第31話 第二案
「……右が少し厳しいか」
丘の上の本陣より戦場全体を俯瞰しながら、ミランダは呟いた。
アルメリア軍を基幹とした中央主力は、期待通りの奮戦を見せている。レスター軍を主力とした敵側の中央主力を着実に押しており、もうしばらく戦えば予定通りに中央突破を成すだろう。
そして左翼のアーガイル軍も、まさしく「リクガメの守り」と呼ぶべき活躍を果たしている。リュクサンブール伯爵領軍の破壊騎兵による騎馬突撃を見事に受け止め、そこへフェルナンド率いる騎兵部隊が突撃を仕掛けたことで、敵側の騎兵部隊は後退した。アーガイル軍とこちらの騎兵部隊の中央の動きや、掲げられている旗を見るに、ウィリアム・アーガイル伯爵もフェルナンドも未だ健在。戦況は落ち着いており、ひとまず安心していい。
問題は、こちらの右翼を担う諸貴族軍。徐々に陣形が崩れ、敵側の左翼に押されている。
原因は、右側面の森からの攻撃。敵の別動隊が、森の中から諸貴族軍の右側面へ奇襲を仕掛けたようだった。
とはいえ、三千の兵力を擁する諸貴族軍に有効な奇襲を仕掛けるのであれば、少なくとも数百の兵力が必要。しかし、それだけの兵力をまともな道もない森に入らせ、進軍させ、開戦まで潜ませておくのは極めて難しい。だからこそ、ミランダもこちらの陣営の右手側に広がる森を、敵の側面攻撃を防ぐ盾と見なして戦いに臨んでいる。
しかし、敵軍は困難な奇襲を成功させた。このような奇襲を実現しているのは、おそらく大陸北部に暮らす部族。
北の寒冷地帯は、険しい地勢の中に森が点在する世界。そこで生き抜いてきた人々は不整地での進軍や戦闘、隠れて移動しての遊撃などを得意とし、だからこそ寒冷地帯と領境を接するレスター家は、非友好的な部族による領内侵入への対応に手を焼いてきたという。
しかし、寒冷地帯の部族も全てが非友好的なわけではない。レスター家と仲の良い部族も幾つかあると言われている。そのような部族の戦士たちが、クリフォード・レスター公爵に雇われて参戦しているとすれば。森を抜けての奇襲も可能となるだろう。独自の精霊信仰を理由に寒冷地帯からあまり出たがらない北部人と、どのような交渉を成して自家の戦争に引っ張り出したのかは分からないが。
奇襲部隊の兵力自体は、大したことはないはず。多くともせいぜい五百程度か。おまけに北部人ならば軽装で、まともに戦えば決して手強い敵ではないはず。
それでも、予想外の方向からの攻撃に、諸貴族軍の右端の将兵たちは混乱している。いくつもの軍勢の寄せ集めであるために、各部隊の連係が拙いことも、混乱に拍車をかけているものと考えられる。側面が混乱すれば、その動揺は正面で戦う将兵にも伝わり、こちらの右翼の戦列は徐々に綻んでいく。
このままでは、こちらの中央主力が敵の中央主力を突破するよりも早く、こちらの右翼が敵の左翼と奇襲部隊によって崩壊しかねない。右翼の諸貴族軍が壊走すれば、こちらの中央主力の右側面ががら空きとなる。そこを攻めるのが、敵の第二案ということか。
クリフォード・レスター公爵。荒事とは縁遠い文化人だと思っていたが、存外手強い。本人の才覚か、有能な参謀がいるのか、あるいは歴史書や戦記譚の真似事か。
「閣下。敵の予備軍が」
傍らに控える側近の言葉を受け、ミランダは戦場の敵側後方に視線を向ける。敵側の予備軍およそ二千が、敵軍左翼の後ろへ寄るように移動を開始していた。
「……この機を逃すつもりはないか」
こちらの右翼が崩壊した後、予備兵力までを一挙に投入してこちらの中央主力の右側面を攻めるつもりであることが明らかな一手。軍学の常道としては劣勢時に防御的に動かすべき予備兵力を、自軍の中央主力を突破された際の防壁ではなく、敵側の崩れそうな箇所を攻めるべき増援として使用するというのは、かなり攻撃的な戦い方と言える。
クリフォード・レスター公爵は、自軍の中央主力が突破されるよりも先にこちらの右翼が崩壊することに賭けて、このような戦術をとっている。賭けを厭わない程度には、あちらも勝つために必死ということか。
