第22話 出征準備③
アーガイル軍の出撃が数日後に迫った頃。家令エイダンと領軍隊長ロベルトは、実務面の最終調整のために話し合いの場を設けていた。
「これで、こちら側がすべき準備は全て完了か」
「はい。軍の方も、後は物資をまとめて出撃するばかりとなりました」
エイダンもロベルトも、アーガイル家の側近を長年務めてきた立場。己の職務については抜かりない。兵の徴集や物資の集積、その輸送準備、全て余裕をもって進めてきた。この段になって焦ることはなく、話し合いもあくまで確認のためのもの。
「……後は、閣下をお守りするために私にできることはないな。領軍隊長であるお前に任せるばかりとなる」
「どうかご安心ください。我が命に代えても閣下の御身はお守りしますので……たとえ戦況がどうなろうと、閣下とできるだけ多くの将兵をアーガイル伯爵領に帰還させます。そうすれば、後はどうにでもなるでしょう」
いよいよ迫りくる動乱を思い、嫌でも表情が厳しくなるエイダンとは対照的に、ロベルトは平然としている。表情にはむしろ気楽な調子さえうかがわせる。
「お前は相変わらずだな。いっそ羨ましい」
もう長い付き合いである領軍隊長の様子に、エイダンは少しばかりの呆れを含んだ息を吐く。
アルメリア家の陣営が会戦で大敗北して壊走するようであれば、自分が老兵たちを率いて殿を務め、玉砕して時間を稼ぎ、ウィリアムとアーガイル軍の生き残りを帰還させる。フレゼリシアへ帰還できれば、聡明なウィリアム自身か、あるいは有能なギルバートやバーソロミューあたりが籠城戦の指揮をとればいい。
レスター家の陣営もアーガイル伯爵領だけに兵力を割けるわけではない以上、帰還したアーガイル軍の生き残りと、予備兵力として置かれている領軍部隊と徴集兵、そして領都の住民たちが力を合わせれば、豊富な備蓄のある大都市フレゼリシアは数か月は持ちこたえるだろう。その間に情勢が変わり、アルメリア家の陣営が逆転勝利を掴む可能性もある。
そのようなロベルトの見解を、エイダンは既に聞いている。何も一度の敗北で希望が潰えるわけではないのだから、今の段階で気を張りすぎるべきではないという彼の意見も一理あることを、頭では理解している。
とはいえ、元より前向きに物事を考える彼と同じほどの希望を抱くことはできない。悪い事態も想定して動くのが家令の務めである上に、エイダン個人の性格としても、元より楽観は苦手であるからこそ。
「……閣下を頼んだぞ、ロベルト」
ぼそりと呟くようにエイダンが言うと、ロベルトは薄い笑みを浮かべて力強く頷いた。
・・・・・・
そうして話し合いを終えた後、エイダンは一人思案する。
これで本当に、戦争における自分の仕事は終わった。追加の補給物資の輸送手配など細かな仕事は引き続き行うが、アーガイル家と領地の命運、主ウィリアム自身の命運を変えるような大きな役割は果たせない。忠誠を誓う当主ウィリアムがアーガイル軍を率いて出撃してしまえば、自分はせいぜい神に祈る程度のことしかできない。
ならば、気休め程度の祈りだとしても捧げるしかあるまい。それがほんの僅かでも、ウィリアムの運命を良い方向へ導く可能性があるのだとすれば。
ウィリアムは幼い頃から、家臣たちの間を歩き回るようにして育った。皆に可愛がられてきた。だからこそ、アーガイル家の家臣は総じてウィリアムに甘い。軍事に関してはウィリアムを厳しく教育したロベルトでさえ、総じて見れば例外ではない。領軍隊長を含む家臣たちは皆、すぐに弱気になり狼狽えるウィリアムの性格を、彼の愛すべき個性だと捉えている。
が、貴族家当主という立場を考えれば、そのような性格は明確にウィリアムの欠点であると言わざるを得ない。特に、過酷さを増していくであろうこれからの時代には。おそらく生涯変わらないであろう主の欠点から、家令であるエイダンは目を逸らしはしない。
しかしそのことは、主に対するエイダンの忠誠心には微塵も影響を与えない。
