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ウィリアム・アーガイルの憂心 ~脇役貴族は生き残りたい~  作者: エノキスルメ
第一章 偉大な王国、崩壊間違いなし

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第12話 腹を括って

 読書と並んでウィリアムが楽しみとしているのが、市井――市街地における領民たちの暮らしぶりを視察すること。

 きっかけは、今は亡き父の教えだった。為政者たるもの、城に引きこもっていては領地を正しく治めることはできない。民の暮らしを己の目で見て、民の声を己の耳で聞いてこそ、良き為政者たり得る。そうして民に寄り添う姿勢を示すことで、民の信頼も得られる。そう語りながら市井の視察にくり出す父に、ウィリアムも子供の頃から付き従った。フレゼリシアだけではない。他に領内に三つある主要都市に、ときには農村部まで、足を運んで領民たちの様子を見る父の真似をしながらウィリアムは育った。

 そのおかげもあって、ウィリアムは領民たちから親しまれてきた。幼い頃は「坊ちゃま」と呼ばれ、成長してからは「若様」と呼ばれて可愛がられた。ウィリアムだけではない。婚約者としてアーガイル家で暮らすようになったジャスミンも、よく視察に同行しては「お嬢様」と呼ばれて人気を集めた。


 ウィリアムがジャスミンと正式に結婚すると、領民たちは皆が祝福してくれた。父の死後、ウィリアムが新たに領主として君臨したことを、彼らは抵抗なく受け入れてくれた。以降もウィリアムたちは定期的に領内社会の視察を行い、領民たちに愛され続けている。

 領民の税負担を抑えた先代当主の領地運営は善政と評され、ウィリアムもその方針を受け継いでいるが、それに加えて領主自らが積極的に民と触れ合う姿勢もまた、アーガイル家の支持を盤石なものとする上で大きな効果を発揮してきた。

 市井の視察はウィリアムにとって重要な仕事のひとつであると同時に、個人的な趣味にもなっている。子供の頃から市街地に出れば領民たちが明るく歓迎してくれるのだから、楽しくないはずがない。


 よく晴れた秋のある日。ウィリアムはジャスミンと共に城を出て、領都フレゼリシアの市街地視察という名の気分転換に臨んでいた。平時の政務に加えて、情勢の報告を受けて思案をめぐらせる日々に少しばかり疲れたため、愛する領民たちの顔を見るべく出かけていた。

 アーガイル家の専用馬車で向かったのは、市域の南側、領都の城門にほど近い位置にある広場。この広場では連日市場が開かれ、都市内外の商人たちや、近隣の村々から訪れた農民たちが様々なものを売り、日中はいつも賑わっている。

 市場に商品を並べている売り手も、買い物客も、まずは領主夫妻の登場に気づいた者たちが「領主様! それに奥方様も!」と呼び、その言葉で他の者たちも振り返る。ウィリアムとジャスミンは瞬く間に領民たちの注目を集める。

 優しい人柄で知られているとはいえ相手は領主夫妻であり、おまけにギルバートをはじめとした親衛隊騎士が周囲を固めているため、領民たちもウィリアムたち目がけて押し寄せるようなことはしない。しかし、親しみを込めた呼びかけの声は止むことなく、ウィリアムとジャスミンは揃って柔和な笑みを浮かべながら手を振り、歓迎に応える。


「領主様! 焼きたての鹿肉のパイです! いかがですか?」

「美味しそうだねぇ。ひとつもらおうかな」


 籠に山盛りのパイを売り歩いていた商売熱心な女性領民が、陽気な声で尋ねる。それに答えたウィリアムは、パイを一切れ選んで受け取り、大銅貨を手ずから彼女に渡す。


「あら、差し上げていいんですよ? 領主様からお金をとるなんて……」

「駄目だよぉ。領主だからこそ、領民が商品として作ったものにはちゃんと対価を払わないと。お釣りはとっておいて」


 恐縮する女性領民に答え、ウィリアムはパイを一口齧る。ジャスミンも、隣から顔を寄せてパイを一緒に食べる。

 焼きたてというだけあってほかほかと温かく、香ばしいパイ生地の中には薄切りの鹿肉がたっぷりと挟まっていた。


「食べ応えがあって美味しいわね、ウィリアム」

「ほんとだねぇ。ぎっしりしてて、肉の旨味がしっかり感じられて、すごく美味しい。買ってよかったよ」

「あら、とっても光栄です! 皆聞いたかい? 領主様からもご好評の鹿肉のパイ! 一切れ銅貨三枚だよ!」


 商売上手な女性領民の振る舞いに思わず笑いを零し、ウィリアムはジャスミンとパイを分け合って食べながら市場を歩く。フレゼリシアを訪れている行商人たちに感謝と歓迎の言葉を語り、近隣の村から野菜などを売りに来た農民たちには労いの言葉をかけ、既に顔を見知っている地元の商人たちには最近の市井の様子を尋ねる。広場の一角には大道芸人のような者たちもおり、領民たちと共に彼らの芸を楽しむ。

