第14話 誠意
レアンドラ城の応接室には、当主ミランダの趣味であろう荘厳な調度品が揃っていた。黒革の張られたソファにダークブラウンのテーブル。ワインレッドに塗られた壁には美麗というより勇壮と評すべき絵画の数々が飾られ、そして壁の前には、ウィリアムも見ただけで分かる名匠の手がけた陶器や彫刻が並んでいる。
客人に対してアルメリア家の威光と当主の気質を存分に見せるこの応接室で、ウィリアムは今、部屋と城そのものの主であるミランダと対面していた。
これから始まるのは、政治的な会談。貴族家当主となってからまだ年月の浅いウィリアムにとっては、初めて経験する他家の当主との本格的かつ極めて重要な話し合い。
おまけに、昨晩と違って今はジャスミンも隣にはいない。後ろにはアイリーンとギルバートが控えているが、姉兄のような二人にも今は甘え頼ることができない。嫌でも緊張が高まり、部屋の荘厳さが今は威圧感となって心にのしかかる。
「アーガイル伯爵ウィリアム殿。この場では言葉を飾らず、率直に話をさせてもらう。卿としてもこちらに気を遣わず話してくれ」
「……しょ、承知しました」
見た目にはいつもと変わらない調子のミランダも、普段より一層気迫が強いように感じられて、ウィリアムはますます緊張しながら頷く。
「まず、アルメリア家当主としての私の目指すところを伝えておく。ずばり言うと、アルメリア王国の再興と、レスター公爵家に対する勝利だ」
ミランダは率直に話すという宣言通り、今までは曖昧な言い方に留めていた己の野望を、初めて明確に語った。
「これからレグリア王国は崩壊する。それはもはや間違いないだろう。私は崩れゆく統一国家より再独立を成す。その過程で間違いなく衝突するであろうレスター家と戦い、長き因縁に決着をつける……アーガイル家には、再興されるアルメリア王国の貴族となって当家に臣従し、当家の庇護下で新たな時代を歩んでほしい。当家と共存共栄を成し、必要となれば共に戦ってほしい」
「……無論です。私としても、そのつもりでこのレアンドラへ参りました」
ミランダの意図は、ウィリアムも当然に予想していた。ウィリアムがとうに彼女の意図を察していたことを、ミランダの方もまた予想していたはず。だからこそ、両者の顔に驚きの色が浮かぶことはなかった。これはあくまで、互いの認識を明確にするためのやり取りだった。
「つまり、我々の認識は既に一致しているということだな。何よりだ……とはいえ、我々は形式上は未だレグリア王国貴族である以上、これは現段階では公言できない企みだ。当家の陣営につくことを選ぶ貴族と言えど、誰にでも明かせる本音ではない。こうして卿に語っているのは、アーガイル家が今後アルメリア家にとって極めて重要な味方となるからだ。その点を踏まえ、この場での会話は当面の間、他言無用で頼む」
「……当家を重要視していただけること、誠に光栄に存じます。当然ながら決して他言はいたしません」
ウィリアムは努めて真剣な表情を作り、答える。それに対し、ミランダは微笑を見せる。
「理解に感謝する、アーガイル卿……その上で、ひとつ謝罪させてほしい」
「しゃ、謝罪ですか?」
少しの戸惑いを覚え、片眉を上げて聞き返したウィリアムに、ミランダは頷く。
「先のフレゼリシア訪問の際、私は強引に卿の言質をとり、卿の逃げ道を塞ぐような真似をした。決して卿や貴家に対する悪意あってのことではなく、アーガイル家を味方につけたいと強く願うがための言動だったが、褒められたやり方ではないと己でも承知している。卿としては不快だったことと思う。すまなかった」
「えっ、そ、そんな! アルメリア閣下! どうか御顔を上げてください!」
ミランダはウィリアムを真っすぐに見据えて言うと、膝に手を置き、深々と頭を下げた。
いずれは君主と仰ぐことになるアルメリア家当主が、伏して謝ってくるという、あまりにも居心地の悪い状況。ウィリアムは慌てふためきながら言った。
顔を上げたミランダは、真摯な表情のまま再び口を開く。
