特大ブーメラン
「転生しよう」とは言っていたが、その意味は大きく履き違えたものだった。彼女の思う転生とは《仮初れーな》というVチューバーのガワを捨て、ビジュアルや名前を一新した全く別の新人Vチューバーとしてやり直すことを意味している。しかし、現実はどうだろう。不遇にも交通事故に遭い、異世界へ転生してしまったのだ。
異世界転生。小説やアニメのジャンルとして確立されたその言葉の意味を、れーなの《中の人》も知っていた。中の人、と言うのは、Vチューバーを演じているその人物のことを指している。Vチューバー界隈では、魂(=中の人)に触れることは禁忌であり、暗黙のルールとなっていた。なので、ここでも仮初れーなの中の人については触れずにおこうと思う。
《クロノバスタ》という大陸の王都から、わずかに北へ進んだ森の奥。ギルドの依頼でゴブリン討伐に来ていた一団の中に少女はいた。ショートカットの栗色の髪。背は低く、一見すると子どもに間違われそうな華奢な体型。装備は肩と胸に当てられた防具と、その下には厚布の服。ひらひらしたスカートからは健康的な素足が見える。一団の他の者たちと比べて貧弱な装備に見えるが、あの巨大な武器を扱うためには、これくらいが丁度良い。
手頃な石ころを持ったゴブリンが、軽装な少女に狙いを定めていた。ゴブリンの投げた石ころは、緩やかなカーブを描いて少女のおでこに的中する。地味に痛い。この程度の攻撃、回復魔法を使うまでも無かったが、何かのスイッチを押されたかのように、突然激しい痛みが少女を襲い始めた。続いて押し寄せる急激な疲労感。ぐらりと視界が揺らいだ次の瞬間、少女の前世の記憶が蘇る。
「なななな!? なんだこれぇぇぇぇ!?」
思わず声を上げてしまう。知らない土地の言葉や、会ったことの無い人たちの顔、行き場の無い悲しみ、怒りといった感情が否応無しに入り込んでくる。その情報量の多さに脳みそが悲鳴を上げていた。
「私に……何をしたぁぁぁぁ!!」
少女はゴブリンの群れ目掛けて巨大なブーメランをぶん投げる。ブーメランは回転しながら空を切り、弧を描いてゴブリンたちの背後から斬りかかった。胴体を真っ二つにされたゴブリンたちは絶命し、戻ってきたブーメランは少女の頭上を通り過ぎて遠くの巨木に突き刺さる。
「特大ブーメラン、効いてるぞ!」
怯むゴブリンたちを見て、仲間の一人が叫んだ。数人の弓使いが残りのゴブリンたちに向けて矢を放つと、続けて男たちが剣を振るう。戦意を失ったゴブリンたちは、我先に逃げようと背中を見せる。こうなったら勝利は目前だ。最後の一匹を始末し、喜びあう一団の男たち。そんな中、少女だけが何やら不満そうな表情を浮かべていた。
「誰だ今、特大ブーメランって言った奴。……前に出てこい」
前世の記憶が混同しているのだろう。仲間の発言を煽りと勘違いした少女はドスの効いた声で呟いた。その言葉をたまたま近くで聞いていた団長が、ポンと少女の頭に手を乗せる。
「なーに仲間に悪態ついてんだ? まったく、レーナはいつも可笑しなことを言うから飽きたらねぇよ。がはは!」
「やめてよ……。頭が痛いんだから揺らさないで」
レーナと呼ばれた少女は思った。まさか、前世の自分が演じていたVチューバーの名前が、同じ《れーな》だったとは。不思議なこともあるものだ。
仮初れーなは、自ら立てた目的を達成することなく、短い生涯を閉じた悲しきVチューバー。煽り耐性に欠けており、アンチを増やしては炎上の日々。謝罪とお気持ち表明を繰り返し、転生を望んでいた少女。
「やり切れないなぁ……」
アンチから受けた大量の誹謗中傷コメントが、昨日のことのように思い出される。その中でも、一際脳裏に焼き付いているのが、反転アンチと化した、元ファンからの煽り文だ。
『その歪んだ性格を改めない限り、お前は今後も謝罪とお気持ち表明を繰り返すだろう。転生してやり直そうと考えているなら無駄である。姿を変えても底辺からは抜け出せない。何故なら、Vチューバーとしての自覚がうんたらかんたら……』
何もかも知っているかのような、上から目線の発言。だが、言ってる内容があながち間違ってもいないから悔しくもなる。
「間違ってなければ、何を言っても良いの? 相手を傷つけても良いの?」
「んあ?」
団長は言葉の意味が分からず頭を掻いた。
仮初れーなの《中の人》が死んだことを、ファンやアンチたちが知る術は無いだろう。更新が途絶え、二度と発信することの無くなった彼女に、ファンは悲しみ、アンチは「無責任な奴だ」とか「謝罪もせず逃げた」と嘲笑うのかもしれない。そして何より、あの反転アンチを見返してやることが出来ないまま終わってしまったことが、実に悔しかった。