 最近は執務室で頭を悩ませることの多いウィリアムにとって、この視察は最上の気分転換、心が安らぐ時間だった。


「……皆のためにも、選択を間違えたくないなぁ」


 ウィリアムはふと、そのように独り言ちた。


 レスター公爵家とアルメリア侯爵家。どちらの陣営につくか選択を間違え、敗者となれば、自身や周りの者たちはもちろん、アーガイル伯爵領そのものが不幸になりかねない。

 戦争に巻き込まれる時点で損害が皆無とはいかないだろうが、敗北すれば損害はより多くなる可能性が高い。損害とはすなわち、アーガイル家が動員する将兵たち――この地の民の命。自身の選択次第で、庇護すべき領民が大勢死ぬかもしれない。

 敗北の後に敵軍がアーガイル伯爵領に侵入すれば、略奪や暴行なども発生するだろう。征服された後、新たな支配者となったレスター家あるいはアルメリア家の植民地と見なされ、圧政を敷かれる可能性も高い。

 どちらにせよ、敗ければこの地には不幸が訪れる。敗け方が酷いほど、訪れる不幸も民にとって過酷なものとなる。

 だからこそ、正しい選択をして勝利を掴みたい。勝利して、これからも父の教えに従い、善政を成す領主としてこの地を治めていきたい。この地と、この地に暮らす民のためにも、自分は死にたくない。


 ウィリアムはそう考えながら、領民たちの日常風景を愛しそうに眺める。そんなウィリアムに、ジャスミンや従者を務めるアイリーン、護衛を担うギルバートは優しい眼差しを向ける。


・・・・・・


 秋も深まった十一月の初頭。レスター公爵クリフォードとアルメリア侯爵ミランダから、ほぼ同時期に書簡が送られてきた。

 内容は、それぞれの城で開かれる宴への招待。両家とも、友好関係にある貴族たちと、次第に混迷していく情勢を共に乗り越えようと誓い合う晩餐会を開くのだという。

 開催予定日は、どちらの宴も十一月の末。時期を考えても、宴の趣旨を考えても、出席できるのはどちらか一方のみ。

 要するに、これは最後通牒だった。おそらくは両家とも、未だ立ち位置を決めていない周辺の貴族家に対してこのような書簡を送って最終的な決断を迫っており、そこにはアーガイル伯爵家も含まれているようだった。

 返信が届くまでの時間を考えると、この数日中にはこちらも書簡を用意しなければならない。すなわち、レスター家を選ぶのか、アルメリア家を選ぶのか、アーガイル伯爵家の命運を左右する選択の時がいよいよ訪れた。

 この重大な局面を前に――ウィリアムは未だ、決断できていない。


「どうしよぉ~! ほんっとにどうしよぉ~!」


 伴侶ジャスミン、家令エイダン、領軍隊長ロベルト、そして若き側近アイリーンとギルバート。いつもの顔ぶれが集まった主館の会議室で、ウィリアムは半泣きで頭を抱える。

 今に至っても決断しきれていない理由は、周辺情勢について、未だはっきりしない要素が多々残っているため。

 この秋の間、できるだけの情報が集められたが、アーガイル家のように明確な立ち位置を表明していない貴族家も少なくない。そして現状で分かっている限りでは、レスター家とアルメリア家それぞれの陣営の勢力はほぼ互角。それぞれ強みもあれば弱みもあり、いずれも決定的に勝敗を左右する要素にはなり得ない。アーガイル家がどちらに与しても、未だ立ち位置の見えない他貴族たちの動き次第で勢力図はさらに変わるため、戦力の天秤がどのように傾くのか予想がつかない。

 このような状況での二択など、貨幣を投げて裏表を当てる賭けと何ら変わらない。アーガイル家の命運、領地領民の未来がかかっている選択を、単なる賭けで決めなければならないとは。


「ははは、閣下がこれほど重大な二択に臨まれるとなれば、家臣の身としても緊張しますなぁ」

「どうしてそんな笑ってられるのぉ~? 緊張どころじゃないよぉ~! 眩暈がしてきたし、胃がぐるぐるして気持ち悪いよぉ~!」


 あっけらかんと言うロベルトに、ウィリアムは目を見開いて驚きを示しながら返した。


「大丈夫よウィリアム、ほら、私の体温を感じて? 安心するでしょう?」

「ウィリアム様、ハーブのお茶です。心を落ち着ける効果がありますので……」

「……ありがとぉ」


 抱き締めてくれたジャスミンと、お茶を淹れてくれたアイリーンにそれぞれ礼を言い、ウィリアムは温かいお茶のカップに口をつける。

 密着したジャスミンの体温と優しい声も、穏やかな香りのハーブ茶も、心の内からこみ上げる恐怖と緊張を和らげ、安らぎを与えてくれた。

 幾分か気を静め、ひとまず落ち着いて話せる状態になったウィリアムに、再びロベルトが言葉をかける。


「いや、これは失礼いたしました。私も決して、閣下のご心労を笑っているわけではありません……ただ、閣下のご選択の結果をより良いものとするため、軍人として奮闘しようと今より意気込んでおります故」

