第9話 レスター公爵クリフォード
会談を終えてすぐにミランダは客室へと引き上げていき、後にはウィリアムと、お茶の用意などを担ったアイリーン、そして護衛を務めたギルバートが残る。
「……あぁ~、怖かったぁ~」
「お疲れさまでございました、ウィリアム様」
ウィリアムは息を吐きながら、ソファの背もたれにどかりと体重を預ける。傍らではアイリーンがお茶を淹れ直しながら、労いの言葉をかける。
「さすがはアルメリア家の当主と言うべきか、迫力のある相手でしたね」
「ほんとだねぇ。普通に話してるだけなのに圧が強いのなんの……今まで社交の場で世間話したときとは迫力が全然違ったよぉ。さすが、実戦経験がある人はいざとなると凄いねぇ」
腕を組みながらギルバートが語った感想に、ウィリアムは頷きながら返す。
今回の会談で、ミランダは表立った態度として威圧的だったわけではない。最後まで穏やかな表情を崩すことはなく、露骨に睨みつけてくるようなこともなかった。が、こちらに常に緊張を強いる空気を放っており、最後まで会話の主導権を握っていた。
ミランダは現代の貴族家当主としては珍しく、実戦経験を持っている。隣国との睨み合いが続く南の国境地帯、そこへ送り込む援軍の指揮を若い頃に自らとったことがあり、武力衝突が起こった際には騎馬突撃の先頭に立ち、敵騎士を見事仕留めたのだという。
戦いで人を殺したことのある者は、そうでない者とは違う空気を放つことができると聞いたことがある。あれがその空気とやらかと、ウィリアムは考える。
「おまけに、強引な話の流れで言質を取ってくるし……しっかり釘を刺されちゃった。大貴族って有利だねぇ。ずるいよねぇ」
例のごとくソファの上で器用に膝を抱えながら愚痴を零すウィリアムに、アイリーンもギルバートも苦笑で応える。
ミランダはレスター家への非難を口にする際にウィリアムを巻き込むことで、後々ウィリアムがレスター家の側につくことを選んだ場合、それをアルメリア家に対する裏切りと受け取ると、言外に警告してきた。敵対すれば容赦はしないと、明言はせずとも宣言してきた。
言わば、彼女はウィリアムから力ずくで言質をとったかたちとなる。単にアーガイル家を自家の陣営に勧誘するでなく、断られた場合に強硬な姿勢をとると示すことも、目的のひとつであったと推測できる。
アルメリア侯爵家の当主である自分が直々に来訪し、共にレスター家の卑劣さを確認しあった上で味方になるよう申し入れたにもかかわらず、アーガイル伯爵家はあちら側についた。これはアルメリア家の誇りを踏みにじる明確な敵対行為である。
もしアーガイル家がレスター家の側についた上でアルメリア家に敗北したら、ミランダはそう喧伝するだろう。その先にはきっと、壮絶を極めた報復が待っている。
こうなると、アルメリア家の誘いを蹴ってレスター家の陣営を選ぶには、相当な勇気が必要となる。
「それほど強硬な姿勢を示してくることから考えて、アルメリア侯爵も相当に前のめりですね」
「ほんとだよねぇ。わざわざうちを味方に引き入れるために、無理やり罠にはめて言質をとるなんて……あの家の事情を考えれば分かるけどさぁ」
アイリーンの言葉に、ウィリアムはそう返した。
エルシオン大陸東部において、鉄鉱石の主要な産出地は四か所ある。
大陸東部をさらに東西に二分する小山脈の東側、王領にある鉄鉱山。大陸東部と南部を分け隔てる山脈の北側、キルツェ辺境伯領に含まれる位置にある鉄鉱山。そして大陸西部との境界である大山脈「巨竜の脊梁」の山々のうち、ヴァロワール侯爵領の面する一角と、アーガイル伯爵領の面する一角にある鉄鉱山。
これら四つの鉄鉱山が、大陸東部の鉄の需要、その多くを満たしている。五大名家のうち、自前で大きな鉄鉱山を有していないアルメリア侯爵家とレスター公爵家は、鉄の供給の多くをアーガイル伯爵家からの輸入に頼ってきた。
レスター公爵家は港湾都市を有しているので、多少割高になっても大陸東部の外から鉄を輸入することが可能だが、アルメリア侯爵家はそうもいかない。アーガイル伯爵領からの輸入が叶わなくなれば、王領やヴァロワール侯爵領やキルツェ辺境伯領から、おそろしい割増料金を上乗せされた鉄を輸入する羽目になる。情勢によってはそれすらも叶わなくなる。
動乱の時代には、軍事力やその基盤となる工業力、経済力を維持するためにも鉄が必須。だからこそ、ミランダがアーガイル家を重要視するのはウィリアムにも理解できた。だからといって脅迫じみた勧誘をされてはたまったものではないが。
「まあ、唯一の救いは、今日この場で決めろって言わなかったことかなぁ。とりあえずは、レスター公爵の話も聞いてから考えるべきだよねぇ」
ミランダが使者を送ってきた数日後、レスター公爵からも会談に訪れる旨を伝える使者が送られてきた。使者による伝言と渡された書簡によると、ミランダたちと入れ違いになるかたちで、数日後にレスター公爵がこのフレゼリシアにやってくる。
