ノアルード④
彼の手には、食べ物が載ったトレイがある。
「食事を持ってきたんだけど、食べられそうかな?」
「……いりません。精霊たちがいるから、オレが飢えるという心配は無用です」
「へぇ、すごいな。でも、せっかく持ってきたんだし、食べない? 必要ないと言うなら、もうこうして食べ物を持ってくることもないと思うし」
「……結構です」
「はは、そうか。聞いていた通り、ずいぶんと大人びていて、不思議な子だな」
赤髪の男はおもむろに床へ座ると、持ってきた食事をその場で胃に収め始めた。高貴な雰囲気を全身に纏っているくせに、ここにはオレしかいないとはいえ、ずいぶんと自由な振る舞いだ。
「……どうして、皇帝陛下がわざわざここへ?」
「あぁ、やっぱりバレていたか。まぁ、あの時、後ろで『陛下陛下』ってうるさかったし、当然か」
赤髪の男は、軽い調子で肯定した。
あの時、後ろの人たちの声は聞こえていなかったが、やはり彼は皇帝だったらしい。今まで姿を見せなかったのに、なぜ今さら現れたのだろう。
疑問が顔に出ていたのか、皇帝は困ったように微笑んだ。
「私にも事情があってね。なかなか思うように動けないんだ。……君と似たようなものかもしれないな」
魔法具の灯りがぼんやりとしているせいだろうか。そう言って軽く息を吐く皇帝は、よく見ればあまり顔色が良くない気がする。
表情には出ていないが、もしかして、悪い病気にでも罹っているのだろうか。
皇帝の体調が悪いなんておおっぴらに言えることではないだろうから、オレは特に追求しなかった。
「なぜ、皇帝である私がわざわざここへ来たのか、だったね。単純に、私が一番適役だったからだよ。君の魔力暴走がどれだけ激しくても、私なら傷つけられることはないだろうからね」
それもそうだと思う。
本当なら直撃だっただろう雷魔法を、なんと素手で完全にいなした男だ。魔法を使ったわけでもなさそうだったのに、一体どうやったのだろうか。
確かに彼ならば、どれだけオレの魔法を浴びようとも、無傷でいられそうだ。
「それと、今後について、できれば君の意向を直接聞いておきたいと思ったんだ。君の状態についてシェルディアへ報告し、対応について問い合わせたんだが、どうにも的を射ない。君の引き取りにも、なかなか応じようとしないんだ」
「あ……」
皇帝は、オレを引き取るよう祖国へ申し入れたらしい。考えてみれば、当然だ。魔力を制御できず暴走させ、周囲を危険に晒す化け物なんて、早く追い出したいに決まっている。
そしてシェルディアへ連絡したなら、オレが向こうでどんな扱いを受けているのか、もう多少なりとも察しているはずだ。
……本当は、オレに人質としての価値なんてないってことも。
「オレを……殺しに来たんですか?」
別に、それでも良かった。
どうせ、もうオレは助からない。
この人ならば、きっと返り討ちになんて遭わず、確実にオレを殺せるだろう。面倒な存在を片付けに来たのかもしれない。
だが皇帝は、意外なことを言われたとばかりに、目を瞬かせた。
「いやいや、違うよ。君のために食事を持ってきたの、見てたでしょう? 昏倒させてここに閉じ込めたのは悪かったと思っているが、宮廷魔法使いたちにも、引き続き魔力暴走の治め方を模索してもらってるんだよ。シェルディアへも、君を助けるために連絡したんだ」
そう言って皇帝は、人好きのする顔で微笑んだ。
「君のことが手に負えなくて手放したのかもと思ったけど、どうやら違うようだね。君は自分の境遇を隠していたことを悪いと思ってるようだけど、本当なら人質なんて、私たちには必要ないんだ。拒否するとそれはそれでややこしいことになるだろうから受け入れていただけで、たとえ再びシェルディアが攻めてこようが、私たちは絶対に負けないからね」
……すごい自信だな。
傲岸不遜にも思える発言だが、彼の言葉はきっと、紛れもない事実なのだろう。
「それで、君はこれからどうしたい? 君も必死で方法を模索していたようだからわかると思うが、新しい技術というものは、そう簡単に見つけられるものではない。つまり、ここにいても私たちが君を助けられるという保証はできかねる。強制送還という手も取れなくはないが、先ほど話したように、シェルディアの反応は芳しくなかった。ここにいるよりもひどい結果になるのではないかと、私たちは憂慮しているんだ。君にとってどちらにしてもあまり良い選択肢とは言えないだろうが、せめて希望通りにしてあげるよ」
穏やかな声でそう言う皇帝は、嘘を吐いているようには見えなかった。
「どうして、そこまで……」
何の利益ももたらさないどころか、いるだけでこんな迷惑をかけているオレを、なぜこれほど気にかけてくれるのだろうかと不思議に思う。
「理由はいくつかある。私としては、全ての子供は大切にされるべきだと考えていてね。これは、竜人族の子供は産まれにくいという特性ゆえであるかもしれない。また、どのような境遇であれ、君はシェルディアの王子だから、出来る限り尊重しようというのが我が帝国の考えだ。あとは……」
皇帝が、なぜかそこで少し言葉を切った。
「……いや。まぁ、そんなところだ。それで、どうする?」
言葉を濁した皇帝が、オレに優しく微笑みかける。
何を言いかけたのだろう。
少し引っかかるが、残された時間が少ないオレがそんなことを気にしても仕方ない。
「食事など、これ以上の世話は結構ですので、このまま、ここにいさせてください。……故郷には、帰りたくありません」
絶望的な二択だが、故郷にだけは帰りたくない。あの父親と王妃がいる、シェルディアにだけは。
「そうか、わかった。……恐らく、私がここへ来ることはもうないと思う。何と言っていいのかわからないが……陰ながら、君の回復を祈っているよ」
そう言って、彼が立ち上がる。どうやら、もう帰るようだ。
「……ありがとうございました。皇帝陛下」
オレを殺したり無理矢理送り返したりせず、可能性が低いとはいえ助ける方法を探してくれると言う。それだけでなく、わざわざこんなところまでやってきて、オレの希望を聞いてくれた。
彼への感謝が、自然と言葉になってこぼれた。
皇帝は少しだけ振り向いて、再び穏やかな笑顔を見せた。




