第11話 動乱の足音は着実に
東部統一暦九八四年の秋を通して、レグリア王国の情勢は着実に動いていった。
アーガイル伯爵家が把握すべき最重要の情報は、王国北部から西部にかけての中小貴族たちがどの陣営につき、その結果としてレスター公爵家とアルメリア侯爵家の陣営がどれほどの規模になるのか。アーガイル家当主のウィリアムとしては、その結果を踏まえて、より勝ち目の大きい方を見極め、そちら側につきたい。
王国北部の各地に散り、情報を収集するのは、アーガイル家の抱える諜報員たち。そして、アーガイル家の傘下にいる商人たち。彼らから届けられる情報は家令のエイダンのもとへ集積され、ウィリアムの政務の補佐を務めるアイリーンを介して随時報告される。
「リュクサンブール伯爵家がレスター公爵家の陣営に加わったと、新たに情報が入りました。行商人と諜報員の双方から報告がなされたため、間違いないものと思われます」
「ってことは、レスター公爵家は戦力を物凄く強化したことになるねぇ」
十月のある日。領主執務室でアイリーンが新たに伝えた情報に、ウィリアムは片眉を上げながらそう返す。
レグリア王国北部、レスター公爵領の南に位置するリュクサンブール伯爵領は、良馬の産地として有名。領地規模に比して精強な騎兵部隊を抱えるリュクサンブール家が、北隣のレスター公爵家につくのか、あるいは南隣のレグリア王家につくのかは、注目すべきところだった。
リュクサンブール伯爵がクリフォード・レスター公爵に味方することを選んだのであれば、レスター家としては特筆すべき成果。かの家の陣営は、軍事的に大幅に強化されたと言える。
「……リュクサンブール家の破壊騎兵とは、戦いたくないなぁ」
呟きながら、ウィリアムは傍らにいるリクガメのマクシミリアン、その甲羅を撫でる。
リュクサンブール伯爵領軍の騎兵部隊は、かつての動乱の時代で猛威を振るったという。重装騎士による一糸乱れぬ突撃が多くの敵を粉砕したことから、「破壊騎兵」の異名で知られている。
動乱の時代が終わってからも、南の国境地帯の紛争に定期的に参戦し、北の寒冷地帯の民族との小競り合いでレスター家から何度も雇われている破壊騎兵は、一定の実戦経験を持つ。もし戦うことになれば、恐ろしい存在であることは間違いない。
ウィリアムの気持ちなど知る由もなく、執務机の後方の窓から差し込む陽光で日向ぼっこをするマクシミリアンは、気持ちよさそうに目を細めるばかりだった。
「アルメリア侯爵家の方も新たな動きがございました。バルネフェルト伯爵家を陣営に迎えたようです。ルトガー・バルネフェルト伯爵閣下より、直接ご報告のお手紙が届きました。今日の午前中のことだそうです」
「伯父上はアルメリア侯爵家かぁ。それはものすごく重要な情報だねぇ……バルネフェルト伯爵家とは、なるべく対立したくないんだよねぇ」
ウィリアムは呟きながら、アイリーンの差し出した書簡を開く。
アルメリア侯爵領とヴァロワール侯爵領の間に位置するバルネフェルト伯爵領は、非常に肥沃な土地を持ち、農業が盛んなことで知られている。「十万の人口で二十万を食わせる作物を育てている」などと言われ、昔から食料輸出で利益を上げてきた。
バルネフェルト家を陣営に迎えたのであれば、アルメリア侯爵家は食料の面で余裕を得たことになる。すなわち戦時でも社会の安定性を保ち、動員兵力も増やせる。これはレスター家がリュクサンブール家を陣営に迎えたことと同じく、注目すべき新情報だった。
そしてこのバルネフェルト家は、ウィリアムが幼い頃に亡くなった母の実家。当代バルネフェルト伯爵ルトガーは、ウィリアムにとって伯父にあたる。
ルトガーからの書簡には、案の定というべきか、アーガイル家もアルメリア家の陣営に加わるよう勧誘する内容が記されていた。食料に加えて鉄を確保すれば、アルメリア家の陣営は極めて強くなる。なので共にかの家の味方となり、動乱の時代を生き抜こう。ルトガーはそう伝えてきた。
ウィリアムとしても、できれば伯父の求めに応えたい。母の兄と敵同士になる事態は、なるべく避けたい。
しかし、バルネフェルト家の決断によって、アルメリア家が決定的な有利を得たわけでもない。食料ならば、港湾都市を有するレスター家も、割高にはなるが安定的に確保できる。である以上、安易に伯父に倣ってアルメリア家を選ぶわけにはいかない。
レスター家とアルメリア家のどちら側につくか。この選択は、もはやアーガイル家の命運を左右する重要なものとなっている。伯父の家と戦いたくないという、ひとつの個人的な理由だけで決断を下すことはできない。
「はぁ~、どうしようかマクシミリアン」
ウィリアムが声をかけると、自分の名前を理解しているマクシミリアンは目を開いて主人を向いた。しばらく目を合わせ、そしてまた目を瞑って日向ぼっこに興じる。
