第1話 王国崩壊の序曲①
「うわぁ~ん! まずいってぇ~!」
乗り込んだアーガイル伯爵家の専用馬車が出発するなり、若き当主ウィリアム・アーガイルは頭を抱えながら嘆いた。アッシュブロンドの髪がくしゃりと乱れ、淡いグリーンの瞳には分かりやすく動揺の色が浮かんでいる。
ここはレグリア王国の王都トリエステ。ウィリアムはつい先ほどまで大聖堂で行われていた国葬に出席し、アーガイル家の王都別邸への帰路についたところだった。
「それほどまでに悪い空気だったのですか? ウィリアム様」
尋ねたのは、ウィリアムと向かい合って座る護衛の騎士ギルバート。二十歳のウィリアムよりも五歳上で、ウィリアムが子供の頃から身辺警護を担う、半ば兄のような存在。
「悪かったよぉ~最悪だったぁ~! あれじゃあわりとすぐに動乱が起こるよぉ~!」
座席の上で膝を抱えてゆらゆらと身を揺らしながら、ウィリアムは嘆き続ける。
最悪と評したのは、出席した国葬――この春に崩御した国王ヴィットーリオ・レグリアの葬儀について。もちろん王家の威信をかけた葬儀そのものは、大国の君主を見送る儀式としてふさわしく荘厳だったが、悪かったのは出席者たちの間に漂う空気だった。
四人の王子と王女は、宮廷貴族や王領周辺の領主貴族たちを巻き込みながら、二つの派閥に分かれて激しく対立している。対立の様子は地方の貴族社会にまで聞こえている。
そんな中央の争いをよそに、王国の各地で強い影響力を誇る四つの大貴族家の当主たちは、それぞれ独立の気運を高めている。独立の意向を公言しているわけではないが、この数十年で着実に力を蓄えており、王家が隙を見せる時を待っている。
そんな状況で、かろうじて国をまとめていた王が突然に死んだ。次の王位を巡って王家が割れ、その隙に地方の大貴族たちが独立に乗り出せば、始まるのは動乱の時代。
王国の暗い先行きを表すように、国葬が行われた大聖堂の中は恐ろしく居心地が悪かった。
「別に和やかな空気になると思ってたわけじゃないけど、いくらなんでも露骨すぎるよぉ~! 陛下が亡くなって間もないんだから、せめてもうしばらくは大人しくしてたらいいのに、王族たちも大貴族たちもあんなあからさまに、馬鹿じゃないのぉ?」
「ウィリアム様、ここは王都です。馬車の外にまではお声も聞こえないと思いますが、別邸に入られるまで言葉選びには気をつけられた方が……」
ギルバートからやんわりと注意されたウィリアムは自身の口を塞いでみせ、しかし指の隙間からは抑えきれなかった嘆きの声が「んぶぅ~」と零れる。
国葬の場において、王子と王女たち、そして宮廷貴族や王国中央部の領主貴族たちは、派閥の対立構図をあからさまに見せていた。座る席さえ露骨に二分して互いに距離を置き、両派閥が次の王位を巡って争うつもりであることを、もはやその他の貴族たちに隠そうともしていなかった。
その様を見て、これから王家の統治に大きな隙が生まれると考えたらしい四人の大貴族たちは、王国貴族の大半が集まるこの機会を利用して早くも動き始めていた。自家の陣営にできるだけ多くの貴族を迎えたいのであろう彼らは、他の出席者たちに声をかけて回っていた。
そうした状況を受けて、中小の貴族たちもそれぞれ独自に立ち回っていた。おそらくはどの勢力につくべきか考えを巡らせながら、周囲の様子を窺い、他者の考えを探り合っていた。他家への接近を見据えて挨拶に臨む動きもあれば、仲の悪い貴族と牽制し合う動きもあった。
国葬が始まる前と終わった後、王侯貴族たちが語らう場には終始張りつめた雰囲気が漂い、時に火花が散っていた。それはもうバチバチと。
ウィリアムとしては、王族も貴族も案外まだ穏やかに振る舞い、現状の秩序が今しばらく保たれはしないかと淡い期待を抱いてもいたが、全然そのようなことはなく当たり前のように秩序は終わっていた。誰も彼もが好き勝手に動き、この国はもはや崩壊前夜なのだと思い知らされた。
アーガイル家の当主であるウィリアム自身も、他人事ではいられなかった。
「うちも巻き込まれちゃうよぉ~! ぜったい逃げられないよぉ~!」
首をへなへなと右に左に傾けながら言うウィリアムの、ともすれば情けないその姿を見ても、ギルバートは特に何も言わない。ウィリアムのこのような言動はいつものことであるが故に。
アーガイル伯爵領には、良質な鉄鉱石を産出する鉱山がある。領地規模としては中の上程度にあたるアーガイル家は、この鉄鉱山を富の源泉とすることで、この大陸東部においてそれなりに強い存在感を持ってきた。周囲から、無視できない有力貴族家のひとつと見られてきた。
そしてアーガイル伯爵領は、四大貴族家のうちの二家――レスター公爵家とアルメリア侯爵家の領地にちょうど挟まれている。しかも、この二家はひどく仲が悪い。新たに動乱が始まれば、激突するのは必然と言っていい。
政治、軍事、経済、そして歴史。様々な理由から、まず間違いなく、アーガイル家も両家の争いに無関係ではいられない。