「……わざわざ当主自ら来訪するということは、レスター公爵も釘を刺しにくるつもりかもしれませんね」
「あり得そうだねぇ。嫌だなぁ」
ギルバートの言葉に、ウィリアムはげんなりした顔で返す。
アルメリア家とレスター家からそれぞれ逃げ道を塞がれたとなれば、どちらを選んでも、敗者となった場合は勝者から苛烈な報復を受けることになる。
「そうなったら、アーガイル家の命運を決める二択を迫られるのかぁ……怖いねぇ」
ウィリアムは嘆きながら、アイリーンが淹れ直してくれたお茶を飲む。このようなきな臭い話ばかりしていると、いよいよ動乱の時代が近づいてくるのだという実感が心の内でじわじわと大きくなる。
「まあ、まだ本当にそうなると決まったわけじゃないし……レスター公爵は穏やかな人だし、僕は個人的に仲も良いから。あんまりきついことはしてこないって思いたいよねぇ」
単なる願望に過ぎないことは理解しつつ、ウィリアムは言った。
ミランダは大貴族家当主として多忙を極めているらしく、翌日の昼には自領へと帰っていった。
・・・・・・
「――なので我がレスター公爵家としては、是非ともアーガイル伯爵家と力を合わせて新たな時代を乗り越えていきたい。悪い誘いではないと思うが、どうだろうか?」
「アーガイル伯爵家として、とても魅力的なお話だと思います。何より、レスター公爵閣下より直接にお誘いいただけること、光栄の極みと存じますぅ」
数日後。フレゼリシア城の応接室。当代レスター公爵クリフォードを前に、ウィリアムは作り笑顔で言った。
昨日の夕方にフレゼリシアへと到着したクリフォードとは、他愛もない雑談に興じる昨晩の会食を経て、今日こうして会談している。
クリフォードからなされた提案も、ミランダからのものとほぼ同じ。再興されるレスター王国でこれまでと変わらない地位や特権を保障することと引き換えに、動乱の時代において全面的に味方になることを求める内容。
「ははは、そう言ってもらえて嬉しいよ……それにしても、同じレグリア王国の同胞だったはずの貴族たちのことで、敵だ味方だと物々しい話をしなければならないとは、まったく恐ろしい時代になりつつあるな。悲しいことだ」
「同感です。突如として変化していく王国社会に、まだ戸惑いを覚えています」
「特に我々のような文化人にとっては、なおのこと辛いなぁ」
「ええ、本当に……社会の平和が保たれないとなれば、文化を楽しむ余裕もなくなってしまいますからねぇ」
うんうんと頷きながら、ウィリアムはクリフォードの言葉に同意を示す。
柔和な笑みを浮かべるクリフォードは、齢五十を少し過ぎている。若い頃はもっと細かったらしいが、現在は少しばかり肉付きのいい体型。穏健な性格も合わさり、いかにも無害そうな雰囲気を漂わせている。もちろん大貴族家の当主である以上は油断ならない相手だが、少なくともミランダのような、対峙する相手に緊張を強いるような気質の人物ではない。
そして、読書や観劇を好む文化人としても知られており、ウィリアムとは共通の趣味を持つ友人同士でもある。偶に社交の場で会った際などは、よく趣味について語り合っている。
「だが、たとえ社会が乱れたとしても、友情は失いたくないものだ。そう思わないか?」
「もちろんです、閣下」
「これまで私たちは友人同士だった。これからもきっと友人であり続けられる。そうだろう?」
「……はい」
否定するわけにもいかず首肯を続けながら、ウィリアムは違和感を覚える。
「では、卿も私と同じ認識か。いやあよかった。卿がこれからも私の友人として共に新たな時代を歩むつもりなのであれば、私たちの友情をもってレスター家とアーガイル家の共存共栄もなされるに違いない。ありがとう、ウィリアム殿」
柔和な笑顔のまま言うクリフォードを、ウィリアムは恐ろしいと思いながら、少しばかり強張った笑みでまた頷いた。
「とはいえ、今やアーガイル家の当主となった卿は、これほど重要な決断についてこの場で即答するというわけにもいかないのではないか?」
「は、はい。私個人としては今すぐ頷かせていただきたいと思っているのですがぁ……」
クリフォードの言葉に、この場で決断を急ぎたくないウィリアムは食いつくように答える。
「いや、いいんだ、気にしないでくれ。私も貴族家当主として、その複雑な立場は理解しているつもりだ。調整すべきことも、事前に話を通すべき相手も多いだろう……当家からの提案、是非とも前向きに検討してもらいたい。今はそれだけ言わせてもらおう」
「ご配慮いただき感謝いたします、レスター閣下」
言質を取るための罠に対する反感と、逃げ道を与える優しさに対する感謝。相反する二つの感情を隠す曖昧な笑みで、ウィリアムは言った。
その後もしばし雑談などを交わし、両家の当主会談は――少なくとも表向きは、終始和やかな空気のまま終わった。




