過去編 サーシャ⑤
「そう……」
わかっていた。どこかで、彼も納得していることなのだと。皇帝といえど、結婚なんて、本人の承諾なしに決まるものではないだろうから。
これで、ついにはっきりしてしまった。彼は、私を唯一の相手として愛してはくれないのだということが。
「ごめん、君にまだ何も言っていないのにーー」
「ううん、謝る必要なんてないわ、ディオ」
きっとディオに会うのはこれが最後になるのだから、嫌な雰囲気にはしたくない。もし彼が私を側妃にしたいと言うつもりなら、そんな言葉も聞きたくなかった。
「その、君は、この結婚について……どう思う?」
どうしてそんなことを訊くのだろう。
私が他の人と結婚しないでと駄々をこねたところで、結果が変わりはしないのに。
「……もちろん、いいと思うわ」
それが、あなたの選んだ道なら。
そう思い、私は笑顔で答えてみせた。
「そ、そうか! 良かった。はぁ、安心した」
……私の許しがなくたって、あなたはあの人と結婚するじゃない。
彼の喜んだ顔を見て、こんな気持ちになる日が来るなんて。
私は彼だけを愛している。
でも、他の人との結婚をこんなに嬉しそうに語る彼は、きっともう私と同じ気持ちではないのだろう。彼は皇帝として、一時の愛よりも国益を取ることに決めたのだ。
そんな彼に、国よりも私を選んでほしいなんて言えるわけがない。
元々、皇帝だと知る前から、彼は私にとって高嶺の花だった。私の気持ちの方が大きいことなんて、考えてみれば当然なのだ。
彼に手が届くかもしれないと思えた日々が、奇跡だったのだ。その奇跡は、永遠ではなかったけれど。
……それでも、あと少しだけ、私にもあなたと過ごす時間が欲しい。ねぇ、どうか許して。
「ディオ、お願い。……今日は、朝まで一緒にいてほしいの」
ガチャン。
私の言葉に、ディオがスプーンを取り落とした。
「えっ。サ、サーシャ? ……それは、意味がわかった上で言っているのか?」
「もちろんよ」
ディオは私が初めて愛した人で、この先もきっとこの人だけだと思う相手だから。
思い出くらいは、もらっていきたい。
そうしたら、この先も一人で生きていけそうな気がするから。
「……いや、駄目だ、サーシャ。そういうことはちゃんと」
「お願い、ディオ。こんなわがままは、これで最後にするから……」
震える手でディオの手を取って懇願すれば、ディオはしばらく葛藤するように天を仰いでいた。けれど、最後には躊躇いながらも頷いてくれた。
「ありがとう、ディオ。嬉しい」
「サーシャ……」
私たちは、どちらからともなく唇を寄せ合った。
……大好きよ、ディオ。私のたった一人の、愛する人。今夜だけは、私のものでいて。
彼からもらった花束の甘い匂いに包まれながら、私たちは抱き合った。
初めて二人で過ごした幸せな夜は、私の願い通り、一生忘れられない思い出になった。
その結果が何をもたらすのか、その時の私は、まだ知る由もなかった。
幸せな気持ちで目を覚ますと、世界で一番愛する人が、目の前で眠っていた。
美しく整った、普段は凛々しい彼の顔も、今はどこかあどけない。
私の胸が、愛しさと切なさと苦しさでいっぱいになる。
……あぁ。もう、これで本当に最後なんだわ。
そう思うと自然に涙がこぼれてきて、私はディオに知られないよう、急いでシーツで目元を拭った。
その動きで、ディオは目を覚ましたらしい。
「おはよう、サーシャ」
「……おはよう、ディオ」
にこっと笑って、泣いていたことを誤魔化す。幸い、寝起きのせいかディオは気づかなかったらしい。彼は私を優しく抱きしめると、耳元で愛を囁いた。
「大好きだよ、サーシャ。愛している」
「……っ、私も、愛しているわ。ディオ」
……だからこそ、あなたとはもう一緒にいられない。
ディオが今後、私をどう扱うつもりなのかはわからない。でも、結婚するのなら、あの人とも昨日のような夜を過ごすのだろう。そう思うと、私の心は引き絞られるように痛んだ。
この痛みを抱えたまま、あなたのそばにいることなんてできないから。
帰っていく彼を見送ると、私は引き出しからガラス玉を取り出し、地面に投げつけた。パリンと軽い音をたてて割れた魔道具が、まるで私と彼の関係のように思えた。
