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29.白井の謎

 思わず自分の胸に手を当てた。実際そこまで考えたことはなかった。道行く人たちは「猫のくせに」という言葉を使う。自分も「猫のくせに」という光景が当たり前になっていなかったといい切れるだろうか。


 沈黙に包まれた。なにもすることのない言葉だけの空間にぼくたちは慣れてなかった。


「そうだ、昨日もなんて呼べばいいのか困ったんだけど、その猫の名前なんていうんだ?」


 白井はまるで自分の名前をいうように照れくさそうにした。


「キチ。女の子なんだけど」


「キチ」


 黒地にサビ模様の一見汚らしいが、本当は凛々しい顔をしている猫。男のようでもあり、女のようでもある名前が、逆にかっこよくて合っているような気がした。


「さわっても?」


「いいよ」


 ベッドまで近寄って、白井の膝の上で寝ているキチの背中に手を伸ばす。キチは異変に気付いたのか、目を覚ましぼくの指に鼻先を近づけた。


「匂いをかいで確認してるから、少しそのままでいてあげて」


 いわれるままに手を止めていると、キチは指を丹念に嗅いでいる。もういいかとゆっくりと手を伸ばすと、大人しく頭を撫でさせてくれた。動物をさわる機会は長いあいだなかったが、ふわふわで柔らかくて温かい。


「キチっていう名前は、なにか意味はある?」


「ううん。なんとなくこの猫に合うような気がしただけ。どうしたの、変な顔して」


「いや、なんでも」


 案外キチへ抱いている印象は、白井と似ているのかもしれない。


 キチはまた目を閉じた。寝ているようにも、聞き耳を立てているようにも見える。


「この猫かっこいいから、かわいい名前は似合わないんだよね」


 白井はいつからこの猫と暮らしているんだろう。一人暮らし、あるいはキチという猫と二人暮らし。どれくらいの時間をこの家で。


「白井さんはさ、どうして」


 無意識だった。ずっと疑問に思っていた。もっと計画を立てて、順序よく聞かなければいけないことはわかっていた。でも出かかった物を、飲み込むすべは心得ていなかった。


「どうして、こんなところに一人で住んでんの?」


 直球ストレート。


 明らかに白井は困った様子だった。キチを撫でる手が早くなっていた。


「答えにくい」


「聞かれたくなかった?」


「うん」


 ありったけの正直をぶつけられた。


「いつか教えてもらえたり……?」


「わかんない」


 気分を害しているようではなかった。どうして、という疑問をいずれは投げ掛けられることを予測してはいたのだろう。


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