父について
日が落ちて暗くなってきた森の中、クロと一緒に、母を抱くお兄さんを連れて家に戻ってきた。
領主の屋敷を出る時にベンソンや他の衛兵たちが引き止めようとしてきたが、お兄さんが一蹴してくれた。お兄さんは、とても頼りになる。
「これは……これが、家なのか?」
お兄さんが、わたしたちが住む家を見たとたん、口元を引きつらせながらわたしに尋ねた。確かにうちはボロ小屋だが、屋根があって水も使えるので、家で間違いはないはずだ。あちこちからすきま風は吹くけれど。
「そうよ。あのブーゴン……じゃなくて、領主がみんなに言ってお母さんをここへ追いやる前は、もうちょっと立派な家に住んでいたんだけど、今はここに住んでるの。セラー! いるー!?」
セラに呼びかけながら、閉まっていたドアをノックしてみると、中からドタバタと音が聞こえてきた。
「キ、キアラさん! よかった、無事で……って、へっ!?」
泣きそうな、というよりも泣いていたようなくしゃくしゃの表情でドア開けて出てきたセラが、母を抱えたお兄さんを見るなりビクッと体を震わせた。そして、青ざめた顔でじりっと後ずさりする。
「キアラさん、この方は……?」
「帝国の軍人のお兄さんよ。お母さんを連れてきてくれたの。優しい人だから平気よ!」
知らない人に怯えるのは、セラの境遇を考えると仕方ないのかもしれない。獣人族だというだけで、いろんな人から蔑まれてきたのだから。
「この少女が聖女か? なるほど、獣人族の聖女とは珍しい。君、彼女の治療を任せてもいいか?」
竜人族のお兄さんは、当然セラに偏見などないらしい。セラの視線に合わせて身を屈めると、母をそっと差し出した。
「サーシャさん! ひどい、こんな……。すぐに治しますね!」
セラが手をかざすと、母の痛々しいアザはゆっくりと消えていった。おお、とお兄さんから感心したような声があがる。
「すごいな、立派な聖女様じゃないか。君、疲れてはいないか?」
「えっ、は、はい。大丈夫です」
「ふむ。それは重畳だ」
お兄さんに褒められたセラは、戸惑いながらもだんだんと警戒心をゆるめているようだった。チョウジョウってどういう意味、とは空気を読んで聞かないことにする。
「無事で良かった、キアラ」
家の中から、ひょこっとトーアが顔を出した。
「あれっ、トーア!?」
わたしはびっくりして目を瞬く。もう夜になりかけているというのに、どうしてまだここにいるのだろう。
「キアラがあんなふうに出ていって、セラがすごく心配してたよ。そんなセラを置いて帰れないし、僕もすごく心配だったんだからね」
とがめるようなトーアの口調に、思わず体を小さくする。
「ご、ごめんね。セラ、トーア。待っててくれてありがとう」
「うん。とにかく、お母さんと一緒に無事に帰ってこれたみたいで、本当に良かったよ。もう遅いから僕は帰るけど、また話を聞かせてくれる?」
「それは難しいかもしれないな」
部屋の奥から声が聞こえた。
いつの間にか部屋の中へ入り、母をベッドへ寝かせていたお兄さんが、わたしが「うん」と言う前に返事をしてしまったのだ。
わたしは驚いてお兄さんを見つめた。難しいとは、どういうことだろうか。
「この子は竜人族の子だ。こんな小さくて粗末な家には置いておけない。母親共々、すぐに帝都へ連れて行き、父親を探して然るべき対応をする。仮に父親が見つからなくても、生活に不自由しないだけの暮らしができるように取り計らう。竜人族は同族を大切にする種族だから、心配はいらない」
「りゅ、竜人族……!? じゃあ、キアラは帝国の貴族だってことですか?」
「ああ。確認はまだだが、父親が竜人族なのは間違いないだろうからな」
トーアがポカンとした顔で驚いているが、わたしはもっと驚いている。帝都へ連れて行くって、いつの間にそんなことになったのだろう。
「お兄さん。でもわたし、お父さんに会いたいなんて少しも思ってないわ。お母さんがいれば、お父さんなんていなくても平気だもの」
「えっ?」
今度は、お兄さんが目を見開くほど驚く番だった。
お兄さんはわたしをこんなところに置いておけないと心配してくれているようだが、勝手に連れていかれるのは困る。抵抗してもお兄さんには敵わないのだし、きちんと説明しておかなければならない。
「お母さんは昔、お父さんのことが好きだったけど、お父さんはそうじゃなかったって言ってたわ。そんな人のところになんて、行きたくないの。領主のことは、これからもお母さんに手出しできないようになんとかしてほしいけど、お父さんがいるかもしれない帝都には行きたくないわ」
わたしの訴えに、お兄さんが息を飲む。少しの間、どう話すべきか迷うように口元を押さえながら、難しい顔をしてわたしを見た。
「いや……しかし、それは何かの間違いじゃないか? 万が一本当だとしても、父親は君の存在を知らないんだと思う。我々竜人族は愛情深い種族だから、娘がいると知れば、決して放っておかないはずだよ」
なぜかお兄さんが必死にわたしを説得しようとしているけれど、わたしはふるふると首を横に振った。
「そんなのはどうでもいいの。お母さんを大切にしてくれなかったお父さんに、わたしだけ大切にされても嬉しくないわ。領主さえなんとかしてくれたら、わたしはお母さんとここで暮らしていけるから心配しないで、お兄さん」
「……」
わたしの言葉に、お兄さんは、心底困ったというように眉を下げた。どうして彼がそんなふうに困るのかわからなくて、わたしは首を傾げる。
「……わかった。とりあえず、父親のことは君のお母さんに話を聞いてからにしよう。だけど、これからもここで暮らすのはダメだ。僕はもう君を同族の子供だと認識しているから、こんな悪環境に置いて帰るなんてことはしたくない。わかってくれるかな?」
「うーん……」
竜人族は同族を大切にする、というのは本当らしい。会ったばかりのわたしのことをこれほど心配してくれるなんて少し不思議だしムズムズするけれど、お兄さんがわたしを気遣ってくれるのは、素直に嬉しい。
「わかったわ。ありがとう、お兄さん」
「お兄さんじゃなくて、ルーシャスって呼んでくれ、キアラ」
お兄さんはそう言って、笑顔で右手を差し出した。
「えっ。わたしの名前、どうして知ってるの?」
「さっき、そこの聖女さんと少年がそう呼んでいたからね」
「あっ、そっか。うん、わかったわ、ルーシャスさん!」
そう言ってわたしはルーシャスさんの手を握って、笑顔を返した。
初めて手に触れる、温かくて大きくてごつごつした、わたしを守ってくれる大人の男の人の手は、なんだかすごく不思議な感じがした。




