を吸収したレグリア王家は、大陸東部において頭ひとつ抜けた存在となり、東部統一に乗り出した。
これに対抗するため、元より国境紛争を抱えていたレスター王国とアルメリア王国は、一時休戦しての共闘を決意した。両国が共闘し、さらに西のヴァロワール王国や南のキルツェ王国とも協同して包囲すれば、勢力を増したレグリア王国に勝利することも十分に可能だった。
しかし、ここでレスター王国において不幸な事態が起こった。将として極めて有能で、王国軍人や貴族たちからの求心力も極めて高かった王太子が、戦争の準備を進めていた最中に事故死した。貴族家の手勢や傭兵なども加えた騎兵部隊の連係を確認する訓練中に馬が転倒し、後続の騎馬に踏まれて死んだ。
王太子の母である女王は高齢で、心身に病を抱えていた。女王自身に求心力はほとんど残っておらず、勇壮な王太子を中心にレスター王国はまとまっていた。愛する我が子の死にひどく動揺し、己一人では軍も貴族もまとめきれないと考えたレスター女王は、そのままレグリア王家に降伏してしまった。
当時のレグリア王は、この急な事態を上手く利用した。レスター家の降伏を受け入れ、莫大な賠償金と引き換えにその領地を全て安堵した。さらには両家を姻戚関係で結び――具体的には、事故死した王太子の息子と自身の末娘を婚約させ、レスター家に公爵位を下賜した上で傘下に迎えた。
レスター王国に属していた各貴族家は、当初は故国の突然の崩壊に混乱していたものの、レグリア王家が寛容な姿勢を示すと次々にその下に集まり、忠誠を誓った。アーガイル伯爵家も、そのような貴族家のひとつだった。
一方で、残されたアルメリア王国としてはたまらなかった。いざ戦争を始める直前に、共闘するはずだった友邦の軍勢が敵側に寝返ったのだから。
南東と北東の二方向から攻められることとなったアルメリア王国は、防戦に臨んで一旦は持ちこたえたが、多勢に無勢ですぐに押し込まれた。ちなみにこの際の戦いで、レグリア王国側として参戦した当時のアーガイル伯爵、すなわちウィリアムの高祖父は戦死している。
アルメリア王国のすぐ南に位置するヴァロワール王国は、本来はさらに南のキルツェ王国を支援し、小山脈を挟んで東にあるレグリア王国を間接的に攻撃する予定だった。アルメリア王国の支援に回ろうにも、急に計画を変更して動くことは難しかった。
ヴァロワール王国が援軍を編成して送り込むよりも早く、アルメリア王国はレグリア王国に降伏し、アルメリア家は侯爵家として傘下に加えられた。残るヴァロワール王国とキルツェ王国も、もはや多勢に無勢の状況で勝敗は決したと考え、さほど経たずレグリア王家に下った。そうしてレグリア王国が大陸東部の統一を果たした。
アルメリア侯爵家としては、元より仲が悪かった上に、事情があったとはいえ土壇場で裏切ったに等しいレスター公爵家をそう簡単に許せるはずがない。レスター公爵家としても、露骨に敵視してくるアルメリア侯爵家と今さら仲良くはできない。結果として、同じレグリア王国貴族となってからも、両家は決して相容れない存在として険悪な関係を保ってきた。武力こそ用いないものの、政治や経済の面で激しく争ってきた。
平時においてもそのような状況にあった両家。これで表立って暴力を振るえる動乱の時代を迎えたら、どうなるかは想像に難くない。再独立しても仲良く国を並べて共存していくことは極めて難しい以上、因縁に決着をつけようと本格的な戦争に突入し、どちらかの家が滅亡するか力関係が決定的になるまで戦い続けるのは目に見えている。
だからこそ、両家の領地に自領を挟まれているアーガイル伯爵家も戦いからは逃れられない。
かつてはレスター王国に属し、高祖父の代まで遡ればレスター家との血縁関係もあるアーガイル家だが、一方で現在はアルメリア家とも血の繋がりが皆無ではない。大陸東部が統一された後は中立を保ち、両家と経済的な結びつきを維持しながら、その係争からは距離を置いてきた。今回の動乱ではどちらの家に与するかをあらためて選ばなければならない。