「そうだよねぇ。こんなこと聞かれても困るよねぇ。君はいつものんびりしてて羨ましいなぁ。僕もときどきリクガメになりたいよ」
そうマクシミリアンに語るウィリアムの姿を見て、アイリーンがクスッと笑みを零した。
貴族たちの動きについては着実に情報が集まっているが、それによってレスター家とアルメリア家の勢力図に決定的な有利不利が生まれているわけではない。
レスター公爵家の人口はおよそ六十万。抱える領軍はおよそ五千。対するアルメリア侯爵家の人口はおよそ五十万で、領軍の規模は六千。貿易などの商業に関しては前者の方が栄えているが、工業と軍事に関しては後者の方がやや上。そして、それぞれが陣営に加えたことが判明している中小貴族家は、領地人口の合計で見ても、常備兵力の規模で見てもおおよそ互角。
アーガイル家のように決断を保留している貴族家も少なくない以上、いざ両陣営が激突するときにどの程度の戦力差が生まれているかはまだ分からない。この状況で勝ちそうな方を選べと言われても難しい。
「ウィリアム様。王国中央部の最新の情勢についても、モンテヴェルディ家より報告が入っております」
続く言葉に、ウィリアムはアイリーンの方へと視線を戻す。
ジャスミンの実家であるモンテヴェルディ子爵家、その現当主であるジャスミンの兄は、宮廷内で官僚として上位の役職にある。親類であるアーガイル家は、王国中央部の情勢について、いち早く詳細な情報を受け取ることができる。
「どんな感じ?」
「現時点では、第一王子と第二王女の派閥が明確に優勢です。王都トリエステをはじめ王領の中央から西側にかけてを掌握しており、王国軍も七割ほどが、王国中央部の領主貴族家も過半が第一王子に従っています。また、第一王子の伯父にあたるヴァロワール侯爵が助力する姿勢を見せているそうです。対する第一王女と第二王子の派閥は王都を離れ、二人の母方の実家であるジェルミ辺境伯家を後ろ盾に、王領東部を拠点として対抗する構えを見せているとのことですが……」
「……どう考えても、第一王子派が強いねぇ」
大陸東部の東側、王領とその周辺地域の勢力図を頭の中で描きながら、ウィリアムは言った。アイリーンも主の言葉に頷く。
王家の権勢の過半を握っている第一王子派と、四大貴族家の一角であるヴァロワール侯爵家が手を結んだとなれば、その力は相当なもの。第一王女派の後ろ盾、王領のさらに東に領地を持つジェルミ辺境伯家も有力貴族家ではあるが、さすがに四大貴族家と比べれば大きく見劣りする。
第一王子派と第一王女派それぞれの軍事力は、二対一といったところか。あるいはそれ以上に第一王子派が有利か。どちらにせよ、現状で本格的な戦争に乗り出せば、第一王女派はよほど上手く立ち回らない限り勝てないだろう。
「両派閥の対立において、既に死者も出ているそうです。王城から重要な書類や国宝などを盗み出そうとした何人かの第一王女派貴族が、王都からの脱出に失敗して第一王子派に捕らえられ、そのまま家族もろとも公開処刑されたそうで……」
「もう殺し合ってるのぉ? 血の気が多すぎるよぉ~!」
引きつった表情で、ウィリアムは言った。
第一王子派と第一王女派の不仲は相当なもの。特に、派閥の旗頭である四人の王子王女たちは、母親である第一王妃と第二王妃の険悪な関係を受け継ぐように、成長するほどに激しくいがみ合ってきたという。
とはいえ、国王ヴィットーリオが崩御してからまだ数か月、動乱の時代が本格的に到来もしていないうちから、死者を伴う争いをくり広げるとは。これまでも暗殺と思われる宮廷貴族の不審死などは稀に起こっていたというが、表立って処刑するとなれば事の深刻さは数段上。平穏な時代ではあり得なかった血生臭さに、話を聞いているだけで辟易としてしまう。
今のところ、動乱の足音はアーガイル伯爵領の間近には聞こえていない。しかし、自身も少し前に訪問したあの王都トリエステには既に甲高く響き渡っている。その足音に追いつかれ、恐怖や絶望の中で最期の瞬間を迎えた者が確かにいる。そう思うと鳥肌が立つ。
王族ともなれば、王国内では際立って裕福な貴族である自分よりもさらに富と権力を持ち、たとえ王位を継がずとも一生安泰のはず。むしろ、不安定なレグリア王国の君主になど即位しない方が安楽に暮らせるだろう。それなのに何故、人死にまで出しながら王位を奪い合うのか。玉座とはそれほどまでに座る価値のあるものなのか。ウィリアムとしては大いに疑問だった。
「さらなる詳細が入り次第、またご報告いたしますね」
「うん、よろしくねぇ」
遠隔地で商人などから話を聞き、あるいは市井の噂を拾うかたちで情報収集を行う以上、確かな情報が揃うのは少しずつとなり、時間も要する。情報が届けられるのを待つウィリアムの立場としては、またしばらく平時の政務に注力する日々が続く。




