第13話 レアンドラ訪問
アルメリア侯爵領の領都レアンドラは、大陸東部でも有数の大都市として知られ、その人口は八万を超えると言われている。大陸を東西に隔てる大山脈「巨竜の脊梁」から東の海岸まで続くセヴェール川を南に眺め、巨大な市域を城壁で囲い、かつてはアルメリア王国の王都として、現在はレグリア王国北西部の中心都市として、繁栄を遂げてきた。
そのレアンドラをウィリアムが訪れたのは、東部統一暦九八四年、十一月の下旬のこと。
すなわちウィリアムは、己と自家と自領の命運を左右する二択において、アルメリア侯爵家を選んだ。
「レアンドラに来るのも久しぶりね。色々見て回るのが楽しみだわ」
「……僕は楽しめるかなぁ。さすがにいつもみたいな気分ではいられないなぁ」
ギルバートたち親衛隊騎士に囲まれ、都市の城門を潜るアーガイル伯爵家の専用馬車の中。窓から大通りの賑わいを眺めながら言ったジャスミンに、ウィリアムはため息交じりに返す。向かい側の座席に座るアイリーンが、当主夫妻のやり取りに控えめな微苦笑を見せる。
夏に王都トリエステで国葬が行われた際は、夏の徴税の時期に領主家の全員が一か月半以上も城を不在にするとさすがに領地運営が滞るため、ジャスミンはフレゼリシアで留守番を務めていた。彼女が生まれ故郷の宮廷社会を嫌っているという事情もあった。
しかし今回は、冬も近づいて政務が落ち着いた頃であり、領地を空けるのは二週間ほどで済む上に、行くのはトリエステではない。なのでこうして、二人揃ってレアンドラを訪れていた。
本来、大都市を訪れるときは買い物や観光などの楽しみがつきもの。アーガイル家の膝元であるフレゼリシアもそれなりに大きな都市だが、やはり王国有数の都市ともなれば、商業区はより広大で、娯楽施設の数も規模も桁違いとなる。ウィリアムは生前の父に付き従い、過去何度かこのレアンドラに来たことがあるが、フレゼリシアのものよりも大きな劇場、常設の競技場、富裕層向けの賭場などを巡るのは楽しかった。
また、王国有数の巨大都市だからこそ成り立つ商売として、ここには書物の専門店もある。読書を趣味とし、普段はアーガイル家の御用商人に書物を集めさせているウィリアムにとっては、自ら店内を回りながら大量の書物を見ることができる夢のような店。レアンドラ訪問時には必ず足を運んでいる。
そうした楽しみを堪能する余裕は、しかし今回の自分にはないものとウィリアムは思っている。
腹を括って決断はした。仮にこの決断が間違いだったとしても受け入れるつもりでいる。が、だからといっていきなり別人のように肝が据わり、常に超然と構えていられるようになったわけではない。アーガイル家の命運をかけた己の選択が、果たして正解なのか未だ知り得ない状況の中、重大な仕事のために訪れたレアンドラで、今までのように大都市滞在を楽しめるほどウィリアムの神経は太くない。
「大丈夫よウィリアム。あなたの決断は正しいわ。私たちが正しいものにするの。そのために宴の場でも私がずっと傍についているから、安心して」
「……うん、ありがとぉ」
ジャスミンに腕を抱かれ、額をくっつけるようにして顔を寄せられ、間近で囁かれながら、ウィリアムはようやく安心した表情で言った。
そうして二人が甘く触れ合っている間も、馬車は市域の北側、アルメリア家の居城であるレアンドラ城へと進んでいく。
・・・・・・
「アーガイル卿、そして夫人も、よく来てくれた。夫婦揃っての来訪、アルメリア侯爵家は心から歓迎する」
「この度はお招きいただき感謝します。アルメリア侯爵閣下に直接お出迎えいただけるとは、恐縮に存じます」
自身の家であるフレゼリシア城よりも二回りは大きいレアンドラ城に到着したウィリアムは、当主のミランダ・アルメリア侯爵から直々に迎えられ、にこやかな表情を作って丁寧に一礼する。その隣では、ジャスミンが淑やかに貴族夫人の礼を見せる。
貴族としては明確に格上であるアルメリア家、その当主がわざわざ迎えに出る。ウィリアムが、正確にはウィリアムの所有するフレゼリシア鉱山がいかにミランダから重要視されているか、この扱いに露骨に表れている。
「二人とも、長く馬車に揺られて疲れていることだろう。まずは少し休むといい。客室へ案内させよう」
「……はい。ありがとうございます」
「お心遣いに感謝申し上げます、閣下」
ここで以前のミランダのように「疲れてはいないので早速会談を」などと強気の姿勢で言えたら格好いいのかもしれないが、生憎ウィリアムはそこまで強くない。当たり前に疲れているので、ジャスミンと共に礼を述べ、素直に休むことにする。
・・・・・・