「予備を右翼後方に回せ。右翼が崩れるようであれば、その穴を急ぎ埋めろ」
「御意」
側近は短く答え、伝令を出してミランダの命令をこちらの陣営の予備軍に届けさせる。総勢およそ二五〇〇の将兵が、右翼の諸貴族軍の後ろへと移動を開始する。
「……」
予備軍を右翼崩壊に備えさせても、安心を得ることはできない。
こちらの右翼が壊走したところへ即座に二千五百の予備兵力を投じようとしても、おそらく敵左翼が追撃の余勢を駆って前進してくる方が早い。さらにそこへ敵予備軍と森の別動隊までもが加われば、対峙する兵力差はおよそ二倍。前進してきた敵を撃退し、中央主力の右側面を守りきるのは難しい。この予備兵力の移動は、しないよりはましという程度の予防策に過ぎない。
右翼崩壊の前にこちらの中央主力が敵陣の中央突破を成せばいいが、それはもはや賭け。賭けに勝つか負けるかは、勘で予想するしかない。
そしてミランダの勘では、こちらの中央主力が敵の中央主力に打ち勝つよりも、右翼が崩壊する方が早い。ミランダは中央主力の前衛を担うアルメリア軍、特に精強な正規軍人たちを信頼しているが、それ以上に右翼の諸貴族軍に大きな期待をしていない。
となれば、賭けに出るとしても、より勝ち目のある賭けを選ぶべき。
「例の策を実行する。アーガイル軍に合図を送れ」
第二案を持っているのは敵側だけではない。とはいえ、敵側と同じようにこちらの第二案も上手くいくかは、やってみなければ分からないが。
これが自軍を勝利に導く決め手となるか、あるいは敗北に導く悪手となるか。その結果如何でアルメリア家の命運も決まる。まるで薄氷の上を走るかのような緊張感を覚えながら、ミランダの顔には笑みが浮かび、その笑みを一筋の汗が撫でる。
・・・・・・
「閣下! 本陣より合図です!」
アーガイル軍の陣形中央。後方の本陣方向を注視していた親衛隊騎士が、ウィリアムに向かって報告する。ウィリアムが右後ろを向くと、確かに本陣より、事前の打ち合わせ通りの動きで旗が振られていた。
「……それじゃあ、総員後退で」
「御意」
ウィリアムの言葉にロベルトは頷き、周囲の親衛隊騎士たちに命令を伝える。数人の騎士が伝令を担い、陣形の最後尾と最前面、そして左側面に走る。
それから間もなく、アーガイル軍は移動を開始する。まずは最後尾の数列が動き出し、次に後衛の弓兵部隊と左側面の長槍兵部隊が、そして前衛の歩兵と下馬騎士たちが、陣形を崩すことなく動き出す。
「総員、射撃の手を止めるな! 前衛が持ちこたえられるかは我々の援護にかかっているものと心得よ!」
弓兵部隊長が馬上から呼びかけると、弓兵たちは声ではなく働きで応える。すぐ後ろに立つ仲間を追って後退しながら、同時に敵右翼のいる辺りを目がけて矢を曲射する。後方へ歩きながら前方の敵を牽制するという複雑な動きを、これまで射撃の腕と共に鍛えてきた集中力で実現する。
「連携を崩すな! この調子で下がり続けろ!」
一方で、敵右翼と対峙する陣形最前面では、騎士バーソロミューが吠える。
敵と戦いながらの後退。一歩間違えれば総崩れになりかねない中で、しかし前衛の将兵たちはこの困難な後退を実現する。重装備の下馬騎士や正規歩兵が中心となり、バーソロミューの合図で敵の最前面に一斉攻撃を仕掛けて怯ませ、その隙に下がって隊列を整え、立ち直った敵の追撃を迎え撃つ……という動きをくり返す。
その結果、敵に隊列を突破されることなく後退することが可能となっている。後衛から敵に向けて飛ぶ矢の雨も、前衛の後退を楽にしてくれる。
こうして後衛や前衛が下がっていく中で、左側面を守る長槍兵たちも、隊列を維持しながら後退する。素早く隊列を組んで槍衾を築く訓練を受けている彼らは、隊列を組んだまま移動する訓練も受けている。彼らの正面――すなわちアーガイル軍の左側面にはフェルナンド・アルメリアの率いる騎兵部隊が未だ陣取っているため、敵騎兵部隊も安易に接近することはできない。側面からの敵の妨害はない。
陣形を維持しながら、アーガイル軍は着実に移動していく。後ろへ、そして左へ。




