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ウィリアム・アーガイルの憂心 ~脇役貴族は生き残りたい~  作者: エノキスルメ
第一章 偉大な王国、崩壊間違いなし

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第23話 出発の朝

「閣下、いかがでしょうか」

「……うん、大丈夫だよ」


 出発の日。フレゼリシア城の一室。自身専用の鎧に身を包んだウィリアムは、軽く身体を動かしながら、傍仕えのアイリーンの問いに頷く。

 厚手の布製の鎧下。金属製の胴鎧。籠手とすね当ては革製だが、手の込んだ加工がなされ、軽さと頑丈さを兼ね備える。そして背には、アーガイル伯爵家の家紋を記したマント。いずれも黒く染められ、ウィリアムのアッシュブロンドの髪や白い肌との対比がよく映える。ウィリアムのために御用職人たちが手がけた、最高品質の装備だった。

 鎧の具合を確かめたウィリアムが視線を正面に戻すと、作業を見守っていた妻ジャスミンと目が合う。ジャスミンは鎧姿の夫に優しい微笑を向ける。


「いつ着てもよく似合ってるわ、ウィリアム」

「……儀礼の場ではともかく、戦場に立つとなるとどうかな?」

「大丈夫。誰が見ても立派な将に見えるわよ。ねえ、アイリーン?」

「はい。アーガイル軍の最高指揮官として、とても頼もしく威厳のあるお姿だと存じます」


 ジャスミンの言葉に、アイリーンも頷いて同意を示す。

 戦装束に身を包んだウィリアムは、本人の容姿が整っていることもあり、なかなか様になっている。ウィリアム自身が積極的に白兵戦を行うことは想定されていないため、騎士たちのような重装備ではないが、だからこそ細身の体躯も合わさり、知的で洗練された印象を見る者に与える。それなりの規模の軍勢を率いる指揮官として、見栄えは申し分ない。


「それならいいんだけど……この鎧を作ったときは、まさかこんなに早く実戦で着ることになるとは思わなかったねぇ」


 姿見に映る鎧姿は我ながら案外悪くないと内心思いつつ、ウィリアムは呟く。


 身に纏ったどの装備も実用に足る高品質なものだが、元は実戦よりも儀礼の場などで着用することを想定して作られている。

 貴族家当主やその嫡男ともなれば、騎士の叙任式をはじめとした領軍関連の儀式の場に立つ機会は多く、場合によっては王都で開かれる式典などに軍装で出席する可能性もある。有力貴族の子弟ともなれば、そうした場で家格を守るためにも自身専用の上質な鎧を持つことは必須。なのでウィリアムも、身長の伸びが止まった十代後半に父よりこの鎧一式を与えられた。儀礼の場でアーガイル家の威容を示すためにこそ、この鎧は見栄えまで重視されている。防御力を高める加工だけでなく、凝った装飾も施されている。

 それを、本当に戦場で身を守るための装備として身につけることになるとは。息子のために鎧を作らせた父も、まさか自分が死んでさほど経たないうちに息子がこの鎧を着て戦争に臨むとは想像していなかったに違いない。ウィリアムはそう考える。


 と、そこへ歩み寄る者がいた。開いていた扉からのそのそと入ってきたのは、フレゼリシア城の最長老、リクガメのマクシミリアンだった。


「マクシミリアン、君から見ても似合ってる? ほら、君が描かれたマントだよ」


 言いながら、ウィリアムは背中側、マントに刻まれた家紋をマクシミリアンに見せる。

 アーガイル伯爵家の家紋は、黒と金の格子模様を背景に、リクガメの意匠が描かれたもの。戦場で己の身分を示し、もし戦死しても遺体の身元が分かるよう、一般的に貴族は家紋を記したマントを纏う。ウィリアムもその例に漏れない。

 とはいえ、リクガメのマクシミリアンに絵は分からない。自身と同じ生き物が描かれているとはおそらく理解せず、マクシミリアンはあまり興味もなさそうにマントを一瞥すると、ゆっくりと歩いてウィリアムの正面に来る。

 そして、首を伸ばし、鼻先でウィリアムの手に触れた。まるで、ウィリアムに寄り添い励ますように。


「……僕が戦争に行くのが分かるの? ありがとう」


 ウィリアムは優しく笑い、マクシミリアンの頭を撫でる。マクシミリアンは気持ちよさそうに目を閉じる。

 犬や猫や馬ほどには感情表現が豊かでないリクガメだが、それでも長く接していると、意外と奥深く繊細な感情を持っていることが分かる。

 おまけに、彼らは賢い。長く生きるマクシミリアンは特に聡明なようで、家族の感情の機微を読み取り、接してくる。昔からウィリアムが落ち込んでいると静かに寄り添い、喜んでいるといつもより活発に動いて共に喜んでくれる。

 そして今、いつもとは違う装束に身を包んだ若き主が、何か重大な仕事のために発とうとしていると、マクシミリアンは察しているようだった。


「それじゃあ、行ってくるよ。帰ったらまた一緒に日向ぼっこしようね、マクシミリアン」


 そう言って、ウィリアムは最後にマクシミリアンの大きな甲羅を撫でた。

 かつて戦場で死んだ高祖父も、今よりずっと若く小さなマクシミリアンにこうして言葉をかけたのだろう。そして、高祖父は二度と生きては帰らなかった。

 もしかしたら自分も……と脳裏に浮かんだ縁起でもない思案を急ぎ振り払い、ウィリアムはいよいよ出発に臨む。


「ウィリアム」


 と、名前を呼んだのはジャスミンだった。ウィリアムが振り返ると、アイリーンは席を外しており、ジャスミンだけが微笑を浮かべて立っていた。

 少しずつ腹部の膨らみが目立つようになってきた、その中にウィリアムとの愛の結晶である新たな命を宿す、最愛の伴侶。

 戦場へ向けて発つ前の、おそらくこれが最後の二人きりの時間。ウィリアムもジャスミンに微笑み返し、歩み寄ってきた彼女と抱き合って口づけを交わす。


「……私のウィリアム。あなたが生きて帰ってきてくれると信じてる。あなたとアーガイル軍の勝利を信じてる。その上で、覚えていてほしいの」


 ウィリアムを抱き締めたまま、その耳元にジャスミンは囁く。彼女の吐息の熱を感じながら、二人の身体の間にいる新たな命の気配を感じながら、ウィリアムは静かに聞く。


「たとえあなたと私たちの選択が、戦争での敗北とアーガイル家の滅亡の道に繋がっていたとしても、あなたが私に幸せな人生をくれた事実は変わらないわ。たとえこの身がいつどうなったとしても、私は幸せだった。私から見れば、私を幸せにしてくれたあなたの選択は全部が正解。あなたのどんな決断も失敗じゃない。私がそう思っていることを、どうか覚えていて」


 彼女の言葉を、その言葉を通して彼女が自分にくれる救いを噛みしめながら、ウィリアムは頷いた。


「……うん。ありがとうジャスミン。愛してる」

「私も愛してるわ。愛してる。愛してる。愛してる。私のウィリアム」


 熱を帯びた声で、ジャスミンは何度もくり返した。

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