実際、レスター公爵もアルメリア侯爵も、ウィリアムに声をかけてきた。
大陸東部はこれから大変だろうが、縁深い隣人同士、今後も仲良くしよう。二人ともそのような表面的な挨拶に終始していたが、独立とそれに伴う勢力争いに際して、アーガイル伯爵家を自家の陣営に加えようと考えているのは明らかだった。
直接的にも間接的にも、戦争には鉄が必須。鉄鉱山を有するアーガイル伯爵家は、日和見を許されない。いずれ、どちらの陣営につくかを選ばなければならない。
その選択を切り抜けて終わりとはなるまい。以降も動乱の時代が続き、目まぐるしく変化する情勢の中で、自家と自領、そして己の命運を左右する重要な場面に何度も直面するだろう。
もし、そうした重要な場面で一度でも判断を誤ればどうなるか。
「し、死ぬ……立ち回りを間違えたら、死ぬ……」
頭を抱えたまま目を見開き、ウィリアムは顔を青くする。
「落ち着いてください。さすがに、よほどの場面でなければ判断が死に直結することは……」
「そんなことないよぉ~! 動乱の時代の貴族なんて、けっこう簡単に死ぬよぉ~! 僕のひいひいおじい様だって前の動乱で判断を間違えて戦死してるしぃ、南東のお隣さんだって皆殺しにされたしぃ~!」
主を宥めようとするギルバートに対して、ウィリアムは食い気味に反論する。
レグリア王国のあるエルシオン大陸東部は、いくつもの国が並ぶ時代と、それらを統一した大国が存在する時代を交互にくり返してきた。確かな記録に残っている歴史上、レグリア王国は三番目に登場した統一国家となる。
各国が統一されて大国となるとき。各地の勢力が独立して大国が分裂するとき。どちらの場合も必ず、大きな動乱が起こってきた。前者の場合は、我こそは大陸東部の覇者にならんと野心的な君主たちが争うために。後者の場合は、沈みゆく統一国家からの独立に乗じて己の治める国を強くせんと、やはり野心的な大貴族たちが企むために。
歴史は繰り返さないが韻を踏む、というのは過去の偉人の言葉。どうやらその言葉は真実であるらしく、大陸東部はこれまでと似た流れで、何度目かの動乱の時代を迎えようとしている。
動乱の時代には、武力を用いた戦争が伴う。戦争が起これば当然に死者が出る。指揮官として戦う以上、貴族の死も珍しくない。
前回の動乱の時代、レグリア王国の大陸東部統一までに巻き起こった戦争の中で、当時のアーガイル伯爵も戦死している。アーガイル軍が別動隊として動いていたところ、敵の伏兵による奇襲を受け、部隊は一時撤退が叶ったものの、伯爵当人は運悪く流れ矢が直撃して命を失った。その後は伯爵の嫡女――ウィリアムの曾祖母が若くして当主を継いだ。
戦いだけではない。動乱の時代には、政治的な判断の誤りも、あまりにも簡単に貴族を殺す。
その例として、当時アーガイル伯爵領の南東側に位置していた貴族領の領主家は、レスター公爵家に対して謀略を働こうとして失敗し、公爵の怒りを買って一族皆殺しにされた。領主家を失ったその貴族領はレスター家によって分割され、今は三つの新興貴族領となっている。
その他にも、例えば敗北した貴族家の当主が、家の存続や家臣の助命と引き換えに首を差し出した、などという話は歴史を紐解けば珍しくもない。また、暗殺された者などもいる。血で血を洗う動乱の中、貴族同士の対立は、容赦なく残酷な結末になりやすい。
激しい勢力図の変化が起こるからこそ、動乱の時代と呼ばれる。この時代には躍進する貴族や成り上がる新興貴族がいる一方で、没落する者や死ぬ者も少なくない。尊き身分の人間だろうと、いともたやすく歴史から消えていく。
戦場で少しの不運に見舞われれば。一度でも情勢を見誤れば。それが死に直結することも決して珍しくない。動乱の時代とはそういうものだと、歴史が語っている。
ウィリアム自身としても、己が臆病で後ろ向きな性格だという自覚はあるが、これに関しては決して大袈裟な嘆きだとは思っていない。
この大陸東部の社会において、主導権を握れるほど強くはないが中途半端に力のあるアーガイル家は、ある意味では最も不自由で不幸な立ち位置にある。その当主である自分の立場は下手をすれば、大勢に影響を与えようのない木っ端貴族たちよりも不安定。殺す価値がある程度には影響力を持ち得るからこそ、何かの拍子にころっと殺されかねない。
「うわあぁ~ん死にたくないよぉ~。穏やかに幸せに暮らしたいだけなのにぃ~」
鉄鉱山という安定した収入源を抱え、それなりの家格と経済力を誇るアーガイル家。その当主ともなれば、生活に不自由することはあり得ない。実際、ウィリアムは爵位を継いでからこれまで、平穏に領地を運営しながら、家臣や領民たちと共に平和に暮らす安楽な日々を送ってきた。それ以前、アーガイル家嫡男だった頃からの人生全てが、平穏そのものだった。しかし、これからはおそらく、そう穏やかにはいかない。
車内に響くウィリアムの嘆きを、馬の足音と車輪の音でかき消しながら、馬車は進む。