「その上で言う。私は庇護下に迎えた者を陥れるような君主になるつもりは断じてない。アーガイル家が当家に臣従し、当家の庇護を受けると決意してくれた以上、これからはあのように卑怯な手を用いて貴家を陥れることはしない。私は必ずや誠意ある君主になる。我が家名にかけてここに誓おう……無論、ただ言葉で誓いを語って済ませるつもりはない」
そこで一度言葉を切り、ミランダはソファの背に身体を預ける。
「アーガイル卿。卿もいずれ、世継ぎとなる子を持つだろう?」
「……は、はい、もちろん。早ければ来年にも、と願っています」
ミランダの考えをおおよそ察しながら、ウィリアムは首肯する。
ウィリアムは死にたくないが、それでも死ぬときは死ぬのが人の世というもの。動乱の時代ともなれば尚更に人は死にやすくなる。なので、ジャスミンとの甘い新婚生活には一区切りをつけ、最近は貴族の義務として世継ぎ作りに励んでいる。万が一自分が死んでもアーガイル家の血筋が途絶えないように。
レアンドラへの道中の宿でも、昨晩泊まったレアンドラ城の客室でも、ウィリアムとジャスミンは二人仲良く肌を重ねた。この滞在中も励むことを止めるつもりはない。
「では、単刀直入に言おう。卿の子、そして私の孫の代に、アルメリア家とアーガイル家を姻戚関係で結びたい。我が継嗣には、今の時点で息子と娘が一人ずついる。この先もまだ増えるだろう。そう遠くないうちに生まれるであろう卿の継嗣に、この孫たちのどれかを輿入れさせたい」
「……なるほどぉ」
世継ぎの話題を出された時点で察していたウィリアムは、驚くこともなく言った。
王侯貴族にとって、政略結婚は協力関係を固める上で定番の手段。近しい親類ともなれば、よほどのことがない限り裏切られない。身内すら陥れる者は、周囲からの信用を失うという極めて大きな不利益があるからこそ。
とはいえ、家族の席には限りがある以上、姻戚関係の構築も乱発はできない。自身の孫と、ウィリアムの生まれてもいない継嗣との婚約という気の早い話をミランダが提案してきたのは、アーガイル家を自陣営に留め置くために、貴重な手札を切って裏切らない証拠を差し出すという誠意の表れと言える。先の会談での不快なやり取り、その謝罪の証としては十分以上。
「願ってもないご提案です。この話、是非ともお受けさせていただきたく存じますぅ」
「そう言ってもらえて嬉しい。では、これを渡しておこう」
ミランダはそう言いながら、後ろに控えるアルメリア家の官僚に手振りで指示を出す。進み出た官僚は、手にしていた文書をウィリアムの前に置く。
「私は継嗣の子をアーガイル家に輿入れさせると、アルメリア家の当主として約束する。その意思を記した誓約書だ。私の署名と当家の家紋印も添えてある。今後、もし卿が当家に裏切られたと感じることがあれば、この誓約書を公開し、将来の姻戚関係を約束しながら裏切った私を糾弾してくれて構わない。すなわちこの誓約書は、今このときより当家が貴家を裏切らない抑止力となるだろう」
ミランダの言葉を受け、文面を確認し、ウィリアムは目を白黒させる。
この誓約書があれば、アーガイル家はアルメリア家からほぼ確実に裏切られない。誓約書を残してまで将来の姻戚関係を誓い、その上でアーガイル家を裏切れば、アルメリア家は書面に記した誓約さえ守らないということになり、ミランダは貴族たちからの信用を大きく損なう。
「……あ、あの、畏れながら、ここまでしていただいて、本当によろしいのですかぁ?」
ウィリアムは困惑しながら尋ねる。
普通は、生まれてもいない他家の世継ぎとの姻戚関係に関して、誓約書など作らない。アルメリア家としては、これはただ自家を縛るだけの文書。ここまでする利益がミランダにはない。
「庇護下の者に誠実であれない君主に、貴族たちが真の忠誠を誓うはずがない。私はそう考えている。だからこそ、必ずや誠意ある君主になると誓うのだ。これはその覚悟を示すための行いだ……無論、我が陣営に加わる全ての貴族家に形をもって誠意を示すことは、現段階では難しい。だがせめて、再興されるアルメリア王国にとって極めて重要な存在となるアーガイル家には、最大限に具体的な形で誠意を示すべきであると考えた」
「……」
語ったミランダと目が合いながら、国を再興させ、偉大な君主にならんとする彼女の覚悟にウィリアムは圧倒される。やはり彼女は傑物なのだと思い知らされる。