欠点があるからと主人を見捨てるのが、完璧でないからと主人を裏切るのが、あるべき家臣の姿なのか。そんなはずはない。為政者とて人間。人間ならば誰しも欠点はある。完璧な人間などこの世にはいない。
先代当主。ウィリアムの父であるジルベール・アーガイル伯爵。彼は頭の回転は速かったが、それが悪い方向に働くと、他者に理解させることを考えずに話す癖があった。そのため、彼の考え方を熟知するエイダンやロベルトのような側近が横から補足してやる必要があった。
そして、エイダンを家令に任命した先々代当主。ウィリアムの祖母であるベアトリス・アーガイル伯爵。エイダンにとっては従姉にあたる彼女は、実際は慈悲深い人物であるが、自身の感情を表に出すことが苦手なために、冷淡な人物だと誤解されることが多かった。エイダンら側近は、やはり彼女のそうした性格を補う働きをこなした。
ウィリアムが欠点を持つことも、彼の父や祖母が欠点を持っていたことと何ら変わらない。彼の父や祖母を支えたように、自分が側近としてウィリアムを補佐することも変わらない。貴族家当主が人間として欠点を持つからこそ、家臣が支えるのだ。自分は側近として、アーガイル家を支え、代々の主を支えることに人生を捧げてきたのだ。
今はウィリアムを支えることが、己の使命であり、存在意義なのだ。変わるはずがない。自分が死ぬまで決して。
・・・・・・
主ウィリアムが妻ジャスミンと共に寝室に入るのを見届け、自身の一日の仕事を終えたアイリーンは、同じく主の警護を寝室警備の親衛隊騎士と交代して仕事を終えたギルバートを呼び止めた。
二人は無人の一室に入り、そこでアイリーンは自身の想いを彼に伝えた。
「……俺も、君と同じ気持ちだ。一人の人間として君を愛している」
真摯な表情のギルバートの言葉に、アイリーンは小さく息を呑む。
彼も自分と同じ気持ちであると、とうに察していた。後はどちらかが切り出すだけだと分かっていた。
それでも、いざこうして想いを告げ合うと、特別の感慨があった。彼と顔を見合わせるのがやけに気恥ずかしく、彼も同じ気持ちなのか、お互い照れ笑いを交わす。
「だが、ひとつ言っておかなければならない。俺は一人の人間である以前に、騎士だ。アーガイル伯爵家を守る親衛隊長で、ウィリアム様の直衛だ。その使命に務めなければならない……たとえ個人としての人生や幸福を失うことになったとしても」
「ええ、当然分かっているわ。私も一人の人間である以前に、ウィリアム様の傍仕えで、次期家令となる立場。いざというときは、一個人ではなくアーガイル家家臣としての使命を優先することになる」
ギルバートの言葉に、アイリーンも頷く。
二人とも、私を捨てて公を優先しなければならない身であり、それはすなわち、個人的に愛する者を最優先して動くことはできない立場である。
「だから、今ここで約束しましょう。いつか、もしかしたらこれから始まる戦争で、二人一緒にいられなくなったとしても。どちらかが務めに殉じて死に別れたとしても。残された方が、アーガイル家とウィリアム様を守ると」
「……俺も同じ提案をしようと思っていたよ。もちろん約束する」
二人は互いをしっかりと見つめながら、今度は照れ笑いではなく、覚悟を示すような微笑を交わした。
主の最も近くに仕える者として、互いの使命を認め合った上で、同じ使命を共有する。それはアーガイル家の側近として生き、ウィリアムに忠誠を誓う二人にとって、何よりも強く尊い愛の絆となる。
「アイリーン。帰還したら……いや、何でもない」
ギルバートは何かを話そうとして、止める。きっと、例の軍人の言い伝えを思い出したのだろうとアイリーンは察した。
「続きは帰った後に話しましょう、ギルバート」
「……ああ、そうだな」
苦笑を零したギルバートに、アイリーンは無言で歩み寄る。
ギルバートも何も言わず、アイリーンの腰に手を回して抱き寄せる。二人の唇が静かに重なる。
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