誘拐
ファムルと交換で、様々なものを手に入れることができた。
母もとても喜んでくれて、大満足の結果となったはずだった。
ーーしかし、交換会から二日経った日の夜のこと。
久しぶりにきちんとしたごはんをたくさん食べられる日々に、わたしは幸せな気分で眠りについていた。
それなのに、ぐにぐにと柔らかい何かで頬を押される感覚に目が覚めた。
「うぅん……?」
眠い目をこすりながら、何事かと周囲を確認すると、なんとクロがこちらを見ながら、肉球でわたしの頬を何度も押していた。
部屋の中はまだ暗い。薄いカーテンしかないこの部屋は、朝日が昇るとかなり明るくなる。すごく眠いし、きっとまだ真夜中なのだろう。
「クロ、起きちゃったの? まだ寝ようよぉ」
クロを毛布の中へ引きずり込んで、ギュッと抱きしめた。大人しく寝てと体を撫でるが、クロは怒ったようにビシビシとわたしの胸を叩く。
「もう。なぁに、クロ……えっ?」
寝ぼけまなこのわたしは、一体どうしたのかとクロに問いかけようとして、異変を感じ取った。
そっと体を起こし、ドアの外を見据える。
……何か、いる?
肌がビリビリするような、危険な何かが小屋の周囲にいる。それも、複数。
わたしは眠気も忘れて、外の気配を探った。
獣ではないと思う。
何となく、感じるのだ。
人族特有の悪意という感情が、ハッキリとこちらへ向けられているのを。
すぐ隣にいる母の様子を確認すると、ぐっすりと眠っているようだった。
わたしは母を起こさないようにこっそりとベッドを抜け出すと、寝巻き姿のまま出口のドアへ向かった。
「クロ、お母さんのそばにいてあげてね」
小声でそう声をかけると、クロは眉間にシワを寄せて不満そうな顔をしたけれど、大人しく母の隣に腰を下ろした。そうしてわたしは眠ったままの母とクロをベッドに残し、そっと外の様子を窺う。
少しだけドアを開けて見る限り、誰の姿も見えない。でも、絶対に誰かいる。
……まさか、領主が力ずくでお母さんを連れ去りに来たとか?
でも、そうするつもりならとっくに行動を起こしているだろう。
領主はなんとかして、母の心を折ろうと躍起になっている。夜中に無理矢理攫おうだなんて、今さらそんなことは考えないはずだ。
……どうしよう? 悪い人が来てもやっつければいいと思ってたけど、あんまり力いっぱい殴ったりするのはダメなのよね?
トーアにはああ言ったが、母の言いつけを守るならば、わたしが普通の人間族よりちょっと力があることを知られてはならないのだ。
敵が一人だけなら姿を見られないようにやっつければいいけれど、複数だとそれは難しい。
……でも、お母さんは絶対に、わたしが守らなきゃ!
そう改めて決意したわたしは、手早く普段着に着替えた。寝巻きは薄いワンピース一枚なので、いざとなった時に動きにくいのだ。
そっとドアを開けて、するりと外へ出る。
その瞬間、向こうも様子を窺っていたのか、五人の男たちが一斉に草陰から姿を現した。
全員、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて、武器を手にしていた。清々しいほど、どこからどう見ても悪人である。
「……こんな夜中に、何か用なの?」
わたしが彼らにそう問うと、クックッという嫌な笑い声があちこちから聞こえてきた。
「ヨォ、可愛いお嬢ちゃん。それは、自分でもわかってるんじゃねぇのか?」
……わからないから、聞いているんでしょ!
わたしはムッと眉を寄せた。
「大人しく俺らと来るってんなら、乱暴な真似はしない。どうだ?」
そう言う男の目は、女子供でも一切容赦はしないと物語っている。
「わたしが目的なの? ……もしかして、ファムルのこと?」
「それ以外に何がある? あれだけの数を持ち帰ってきたんだ。群生場所を知ってるんだろう?」
わたしはホッと息を吐いた。
母が目的ではないならば、きっとなんとかなる。
それにしても、まさかトーアの心配が、これほど的中するなんて。
「わかったわ、案内する。でも、お母さんが心配するから、昼にしてくれない? 明日また来てくれたら、ちゃんと案内するから」
「信じられると思うか? そんなことを言って、朝になったら逃げるつもりだろう」
「本当だってば!」
母に危害を加えられたり、心配をかけたりすることを避けられるなら、ファムルの場所を教えるくらいなんでもない。
けれど、どうやら彼らはわたしの言葉を信じるつもりなどなさそうだ。
男たちが、ゆっくりと近づいてくる。
怖くはなかった。
たぶん、全員が束になってかかってきても、わたしの方が強いから。
「そっちがそのつもりなら……」
今、彼らに大人しく従うわけにはいかない。わたし一人ならファムルのある場所まで行っても母が起きるまでに帰ってこられるかもしれないが、この男たちを連れて行くのなら時間がかかる。起きた時にわたしがいなかったら、母が心配してしまうではないか。
わたしが男たちに抵抗しようと、構えを取った時。
ガシャーン!!
