第41話 こんな平和な毎日が
レアンドラでの仕事を終えたウィリアムが自領に帰還し、平穏な日常に戻ってからしばらく経った十一月の初頭。フレゼリシア城の会議室では、定例会議が開かれていた。
「新たにアルメリア侯爵領となった旧レスター公爵領南部ですが、目立った混乱は見られません。沿岸部の都市群に関しても、それぞれの機能を保ちながら問題なく社会が回っているようです」
そう報告するのは、情報収集を含めた行政実務を統括する家令のエイダン。
アルメリア家の陣営の安定、延いてはアーガイル伯爵領の安寧のためにも、旧レスター公爵領南部には安定していてもらわなければならない。アルメリア家が新領地の統治に難儀し、その隙を王家やヴァロワール家に突かれてはたまらない。
だからこそ、旧レスター公爵領南部がどのような状況かは、ウィリアムとしても注目すべき情報だった。
「それは何よりだけど……あれだけ大きな領地を引き継いでも問題なく回せるって、アルメリア家は凄いねぇ」
感心を通り越して少しばかり呆れを滲ませながら、ウィリアムは言う。
レスター家よりアルメリア家に割譲された領地の人口は、推定で四十五万ほど。そのうち幾らかはアルメリア家の家臣や陣営の貴族たちに分け与えられているが、それでも三十万を優に超える領民の暮らす地を、アルメリア家は新たに統治することとなった。
官僚や軍人に関しては、多くがレスター家よりそのまま譲られ、引き続き雇われている。彼らも大半は一般領民との差はなく、主が変わろうがこれまで通りの給金が支払われればこれまで通りに働く。話によるとミランダは給金の額を多少上げたということなので、そうした末端の家臣の継承に関してはおそらく問題も起こらない。
そして、主がレスター家であるが故に忠誠を誓っているような近しい家臣たち――側近格の官僚や親衛隊などは、レスター家と共に北部へ引っ越していった。なので、アルメリア家はレスター家から引き継いだ新領地に関して、行政や軍事の監督を担う代官とその側近格を揃え、送り込めば済む。
とはいえ、その人材だけでも簡単に揃えられるものではない。沿岸部には、これまでレスター家の権勢を支えていた都市群――人口二万から三万ほどの四つの都市。その他にも、人口一万以下の中小都市が合計で七つ。中には地元の名士などが代官を任されていた都市もあるが、多くはレスター家の重臣が代官として管理を担い、その他の幹部もレスター家から信頼を置かれる家臣で固められていた。
それを丸ごとアルメリア家の家臣に入れ替えるとなれば、簡単なことではない。飛び地の主要都市の管理を任せるとなれば、誰でもいいわけではない。一定以上の信頼をおける家臣をそれだけ揃えられるほどに家臣団の層が厚いのも、元は一国の王家であるアルメリア家だからこそか。
「同感です、閣下……そして、アーガイル家による移住者勧誘も順調に進展しております。鍛冶師などの技術者に関しては、若く将来有望な人材が多く集まっているようです。レスター公爵領の各都市は職人の同業者組合が一際強いため、そのような環境に閉塞感を覚えていた者たちが移住に名乗りを上げています。労働者に関しても、健康で体力のある若者からの応募が順調に集まっております。特に後者に関しては、素行や経歴に問題がないか注意して調べる必要があるため、今しばらく時間がかかりますが、冬明けまでには概ね完了するかと」
「ありがたいねぇ。うちの領地を選んでくれる人がそれだけたくさんいて……受け入れ準備の方も問題なく進んでる?」
家族を含めれば総勢で三千人を超えるであろう移住者は、アーガイル伯爵領にある四つの都市――領地の中央北側に位置する領都フレゼリシアと、その西の山岳地帯で石材採掘を主な産業とする人口三千ほどの都市、東の領境あたりに位置する人口五千ほどの都市、南西の領境あたりに位置する人口七千ほどの都市に、分散して迎えられる予定。特にフレゼリシアには移住者の半数を住まわせる見込みとなっている。