両家とも、鉄鉱山を有するアーガイル家が大人しく臣従しないのであれば、いっそのこと鉄鉱山ごと領地を奪い取り、自家のものとしたいはず。ウィリアムが両家の戦争に参加し、敗者として終結を迎えたならば、どのような目に遭うか分かったものではない。まず間違いなく鉄鉱山は取り上げられるであろうし、アーガイル家そのものが滅亡に追い込まれてもおかしくない。
それ以前に、戦場に立ったウィリアムが生きて敗戦を迎えられるとも限らない。殺した方が後々都合が良い敵貴族など、戦場では優先的に狙われて当然。
敗北した場合の結末は今のところ想像することしかできないが、ろくなことにならないのはまず間違いない。だからこそ、選択は慎重にしなければならない。
とは言ったものの。
「とてもじゃないけど、今すぐになんて決めきれないよねぇ」
「いずれレグリア王国が崩壊のときを迎えれば、このような選択を迫られることはアーガイル家としても予想していましたが……決断のときがこれほど早まるとは、さすがに誰も思っていませんでしたからな」
椅子の上で器用に膝を抱えるウィリアムの隣で、エイダンが語った。生真面目な彼としては珍しく、ため息交じりに。
レグリア王国による東部統一の体制もそう長持ちはせず、いつかは動乱の時代が訪れる。とはいえ、それは少なくとも来年や再来年という差し迫った話ではない。
誰もがそう考えていた中でのこの事態。きっとエイダンも、どうして自分が家令のうちに、それも老いて引退を待つばかりとなった頃にこんな大変な時代が来るのだと嘆きたいはずだった。頑固なほど生真面目なこの忠臣は、主が見ている前では決してそのようなことはしないが。
「やっぱり、ひとまずは情報収集をするのが最善かしら?」
「そうだねぇ。他の中小貴族家がレスター家とアルメリア家のどちらにつくか分かったら、両家の有利不利も見えてくるかもしれないし……こういう大事な選択を先延ばしにするのは気持ちがもやもやするけど、今は仕方ないかなぁ」
レグリア王国には王家と四大貴族家以外にも、数多の中小貴族家がある。レスター公爵領とアルメリア侯爵領それぞれの周辺にも、アーガイル伯爵領を含めいくつもの貴族領が並んでいる。
それらを治める貴族たちがどの陣営につくのか。その把握は、アーガイル家が勝者の側につくためには必須のことだった。だからこそウィリアムは、愛する妻の提案に頷いた。
「エイダン、頼んでいい?」
「かしこまりました。諜報員たちをそれらの情報収集に専念させ、商人たちからも重点的に情報を集めましょう」
アーガイル家には、家臣として少数ながら専任の諜報員がいる。懇意にしている大商人たちや、子飼いの行商人連中も情報を提供してくれる。それらの情報源から集まる報告の統括も、ウィリアムの最側近であるエイダンの仕事のひとつだった。
「ありがとう、よろしくね。後は……ロベルト」
「いつ戦争が始まっても対応できるよう、軍を動かす準備ですな?」
ロベルトはただ騎士として屈強なだけでなく、軍を率いる指揮官としても優秀。察しのいい領軍隊長の言葉に、ウィリアムは頷く。
「とりあえず領軍はいつでも全力を出せるように。それと、こういうときの規則通り、軍隊経験者を優先しながら民兵も徴集できるようにしてもらって……来年の冬明けまでに、領軍と合わせて最大で五千人くらい動員できるようにしといてほしいかなぁ。領内に侵攻を受けたりしない限り、全軍同時には動かさないけど」
「承知しました。お任せください」
ロベルトは右手で拳を作ると、親指側を自身の左胸に向け、力強く叩いた。それはこの大陸東部における、一般的な敬礼の仕方だった。
「頼んだよ……それじゃあ後は、しばらく様子を見ようかぁ」
肩の凝る話し合いを一段落させ、ウィリアムは大きく伸びをする。
もはや崩壊前夜とはいえ、巨大な王国の動きは鈍い。各家が準備を整え、本格的に争い出すのは早くても来年、暖かくなってからのこと。
少なくとも、来週や来月に事態が動くことはない。もうしばらくは平穏な日々が続く。残された猶予を大事に大事に過ごさなければと、ウィリアムは考える。