過去編 サーシャ③
私は特に何も口に出すことがないまま、皇城を追い出された。
決して居心地が良い場所ではなかったのでそれは良かったのだが、皇太后の言葉は延々と私の心を締めつけていた。
……ディオは、本当に皇帝なのかしら?
だとしたら、この先もずっと一緒にいたいという彼の言葉は、嘘だったのだろうか。
恋人で終わるつもりはない、とは言われたけれど、私たちははっきりと将来のことを約束したわけではない。
もしかしたら、彼は血筋のしっかりした皇后を別に置いて、私のことは側妃か愛人にするつもりなのかもしれない。
嫌な考えが次々と頭を巡る。ディオはそんな人ではないと思うのに、彼は仕事の話を一度もしてくれたことがないから、私は彼のプライベートな面しか知らないのだ。もしかしたらディオは皇帝としての別の顔を持っていて、その彼は私を愛人とすることも良しとするかもしれない。
……でも、私にはそんなこと、耐えられそうにないわ。
愛する人が他の女性といる姿を、ずっとそばで見ているなんて辛すぎる。でも、それならば私はディオと別れたいのだろうか。もう、彼がいない生活なんて考えられないくらい、彼のことが好きなのに。
「……一人で考えていても仕方ないわ。ディオに、ちゃんと確認してみないと……」
そう声に出してみるけれど、私の胸には、暗雲のように立ちこめる黒い不安が渦を巻いていた。
◆
次にディオが姿を見せたのは、それから二週間後だった。
その間に、私の胸にはすっかりと、落ちない染みのように疑念が巣食ってしまっていた。
「サーシャ! やっと会いに来られたよ。久しぶり、会いたかった!」
「ディオ……」
彼は先触れ通りの時間に私の部屋へ現れると、普段と何も変わらない様子で私を抱きしめて、頬に軽くキスをしてくれた。いつもなら幸せで胸がいっぱいになるはずなのに、今日はまるで穴が空いているかのように、私の胸から幸せがすり抜けていく。
「サーシャ? どうかした?」
「ディオ。私、あなたに訊きたいことが……」
言いかけて、言葉に詰まった。
あなたは皇帝なのかと訊いて、そうだと言われたらどうしよう。彼の口から私を側妃にするつもりだなんて言われたら、きっと泣いてしまうと思う。
そんなことをして、もし、彼に面倒だと思われたら。
もしかしたら、今ここで、この恋が終わってしまうかもしれない。
……そんなの嫌!
元々、彼のことは彼が話してくれるまで待とうと思っていたのだ。
なら、わざわざ今核心に触れて、すぐにこの曖昧で幸せな関係を終わらせる必要はないはずだ。
少しでも長く、ディオといたい。
私はその思いから、彼の正体と二人の未来について、これ以上考えるのを止めた。この夢のような幸せに、少しでも長く浸っていたい。
「その、今日の夕食は何を作るか、まだ決められなくて……。あなたの希望を訊きたいなって」
「なんだ、そんなこと? サーシャの作る料理は全部美味しいから、何だって嬉しいのに」
なんとか笑顔を作り、そう誤魔化して、私は結論から逃げた。
けれど、逃げ続けることさえ許されないのだと、私はすぐ知ることになった。
◆
「サーシャさん。あのお方が再びあなたをお呼びです」
「……はい……」
私は皇太后から再び呼び出しを受けた。行きたくはないが、私の身分を考えれば、断ることなどできるはずもない。
しかし、まだディオの口から彼の正体について聞けていない。彼からきちんと話してくれるまで、私は皇太后から何と言われようとも、別れるつもりはなかった。
ひどい言葉で罵られることを覚悟して赴いた皇城で待っていたのは、気味が悪いほど綺麗な笑みを浮かべた皇太后だった。
「今日は、あなたにいいものをお見せしようと思って呼んだのよ。こちらへいらして」
皇太后に連れられて向かった先で、私は信じられないものを見た。
「……ディオ……?」
いつもの過度な装飾のないラフな服ではなく、仕立てのいい豪奢な服を着て、悠然とお茶の席についている、彼の姿だった。
周囲に大勢の使用人を侍らせて、慣れた様子でティーカップを口に運んでいる。その姿の、なんと自然なことだろう。
見たことのない彼の姿に肩が震えた。皇城の庭園であんなふうに振る舞える人は、きっと一人しかいない。
……ああ。やっぱり、彼は皇帝だったんだわ。
こんな形で知りたくはなかった。きちんと彼の意思で話してくれるのを待っていたかった。けれど、私をここへ連れてきた女性は、それを許してくれなかったらしい。
「あの二人、とてもお似合いでしょう? 彼女が息子の婚約者なのよ」
「……婚約者?」
ディオにばかり目が向いてしまっていたが、確かに、彼は一人ではなかった。
眩しくきらめく豊かな金色の髪を持つ、美しい竜人族の女性が、彼の隣で幸せそうに微笑んでいた。
見るからに高貴な雰囲気を纏う二人は、私から見ても、確かにお似合いに見えた。
「彼女は、皇后の地位に相応しい、素晴らしい女性よ。確かな血筋、高度な教養。そしてもちろん、わたくしたちと同じ竜人族だわ。それに、ディオルグのことをそれは慕ってくれているの。あなたはいつまで息子の愛人という立場にしがみついて、彼女のことを悲しませるつもりなの?」
「……そんな、私……」
彼に、あんなにお似合いの婚約者がいただなんて知らなかった。
彼は私との結婚について何も口にしてはいないのに、まるで自分が婚約者のようなつもりでいたなんて、私は何を勘違いしていたんだろう。
いつの間にか固く握りしめていた手が、ぶるぶると震えている。
私は、ディオの愛人のつもりなんてない。
でもあそこにいる彼女からしたら、私はただの、婚約者の愛人にすぎないのだろう。
「彼と……きちんと話をします。これからどうするのか、もう先延ばしにはしませんから……」
「いいえ。あなたには、今すぐにでも遠くへ行っていただきたいと思っているわ。その方が、あの子も変に未練を残さないでしょうから」
「……いえ、でも……!」
ディオの今の気持ちを、きちんと彼の口から聞きたい。でないと、どうしても納得できない。
端から見れば、どう考えても金髪の彼女の方がディオにはお似合いだとわかっている。それでも、私にも今まで彼と過ごした時間がある。将来のことを彼がどう考えていたのかはわからないけれど、少しは私のことも愛してくれていたはずだから。
「わからない人ね。これだから平民は嫌なのです。息子は確かにあなたを気に入ってはいるようですけれど、それはほんの気まぐれに過ぎないのですよ?」
「……っ、そんなこと……っ」
……そう、なのかしら?
彼は皇帝だから、平民の私にはわからない考えがあるのだと言われたら、私には何も反論できない。
私の思う愛と、彼の思う愛が違うのかもしれないなんて、考えたこともなかった。
皇太后は、私がディオから離れて二度と関わらないというのなら、遠くの田舎に家を用意すると言った。そして、一生生活に困らないだけのお金も。
決意ができたらこれを使えと言って、小さなガラス玉のような魔道具をくれた。これを割ると皇太后の使者へと連絡が行き、私を遠くへ運ぶ馬車がその夜のうちにやってくるらしい。
「……私、これを使うかどうかは……」
「いいえ、きっと使うことになるはずよ」
皇太后の笑みは、美しいのにやはりどこか不気味な気がした。