それだけの人口が増えるとなれば、既存の空き家だけでは到底足りず、新たに多くの家屋を建てなければならない。その他の都市機能についても、民間に任せていてもいずれ自然と強化されるだろうが、それでは間に合わず不便が発生しかねないため、領主家から支援して迅速な強化を促さなければならない。
また、年々人口の増えるフレゼリシアは、既に城壁内には全住民が収まらず、城門の外まで市域が拡大している。この新市域に住んでいるのは、比較的貧しい者たち。非常時は城壁内に逃げ込んでもらうことになっているとはいえ、その避難も必ず間に合うとは限らず、間に合うとしても彼らは家を捨てて逃げる羽目になる。
アーガイル家としては、いずれこの状況を改善しなければならないと考えていた。まとまった移住者がやってくる今は、城壁の拡張に踏み切るのに丁度いい時期だと言える。
その点についてウィリアムが尋ねると、エイダンに代わってアイリーンが答える。
「家屋の建設と都市機能の強化、フレゼリシアの城壁拡張、いずれも予定通りに進んでおります。家屋については来年の夏までに、城壁については来年末までに、工事が完了する見込みです」
「それならよかった。大変な仕事だと思うけど、引き続きよろしく頼むね」
次期家令としての修行も兼ねてこれらの重要な事業の統括を担っているアイリーンに、ウィリアムは柔和な笑みを浮かべて言う。
アーガイル軍の帰還から間もなく、アイリーンはギルバートと結婚した。形式としては、ギルバートがアイリーンの家に婿入りし、ギルバートの家は彼の妹――彼女も優秀な騎士として、主にジャスミンの身辺警護などを担っている――が継ぐことになった。
結婚後も二人は変わらず活躍し、頼れる側近としてウィリアムの領地運営を支えてくれている。
・・・・・・
「――それじゃあ、今日の会議はおしまいだね。皆ご苦労さまぁ」
その後もしばらく各事項について家臣たちの報告を受けたウィリアムは、全ての報告内容が出揃った後、そう言って会議を締めた。
この日の自身の政務は終了とし、向かうのは主館の奥、領主家の私的な空間。愛する伴侶ジャスミンと、そして愛する我が子のもとへ急ぐ。
「おかえりなさいウィリアム。今日もお仕事お疲れさま」
「ただいまぁジャスミン。疲れたよぉ。二人に会いたかったよぉ」
居間のソファでくつろぎ、優しい笑顔で迎えてくれたジャスミンに答えながら、ウィリアムは彼女の隣に座る。
彼女の腕に抱えられているのは、先月生まれたばかりの娘キンバリー。名前はウィリアムの亡き母からとっている。
出産では特に危険な場面もなく、むしろ産婆や手伝いの女性家臣たちも驚くほど、キンバリーはすんなりと生まれてきてくれた。自分の家系は皆安産だったから心配ないとジャスミンは語っていたが、結果として彼女は正しかった。
誕生からもうすぐ一か月。少しずつ成長していく娘の顔を見るのが、今のウィリアムにとっては何より楽しいひとときとなっている。
「キンバリーは今日も元気だった?」
「ええ。たくさん寝て、たくさん泣いて、食欲も旺盛よ……ついさっき目を覚ましたの。まるでお父さんが帰ってくるのが分かってたみたい」
そう語るジャスミンの腕の中で、今は起きているキンバリーは、帰ってきた父親の顔をじっと見つめている。ウィリアムと同じ、翡翠のような淡いグリーンの瞳で。
「あはは、僕を迎えるために起きてくれたのかな? おかげで仕事の疲れも吹き飛んだよ」
「だぁ~、だっあっ」
ウィリアムが語りかけると、キンバリーは何やら答え、ご機嫌に笑い返してくれた。キャッキャッと笑うその反応を見て、ウィリアムはジャスミンと顔を見合わせ、思わず小さく吹き出す。
領地運営は問題なく回り、家屋建設や城壁拡張といった再開発のおかげで領内社会は活気づいている。そして愛娘は順調に育ち、家族の団欒の時間が日々の疲れを癒してくれる。こんな平和な毎日がずっと続けばいいのにと、ウィリアムは思う。
しかし、世界はそう都合よく回ってはくれない。




