皇城にて
帝国の皇帝、ディオルグ・ヴァン・バルドゥーラがつがいを失って、約十年。
皇帝に忠誠を誓う側近たちは、徐々に生命力を失っていく主に悲嘆しながらも、懸命に彼を支え続けていた。
皇帝が逃れられない負の運命の渦中にいることは、彼らにとって家族にさえ話せない国家機密である。このことが知られれば、皇位を簒奪しようと企む者が何人出てくるのか、考えるだけでも頭が痛い問題だった。
「……最近、叔父上からの探りが頻繁で、しかもあからさまになってきていますね。息子が成人を迎えたことで、そろそろ本格的に動き出そうということでしょうか」
「忌々しいことこの上ないな。己の能力の低さから後継者争いに脱落したというのに、それを生まれた順番が悪かったせいだと決めつけているうえ、野心だけは人一倍とくるのだから」
皇帝の執務室でそんな会話を交わしているのは、皇帝の最側近である、皇弟のオルディンと、護衛を務める騎士団長のロドルバンだ。
ロドルバンは、皇帝に代わって執務室の椅子に座り決裁をこなすオルディンにジトッとした視線を向けた。
「お前が皇帝になる気はないと公言なんかするから、奴がつけあがっていらん野望を持つんじゃないのか。今からでも撤回したらどうだ」
「私のせいにしないでください。それに、皇帝はディオルグ以外にありえません。昔、私たちは彼を支えていくと、共に誓ったじゃないですか。そうでしょう?」
「……そりゃそうだが……」
目覚めぬ皇帝を思い、二人の間に重い空気が漂う。
彼らは誰よりも皇帝の身を案じ、皇帝を支え、帝国のことを思ってきた。
皇帝は十年前、つがいと定めた女性が己の元を去ったことを、側近たちにだけ告げた。自分はもう、今後皇帝としての務めを果たせそうにないから、オルディンに皇位を譲るとまで言ったのだ。
しかし、彼らはディオルグという皇帝を諦めなかった。自分たちが心から仕える主人を、何とかして立ち直らせたいと力を尽くした。
皇帝の現状が漏れないよう厳重に情報統制をし、何日も目覚めなくなることがある皇帝の代わりに執務を交代でこなし、暇さえあれば、消えた皇帝のつがいを探して回った。
皇帝は彼女の意思を尊重するため探すなと言ったが、そうはいかなかった。何とか彼女を説得し、皇帝の元へ戻ってもらいたかった。
竜人族は一度つがいを定めると、生涯その相手を求めるようになるため、一方的な想いなら安易につがいと定めることはしない。
つがいを決めるのは己の心ではあるが、裏切られれば命にかかわるのだから、誰もが本能的に慎重になる。
つまり、ディオルグの心がつがいだと定めたなら、相手も少なからず彼を愛していたはずなのだ。
「……しかし、手がかりがサーシャという名前と、人間族であるということだけではな」
皇帝はつがいの捜索に積極的ではないため、彼女に関する情報は何一つ教えてもらえなかった。前述の二つは、ディオルグが以前話していた内容から、偶然知り得ただけの情報だった。
街で情報を集めた結果、彼女は亜麻色の髪をした美しく若い女性であることはわかったのだが、ある日突然仕事を辞め、家を引き払って煙のように消えてしまったらしい。
大した権力も金も持たない人間族の女性ならばそれほど遠くへは行けないはずなのに、なぜかどこを探しても見つからないのだ。
オルディンは、おもむろに執務室から続く寝室へのドアを開けた。
そこには、眠り続ける兄の姿がある。
薄暗い部屋の中で、赤い髪をシーツに広げ穏やかな寝顔を見せる彼は、今にも起き出して来そうであるというのに、もうずいぶんと長い間目を覚ましていない。
「……陛下が眠りに就いて、もう一年半ですか」
「あぁ。だんだんと眠る時間が増えてきて、ついに年単位になってしまったな。……陛下は、よもやこのままお目覚めにならないというわけでは……」
「滅多なことを言わないでください!」
オルディンが、ロドルバンをギロリと睨みつけた。
「我々が陛下のお戻りを信じなくてどうするんですか。陛下は、生命力を失っていく中でも生き延びようと、仮死状態……いえ、所謂、冬眠のような状態にあるだけです。心の奥底では、つがい様と共に生きることを諦めていらっしゃらないのです。そのためにも、我々は陛下のつがい様を必ず探し出さなくてはなりません。わかっていますね?」