迎えはこれを割った日の夜に来ると、皇太后は言っていた。
私は今日中に、ここを離れる準備を終わらせなければならない。
昼過ぎに職場である食堂へ報告に行くと、オーナーは私の様子が最近おかしかったこともあり、「そんな気がしていた」と言って、何も聞かずに辞めることを了承してくれた。
荷物をまとめるのは簡単だった。
部屋が狭いため、元々持っているものは多くなかったのだ。
アパートの大家さんには、申し訳ないが今日の夜に帝都を去ること、家賃は払って行くから、部屋はひと月ほどそのままにしてほしいことを伝えた。その間に誰かが来たら入れるよう、鍵を開けておくようにお願いもした。
ひと月の間に忙しいディオがここへ来るかどうかは賭けだったが、来なければ中にあるものは処分してほしいと最後に伝えて、私は部屋に戻り、ディオへ宛てた手紙を書き始めた。
……そういえば、あの約束、果たせなくなっちゃったわね。
いつだったか、私たちはある約束をした。交際を初めたばかりの恋人同士がよく交わすような、とてもありふれた約束を。
『サーシャ、私は、君とずっと一緒にいたい。私たちは色々と異なることが多いから、意見が食い違ったり、喧嘩したりすることもあるかもしれない。それでも、私は君と一緒にいたいんだ』
『私も、もちろんずっと一緒にいたいと思っているわ』
『本当に? ずっとというのは、永遠にということなんだよ?』
『ふふっ、ええ。ずっと、永遠にね』
『じゃあ約束してくれ。何があっても、私から離れないと』
『私からあなたと離れるってこと? あり得ないわ』
『そう思うなら、いいだろう?』
『いいわ。あなたも一緒に約束してくれるなら』
『もちろんいいよ。約束だ』
そんな約束をして笑い合っていたことが、遠い昔のように感じた。
……ごめんなさい、ディオ。何があってもなんて言ったけれど、他の人と結婚するあなたをそばで見ていることなんて、やっぱりできないわ。
手紙を書きながら、涙が枯れるほど泣いた。
涙で汚してしまい、何度も書き直した手紙は、夜までになんとか書き上げることができた。
……さようなら、ディオ。ずっと一緒にはいられなかったけど、永遠に愛しているわ。
◆
宵闇に紛れて、ひっそりと迎えの馬車はやってきた。
私は迎えに来た人たちが誰なのかも、どこへ連れて行かれるのかもわからないまま、何日も、何週間も移動させられた。
道中は意外と快適だった。御者が交代制で二人、世話係だと言う女性が一人いたため、移動ばかりで疲れはするものの気を遣われていると感じた。
ようやくたどり着いたのは、聞いたこともない辺境の地だった。数年前に帝国の領土となった田舎の村らしい。
一人で住むには十分すぎる広さの、住みやすそうな家へ案内され、自由にお使いくださいと言われた。家主に話は通してあると。
「これを」
御者の一人が差し出してきたのは、ずっしりと重たそうな革袋だった。恐らく、皇太后が渡すと言っていたお金だろう。
「いいえ、それはいりません。この家はありがたく使わせていただきますが、そちらは持って帰ってください」
そのお金を受け取ったら、まるでお金のためにディオと別れることを選んだようで嫌だった。住むところがあれば、生きていくためのお金は自力で稼げる。
「そうですか。わかりました。では、お元気で」
「ええ。ありがとうございました」
私を新天地へと送り届けてくれた三人が行ってしまうと、私はついに一人ぼっちになった。
私は、今日から住むことになる一軒家を見上げて、出てきそうだった涙を飲み込んだ。
「……大丈夫。私なら、一人でも頑張っていけるわ」
そう呟いた私のお腹に、新しい命が宿っていることを知るのは、もう少し後のことだった。
サーシャのお話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
ディオ視点がないのでわかり辛かったかもしれませんが、二人は皇太后の陰謀とすれ違いにより、離れることになりました。
一応補足。ディオはずっとサーシャ一筋でしたし、他の人と結婚するつもりはありませんでした。
次回から、本編に戻ります!