「……僕の選択の結果を、より良いものに?」


 ウィリアムは首を傾げながら、ロベルトの言葉をくり返す。


「閣下。畏れながら、あえて申し上げます」


 続いて口を開いたのは、エイダンだった。


「未来は神のみぞ知るもの。我々家臣が閣下のお言葉に従うのは、閣下がまるで唯一絶対の神のように、必ず正しい決断をなさると思っているからではありません。お仕えする主家の当主たる閣下に、我々家臣と領地領民の行く道を決めていただくのであれば、たとえどのような運命が待ち構えていようと納得しながら臨むことができる。そう考えているからこそ、我々は閣下に従っているのです」


 きょとんとした表情を見せるウィリアムを見据えながら、エイダンは淡々と言葉を続ける。


「主に仕えるということは、決断を委ねるということでもあると、私は考えております。我々はこれまでもアーガイル伯爵家の家臣として、ご当主の決断を己の決断としてきました。今回もそれは同じです。閣下の選ばれた道ならば、我々は喜んで付き従います。悔いることはございません」

「誠に、エイダン殿の仰る通りです」


 続いて言ったロベルトの方へ、ウィリアムは視線を向ける。


「そして、未来がどうなるか決まっていないからこそ、己の奮闘をもって主のご決断を正しいものとするのも、また家臣の務めにございます。我々は閣下のご意思に従います。軍人である私は、閣下が敵と定めるのがレスター家とアルメリア家のどちらであったとしても、戦いが起こるのであれば全力で臨みます。そして閣下に勝利を献上し、閣下の選択が正しかったのだと世に示して見せましょう」


 自信に満ちた声と表情で、ロベルトは言い切った。


「……」


 ウィリアムがさらに視線を移すと、アイリーンとギルバートも頷く。


「何があっても、ウィリアム様とアーガイル伯爵家にお仕えいたします。覚悟はとうにできております」

「私は親衛隊長です。戦場でどちらの陣営に立つことになっても、我が命を賭して御身をお守りします」


 半ば呆然としながら二人の言葉を聞いたウィリアムは、最後にジャスミンの方を向く。

 ウィリアムを抱き締めたままのジャスミンは、間近で顔を見合わせながら微笑む。


「あなたを心から愛してる。私たちの行き着く先がどんな結末だとしても、あなたの伴侶として生きることができて幸せだと言いきれる。あなたが決断の結果を受け止めるとき、私もあなたの傍にいる……だからどうか恐れないで、私のウィリアム」


 ジャスミンはそう言って、ウィリアムの頭をそっと撫でた。


「……ふふっ」


 そしてウィリアムは、思わず笑みを零す。


 皆の言う通りだった。未来が見える人間などいない。絶対の正解を知る者などいない。それでも領主貴族は、庇護下の者たちのため、正解を探し求めなければならない。だからこそ自分は、二つの選択肢のうち、どちらを選ぶ方が生き残る確率が高まるかを考え、決断に悩んでいたのだ。

 結局、レスター家とアルメリア家のどちらが勝つかは見定めようがなかった。いや、そもそも最初から見定めることなど不可能だったのかもしれない。

 最後は腹を括って決めるしかないのだ。きっと心のどこかでは分かっていた。ただ、アーガイル家の当主となって初めて重大な選択をする場面で、覚悟を固めるには時間が必要だった。ジャスミンと家臣たちは、決断を下す期限が迫るまで待っていてくれた。


 自分がどんな選択をしたとしても、家臣たちは受け入れ、付き従い、全力で支えてくれる。そして最愛の伴侶は、これからもずっと傍にいてくれる。たとえこの先自分がどうなろうとも、運命を共にしてくれる。

 自分は死にたくない。それは大前提として変わらない。だが、ジャスミンと家臣たちの覚悟を受け取ったことで、今までより少しだけ死が怖くなくなった。だからこそ、死なないためにもっと冷静に、もっと全力で、厳しい現実にも立ち向かえるようになるだろう。

 ウィリアムは後ろを振り返る。会議室の正面側の壁に飾られているのは、今は亡き父と母が並んで描かれている肖像画。

 椅子に座って優しげに微笑む母と、その隣で凛々しく佇む父。母の愛情が幼き日の自身の心を育み、父の教えが領主貴族としての自身の精神を鍛えてくれた。

 しばらく肖像画を見つめていたウィリアムは、再び皆の方に向き直る。


「皆ありがとう。それじゃあ、腹を括って決めようかなぁ」


 己と家の命運を、領地と領民の未来を左右する選択。正解は分からないが、妻と家臣たちは後悔することなくついてきてくれる。ならば自分も、見つかるはずもない絶対的に正しい選択肢を探すのではなく、己の頭で考えて最良と思える決断を成し、その決断が最良となるよう努力し、最後には結果を潔く受け入れるべきだ。そのための覚悟を固めるべきだ。

 ウィリアムは思考を解きほぐすようにぐっと伸びをして、そのまま天井を見上げながら思案を巡らせる。


 考えて、考えて、考えて、そうしてしばらく経った頃、決断を語る。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

ブックマークや星の評価をいただけると、作者の中のウィリアム・アーガイルが泣いて喜びます。

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