「……あぁ、わかっているさ」
そんな二人の会話を遮るように、コンコン、と執務室の窓を叩くような音がした。見れば、そこには無機質な目をした白い鳥の姿があった。
「……なんだ? 緊急用の魔道具?」
ロドルバンが、そう言って眉をひそめながら窓を開けた。
ロドルバンが無造作に鳥を掴むと、それはぐにゃりと形を崩し、白い円筒へと変化した。中には、丸められた紙が入っている。
これは、手紙を書いて中へ入れると、瞬時に鳥の姿に変化して事前に指定した場所や人物の元へ飛んでいくという、最新の緊急連絡用魔道具である。
魔法使いではなくとも瞬時に連絡ができる優れもので、騎士や重要な役職に就く者たち全員に国から一つずつ支給してはいるが、まだ希少なため、緊急時以外の使用は禁じているものでもある。
「ロドルバン、あなた宛のようですね。騎士の誰かからではないのですか?」
「今は誰も重要な案件に携わってなどないはずだが、一体何があったというのだ? 大したことのない内容なら、差出人をとっちめて……」
どうせ大したことは書かれていないだろうと思いながら手紙を開いたロドルバンだったが、読み進めていくにつれ、彼の目はみるみる大きく見開かれていった。
「どうしたんですか? 一体誰から?」
「ル、ルーシャスだ。昨日、辺境の領主からの救援要請に向かっていた……」
「ルーシャス? 確か、あなたの縁戚の青年騎士でしたよね。片田舎の辺境で、一体何があったと?」
ロドルバンは手紙を読み終えると、ぶるぶると手を震わせ、慌てふためき始めた。
「たっ、たたた大変だッ! すぐに陛下へ連絡を! いやお迎えの準備を……!」
「落ち着いてください、陛下はまだ目を覚まされていませんよ! 一体どうしたというのですか?」
ロドルバンは混乱状態ながらも、なんとかオルディンへ目を向けた。
「……つ、つがい様を見つけたと! 陛下のつがいと思われる、サーシャという女性を今日の午後に連れて行くと書いてある!!」
ロドルバンがそう言って、読み終えた手紙をオルディンへ突きつけた。しかし、彼は同僚がもたらした情報を頭の中で処理するのに、たっぷり時間がかかってしまった。
「…………は?」
「しかも、陛下の赤髪と金眼を受け継いだご息女までいらっしゃると!!」
「……は、はあぁ!? な、なんですかそれは! 確かなのですか!?」
「ルーシャスは陛下のつがい様が行方不明なことも、ましてや名前なんて知るはずがない立場だ! つまり、ルーシャスが見つけた、陛下のつがいと思われるサーシャという人間族の女性は、ほぼ間違いなく陛下のつがい様ってことだ!!」
そこまで言われてやっと内容を理解すると、オルディンは大声で叫んだ。
「大変なことじゃないですか!!」
「だから大変だって言ってるだろうが!! というかおい、どうする!? 俺たちは今から何をしたら……」
「こうしてはいられません!!」
オルディンはガバッと椅子から立ち上がると、ロドルバンへ指示を出した。
「あなたは至急ドラゴンの発着場へ行きルーシャスが賓客を連れてくる旨を伝達、いつ来られても即座にあなた自身が出迎えられるよう準備してください。私はつがい様と皇女殿下をお出迎えする環境を整えるための準備にあたります!」
「あ、いや、ルーシャスは一度自宅に寄って馬車で城へ向かうらしい。騒ぎにならないよう、念のため皇女殿下の姿はできるだけ見せず、静かに向かうと」
「なら、ルーシャスの家の馬車が全ての検問を素通りできるよう手配してください。ここに一番近い降り場で降りて頂き、その後はまっすぐ陛下のもとへ向かっていただけるよう、あなたが案内するのです。いいですね?」
「わ、わかった!」
そうして、二人は慌ただしく部屋を出ていった。
先ほどまでの、先の見えない暗闇を歩くかのような状況から一転。
長らく見えなかった希望の光がようやく見えたという期待に、二人の表情は自ずと明るいものになっていたのだった。




