過去編 サーシャ④
それから、しばらくディオは姿を見せなかった。仕事が忙しいらしく、手紙だけが届けられる毎日だ。
いつもと変わらない内容の甘い言葉を含んだ手紙は、彼の心の内を余計にわからなくさせた。
そして何日か経ち、落ち込む私の元に現れたのは、決して会いたくはない女性だった。
「ごきげんよう。初めまして、陛下の囲い花さん」
「……!」
先日皇城で見た、ディオの婚約者だと皇太后が言っていた女性が、数人の供を連れて私の家に突然やってきたのだ。
なぜ私の家を知っているのかなんて、聞いても無駄なのだろう。彼女は私に断りもなく「お邪魔するわね」と言ってドアの内側へ入ってくると、物珍しそうに私の部屋を見回した。
ディオは「落ち着く部屋だ」と言ってくれたけれど、ひとつの狭い部屋しかない私の家が彼女にどう映るかなんて、あまり考えたくはなかった。
「わたくしが誰なのかは、もうご存知ですわよね。今日は、お知らせがあって来ましたの。大切なお話ですから、あなたにはきちんとお伝えしなければと思って。当人であるわたくしがね」
彼女が小首を傾げると、豊かな金髪がふわりと流れた。
「……お知らせとは?」
「わたくし、もうすぐ陛下と結婚することが決まりましたの。まだ情報公開前のお話ですが、あなたには特別にね」
「……!?」
私が驚愕に目を見開くと、彼女の赤い唇が弧を描いた。
「もうすぐ国民に向けての発表もあると思いますわ。人生に一度の結婚ですから、わたくし、おかしな問題は起こって欲しくありませんの。おわかりになってくださいます?」
……ディオが、私に何も言わずに別の人との結婚を決めた……?
「それは……本当、なのですか……?」
信じられない。
そんなこと、信じたくない。
「わかりますわ。あなたはきっと、自分が選ばれると思っていたのでしょうね。でも、少しお考えになってみてほしいの。陛下は、偉大なる皇帝でいらっしゃいますわ。一時的な気の迷いはあれど、帝国のためにはどんな皇后が必要なのか、最後にはおわかりになるに決まっているでしょう?」
「……」
何も答えられずにいる私に、彼女は駄々を捏ねる子供を見るような目をしてため息を吐いた。
「数日後には、わたくしの言葉が真実であるとわかるはずですわ。その時には、きっと皇太后陛下から頂いた魔道具を使ってくださいませ。わたくし、人間族のあなたと仲良く夫を共有なんてできませんもの。そうなったらきっと、あなたにたくさん意地悪をしてしまいそうですから」
綺麗な笑みを見せると、彼女はサッと身を翻して去っていった。
私は彼女の言葉を受け止めきれないまま、部屋の隅にある棚の方へと向かい、引き出しをそっと開けた。
中には、しまっておいたガラス玉がある。
「……私だって、あなたを誰かと共有なんてしたくないわ。ディオ……」
思わずこぼれた呟きは、小さな部屋の中で溶けて消えた。
◆
「オイ、聞いたか!?」
「あぁ、皇帝陛下が結婚なさるって話だろ。めでたいよなあ!」
「相手は竜人族の見目麗しい姫君だそうだ。まぁ、皇后になられる方なんだから、当然だろうけどな!」
先日の彼女の言葉は本当だった。
ディオの婚約者の来訪から数日後、皇帝が結婚するという噂が広く語られ始めた。ディオからは、何の連絡もない。毎日のように届いていた手紙さえ来なくなっていた。
「ディオ……」
私は、抜け殻になったような心地で毎日を過ごしていた。
……連絡をくれなくなったのはどうして?
本当にあの人と結婚するの?
私のこと、もうどうでもよくなったの……?
そんな答えのない疑問が、次から次へと頭の中に湧いてきて、勝手に涙が出てきてしまう。
ディオが本当に結婚するのなら、私はその前にここを離れた方がいいのかもしれない。彼の結婚式を、端から見ているなんて辛すぎるから。
ディオとちゃんと話をしてから結論を出したかったけれど、私には彼と連絡を取る方法がなかった。
彼と会う時は、いつも彼から会いにきてくれた時だけだったのだ。
皇太后に教えられるまで、彼の家名もどこに住んでいるかも知らなかったのに、彼がいつも優しいから、私は勘違いしていたのかもしれない。
彼の一番近くにずっといられるのは、きっと自分なのだと。
◆
「サーシャ! 久しぶり。なかなか会いに来られなくてごめん」
「……ディオ?」
約ひと月ぶりに、ディオが突然私の部屋へやってきた。
「その、ちょっと理由があって、仕事が山積みでね。手紙を書く時間さえもらえないものだから、部下の目を盗んで出てきたんだ。……ねえ、入ってもいい?」
「……ええ、もちろん……」
ドアの内側へ招き入れると、ディオは後ろに回していた手を前に持ってきた。その手には、大きくて立派な花束があった。
「サーシャ。これ、良かったら」
ディオが私に、その花束を手渡してきた。私は反射的に手を伸ばし、抱えるほど大きな花束を受け取った。爽やかな甘い香りに、動揺していた心がだんだんと落ち着いてくる。
「あ、ありがとう。でも、どうして……?」
「サーシャ。私は、君にずっと言わなければと思っていたことがあるんだ」
そう言って、ディオが何やら言い辛そうに目を逸らす。
気まずそうなその様子から、この花束はお詫びの品であり、今から彼の婚約者のことを告げられるのかと思った私は、とっさに話を逸らした。
「せっかく来てくれたんだし、何か食べる? ありあわせのものしか作れないけど」
「あっ、食べるよ! やった、サーシャの作る食事は久しぶりだ。嬉しいな」
そう言うディオの笑顔はいつもと変わらない、私への愛情に溢れたものだった。
まるで、ここ最近の出来事が全て嘘だったかのような気がした。彼が皇帝だなんて、やっぱり何かの間違いだったのではないかとさえ思えた。
私の作った食事を美味しそうに食べる彼を、じっと見つめる。
彼といるとやっぱり幸せで。
ずっとこのままでいたいと願うけれど、何も聞かないでいられる時期は、もう終わってしまったのだ。
「ディオ……さっきの、私に言わないといけないと言っていた話のことだけど」
「えっ、う、うん?」
彼と一緒にこうして時間を過ごすのも、これが最後になるかもしれない。
そう思いながら、私は話を切り出した。
「もしかして……皇帝陛下が、ご結婚の準備を進めているという件についてなのかしら?」
「えっ!?」
ここまで来ても臆病な自分に、嫌気が差す。
あなたはあの人と結婚するのかとはっきり訊けばいいのに、つい言葉を濁してしまった。
「どうして、サーシャ……知っていたのか?」
「……っ、じゃあ、本当、なの?」
ディオが否定してくれなかったことで、嫌な考えが頭を占める。見たくない現実を目の前に突きつけられたような気がした。
緊張と不安で、心臓が壊れてしまいそうだった。
それ以上何も言うことができず、私がただうつむいていると、言葉を探している様子だったディオがついに口を開いた。
「……サーシャ、もしかして君は……いや、その……あぁ。本当なんだ。ごめん」
ディオは申し訳なさそうに、小さくそう答えた。