「それに、アーガイル家はもちろん、卿個人も味方につけるべき重要な存在であると私は考えているからな。卿の信用を得られるのであれば、誓約書の一枚など何ということはない」
「それは……私が賜るにはいささか過分な評価かと存じますが、何故それほどまでに私を買ってくださるのですか?」
この場では率直に話せと前置きされているので、ウィリアムは率直に尋ねた。
後ろ向きで悲観的な性格が災いし、貴族社会におけるウィリアムの人格的評価は必ずしも高くない。むしろ、冷静な性格で知られた先代当主と比較されて低く評価されることが多い。
賢くはあるが、有力貴族家の世継ぎにしては頼りない。少年期からウィリアムはそう語られ、ときに嘲られてきた。家格の助けもあり、表立って言われることはなかったが。
アルメリア家は、強く勇ましくあることを是とする気風。その当主であり、自身も強き傑物であるミランダなど、本来はウィリアムを低く評価する筆頭であってもおかしくない。それなのに、彼女はこれまでそのような態度を見せたことはない。むしろウィリアムとしては、好意的に見られていると感じることが多かった。
それが不思議でもあり、怖くもあった。だからこそ、この際なので直接聞いてみた。
「過分な評価か。謙虚なことだな……理由は単純かつ明快だ。卿の父君、先代アーガイル伯爵ジェローム殿が、継嗣である卿を高く評していた。自分の嫡男ウィリアムは、普段は少しばかり気弱なところがあるが、いざというときはその能力を正しく発揮することができる。アーガイル家とその財産を受け継ぐに相応しい才覚を持っている。そのように彼は語っていた」
「……そ、それが理由ですか?」
「そうだ。私は領主貴族としての隣人であるジェローム殿を高く評価していた。そのジェローム殿が継嗣である卿を高く評価していた。その事実は、卿の才覚に期待する十分な根拠となる……加えて、この足でフレゼリシア城を訪問したことも、卿への期待を高めるきっかけとなった」
そう言って、ミランダはウィリアムの後ろに並ぶアイリーンとギルバートに視線を巡らせ、再びウィリアムを見据える。
「フレゼリシア城での会談の際にも、その二人の従者がいたな。二人とも、主を支え守らんとする強い意志を瞳に宿していた。今もそうだ……そして、フレゼリシア城で私の案内役を自ら務めてくれた貴家の家令も、アーガイル伯爵領内で私たちの警護と案内を担ってくれた領軍隊長の騎士も、その言動から主への強い忠誠心を持っていると分かった。有能な家臣たちより忠誠を捧げられている貴族が、ただの気弱で頼りない青年であるはずがない。ジェローム殿の卿に対する評価はやはり正しかったのだろうと思えた」
ミランダの言葉を聞きながら、ウィリアムは照れ笑いをこらえるような、何とも言えない表情になった。今は亡き父――先代当主ジェローム・アーガイルの顔を思い出し、父が大貴族の前で自分のことを褒めていたと知った嬉しさと、父の期待に果たして自分は見合うのだろうかという不安を同時に覚えた。
「もちろん、私が卿に抱いているのはあくまで期待だ。人が重大な局面を乗り越える力を持っているか否かは、実際にそのような局面が訪れるまで分からない。なのである意味で、私は卿に賭けているともいえる……卿がアルメリア家とその当主である私に賭けてくれたように、私もアーガイル家とそれを率いる卿に賭けるのだ。なかなか良い協力関係ではないか?」
冗談めかして不敵な笑みを零すミランダに、ウィリアムは曖昧に笑い返して首肯する。
「それで、アーガイル卿。私からの誠意の証として、この誓約書を受け取ってくれるだろうか?」
問われ、ウィリアムは考える。
アーガイルの家名と歴史と財産、血筋と家族と家臣たち、そして十二万の領民。それら全てを背負う立場として考え……陣営をまとめる庇護者としてのミランダ・アルメリア侯爵は、信用に値すると判断した。
「……はい。心より感謝申し上げます。閣下よりいただいた誠意に、全力をもってお応えしていくと誓います。我が家名と誇りにかけて」
ここはしっかりと決めるべき場面。ウィリアムはそう思いながら、ミランダの存在感に気圧されないよう精一杯に表情を引き締めて言った。