その日の夜。ウィリアムとジャスミンはアルメリア侯爵家の夕食の席に招かれた。ミランダと、彼女の夫と娘と食事を共にした。
ミランダの継嗣である長男は不在だった。アルメリア侯爵領軍の隊長を務める彼は、軍務でレアンドラを留守にしており、宴の日までには帰ってくるという。
「本当に、どのお料理も素晴らしいですわ。さすがは大陸東部にその名の轟くアルメリア侯爵家の食卓です」
「王都出身の夫人からもそのように評されるのは光栄だ。当家の料理人も喜ぶだろう」
ジャスミンが夫と揃いのにこやかな笑顔で言うと、ミランダも微笑で答える。
和やかな空気が漂う会食の席。しかし、居並ぶのは大貴族家の当主とその家族。一人では間違いなく今以上に緊張していたであろうウィリアムとしては、愛する伴侶が隣で会話を繋いでくれることは非常に頼もしかった。
「こうして共に食事ができたのも、卿が宴の招待を受けてくれたからこそだ。アルメリア家として感謝しなければな」
「いえいえ、私こそ、アルメリア閣下より魅力的な宴にご招待いただけたこと、光栄の極みと存じておりますぅ」
ワインの杯を手に言うミランダに、ウィリアムはナイフで肉を切る手を止めて答える。相変わらず作り笑顔をたたえながら。
ミランダの家族も同席する食事の席で政治的な話をするのは不適切なので、互いに表現を取り繕う。この場においてウィリアムは、あくまで「宴に出席するために来訪した客人」という立場にある。
ウィリアムがミランダの宴――すなわちアルメリア侯爵家を選んだ理由は、いくつかある。
例えば、領都とアーガイル伯爵領の領境との距離。
アルメリア侯爵領の領都レアンドラは、アーガイル伯爵領との領境からは一週間とかからず行軍できる距離なので、もし敵対したら、レスター公爵家の援軍が来るよりも早くアルメリア侯爵領軍に攻め込まれ、民に甚大な被害が出るかもしれない。
一方で、レスター公爵領の社会の中心は東の港湾都市群で、公爵家の軍事力も沿岸部に寄っているので、そこから西進してくるまでには時間を要する。その猶予でアルメリア家の陣営は戦力の集結を終える。他家の軍勢が集まり終える前に、アーガイル伯爵家が先鋒としてひと足早く戦わされるような事態にはおそらくならない。
そして、常備兵力と当主の気質。兵力で言えば、アルメリア侯爵領軍の方がレスター公爵領軍よりも多い。加えて、代々の当主の気質もあり、アルメリア侯爵領軍は厳しく鍛え上げられて精強なことで有名。また、あくまでウィリアムの主観的な感想になるが、他勢力との戦いで指揮をとる将として見れば、ミランダ・アルメリア侯爵の方がクリフォード・レスター公爵よりも強そうに見える。いかにも切れ者の傑物である彼女が、戦争で敗北する姿は想像し難い。
他にも、当主との個人的な関係。
どちらかといえば文化人であるウィリアムは、同じく文化人であるクリフォードとはそれなりに親交がある。もしアルメリア家の陣営がレスター家の陣営に敗北した後、アーガイル家が追い詰められた場合でも、ウィリアムが友人としての立場を利用してなりふり構わず命乞いすれば、穏やかな人柄のクリフォードは応えてくれるかもしれない。
もちろんクリフォードも大貴族家の当主であり、個人的に友人だからといって敵対した者にそう簡単に甘い顔はできないはず。もしかしたら、どれほど無様に命乞いしても聞き入れてくれないかもしれない。とはいえ、希望は皆無ではない。
アルメリア侯爵家と敵対する道を選んだ上で敗ければ、ミランダは気質的に決して容赦してくれないであろうことを考えれば、たとえ僅かだとしても敗北後の希望が残されるだけで、ウィリアムとしてはありがたい。
どの理由も、決定的なものにはなり得ない。レスター公爵家を選ぶ理由としても同程度のものがいくつかあった。それでもアルメリア侯爵家につくことを選んだのは、はっきり言ってしまえば、勘と好みからの賭けに過ぎない。
ちなみにレスター公爵家には、今より少し前、招待への返答時期としてはぎりぎりの頃に断りの返信が届くよう手配してある。
「ははは、魅力的な宴か。今後の当家との交流にも魅力を感じ続けてもらえるよう、私も当主として励まなければな……さて、アーガイル卿。来てもらって早々で悪いが、明日の午前にも卿との会談の席を設けたい。宴の前に、今後の協力関係についてより具体的な話をしたいと思っている。構わないだろうか?」
「もちろんです。私としても、閣下と一度じっくりお話ししたいと思っていました。お時間を頂戴できること、大変ありがたく存じます」
仕事の話は明日。当主同士でそう確認し合った後も、会食は和やかに続く。