「きゃあああっ!?」
「……お母さん!?」
窓が割れる音と母の悲鳴に、バッと後ろを振り向いてすぐさまドアを開ける。そこには、窓から侵入したと思われる男が、勝利の笑みを浮かべながら母の首に腕を回して、ナイフを突きつけていた。どうやら、六人目が隠れていたらしい。
グワッと頭に血が上る。
母を捕らえている男に、どうしようもないほどの怒りを感じた。
「……お母さんを放して」
目の前の男をギロリと睨みながらそう言えば、笑みを浮かべていたはずのその男は、なぜか恐ろしいものを見たかのように目を見開いて、体を震わせた。
「なっ、お、お前……?」
時の流れがやけにゆっくりと感じられた。
……大丈夫。わたしなら、あいつがお母さんを傷つける前に助けられる。
素早く母の元へ駆けつけて、あいつの顔面にパンチをくらわせてやろうと考えた瞬間、なぜか急に横からこちらへ飛び出してくるクロの姿を、わたしは視線の端で捉えた。
ガンッ!!
「えっ……?」
その瞬間、頭にものすごい衝撃を感じた。
……しまった。頭に血が上って、後ろのやつらのことを忘れてたわ……。
クロはわたしを助けようと飛び出してきたのだとわかった時には、わたしの意識は落ちる寸前だった。
母が泣き叫ぶようにわたしを呼ぶ声と、激しい痛みだけを感じながら、わたしは意識を手放したのだった。
◇
「キアラ!!」
キアラの母、サーシャが娘の名前を必死に叫ぶ。
しかし、その声は彼女に届かず、キアラはピクリとも反応しないまま、床に倒れ伏している。
キアラはその気になれば刃物でも傷をつけられないほど頑丈だが、意識していないと、転んだだけで普通に血を流すこともあるという特殊な体だ。父と母、どちらの特性も併せ持つ、ハーフならではの体質だった。
いきなり後ろから鈍器で殴られれば、意識を失うのも当然である。
「やめて! 娘をどうするつもり!?」
意識のないキアラの小さな体を軽々と持ち上げた男に、サーシャは声を荒らげた。
「安心しろよ、あんたに危害は加えねえ。あんた、領主のお気に入りなんだってな? ファムルの群生地を見つけられるような、勘のいい娘のおかげで今までやってこれたみたいだが、これを期に意地を張るのは止めて、領主の元へ行くこったな。コイツは俺たちがもらっていく」
サーシャの表情が絶望に染まる。そして、キアラを担ぐ髭面の男に駆け寄り、その服を必死で掴んだ。
「嫌……! キアラを、キアラを返して! その子は、私とあの人の、大切な……!」
「うるせえ!!」
バシッ!
「きゃあっ!」
髭面の男のそばにいた手下の男に平手で頬を張られたサーシャが、ドタッと床に倒れ込む。
「おい、その辺にしとけ。傷でも残って領主にどやされたら、後が面倒だ」
「す、すいません。つい」
男たちがそんな言葉を交わしながら、悠々と小屋を出ていく。
床に散らばった割れた窓ガラスの破片が刺さったようで、サーシャの体はあちこちが痛み、血が出ていた。
しかしそんなことよりも、彼女は娘を連れ去られたという事実に、心が引き絞られるような痛みを感じていた。
「キアラ……っ」
しかしサーシャはどうすることもできず、ポタポタと、ただ床に涙の染みを作っていくばかりだった。
「……お願い。あの子を助けて、ディオ……」
ほとんど無意識にこぼれ落ちた呟きは、誰にも届くことなく、虚しく部屋に響いては儚く消えていったのだった。