「違う。終わりじゃ無い。絶対に終わらせない。望んでいた転生とは違うけど、私は《仮初》の名を捨て、これからは《真打レーナ》の名前で、新人Vチューバーとしてこの世界で生きていく!」
「シンウチ……? 何だそりゃ。聞き慣れない言葉だな」
「もう! いちいちうるさいなぁ!」
割って入る団長にレーナは口を尖らせる。
「Vチューバーには苗字がある方が良いの。ここからが真打登場!って言うでしょ? 咄嗟に思いついた名前だけど、これが私の新しい名前。ねぇ団長。真打レーナの最初のファンになってくれないかな。今ならもれなく古参のファンを名乗って応援できるよ」
「言ってることは良く分からねぇが、俺はいつだってお前を応援しているぜ! 俺だけじゃねえ、ここにいる仲間たちは、みんなお前の味方だ!」
団長の一言に、レーナは背中を押された気がした。コクリと頷き微笑むレーナに、団長が神妙な顔つきで語りかける。
「さっきから妙だとは思っていたが、魔力の乱れを感じるな……。この症状になった奴を何人か知っている。お前、まさか本当に前世の記憶が……!」
「そのまさかだよ。ゴブリンに石ころをぶつけられた衝撃で記憶が戻ったみたいなの」
「そうだったのか。まぁ、何も珍しいことじゃねえよ。この世界じゃ、よくあることだ」
「そうなの?」
幼少時代に転生前の記憶が蘇る者の数は意外と多い。その場合、前世の記憶の影響をあまり受けることなく、身体の成長と共に馴染んでいくのだが、レーナのように十代半ばになってから記憶を取り戻した者の場合は、脳への負担も計り知れない。
異世界転生者の中には、その身に起きた現実を受けいられず、第二の人生を棒に振ってしまう者も少なからず存在する。故に、王都には、そんな迷える転生者たちを対象とした相談施設がある。施設では記憶の錯乱している者たちの支援や、職業相談なども行われていた。
「転生者相談施設。そこに行けば同胞にも会えるはずだ。なんたって、そこで働いてる奴らは皆、異世界転生者って話だぜ」
「ありがとう。行ってみるよ」
ゴブリン討伐を終えた一団は王都に戻り、ギルドで依頼の報酬を受け取った。団長はその報酬を皆に分け与え、レーナにも手渡す。
「何かあったら、いつでも俺たちを頼ってくれ。俺たちは、その、何だ? 古参のファンってやつだからな」
団長に描いてもらった地図通りに進むと、相談施設はすぐに見つかった。看板には日本語で「ようこそ」の文字が書かれている。その下には小さく英語や中国語なども書かれていたが、施設内の案内表示にはどれも日本語がメインとなっていた。
「不思議な気分。異世界転生者って、もしかして日本人が多かったりするのかなぁ」
懐かしい文字の案内に目をやりながら進んでいく。受付の男と目が合うと、男はレーナに会釈した。
「こちらのご利用は初めてでございますか?」
「はい。実はついさっき記憶が戻ったばかりでして」
「それはさぞかしお辛かったでしょう。記憶が戻った直後はしばらく頭痛が続きます。さらに、魔力回路の乱れで全身の疲労が襲ってくるんです。私も転生者なのですが、あの時は遠出をしている最中で治療もしてもらえず、3日間苦しみました……」
「この症状が3日間も続くのかぁ。それはちょっと萎えるなぁ……」
頭痛と倦怠感が続いていたが、これがさらに悪化していくと考えると、レーナは身震いした。
「こちらの施設では治療と宿泊もできますが、如何しますか?」
「治療してもらえるんですか。ぜひお願いします! ちなみに宿泊費っていくらですか?」
「治療も宿泊も無料ですよ。日用品や衣服の貸し出しも行っております。では、まずはこちらにお名前を……」
男は引き出しからペンと登録用紙を取り出した。用紙には、前世の氏名や職業、年齢や住所などを記入する欄もある。レーナは迷った末、ペンを置いた。
「前世の氏名って、本名じゃなきゃダメですか? 職業柄、本名を書くことに抵抗がありまして……」
「そこは任意なので、空欄で大丈夫ですよ」
それを聞いてレーナは安心する。そして、聞かれてもいないのに前世の職業を自慢げに打ち明けた。
「実は私、Vチューバーだったんです!」
「Vチューバー……ですか。なるほど」
男の反応がイマイチだったので、レーナは少し恥ずかしくなった。
施設利用者の中には、前世でゲーム実況をしていた者や凄腕プレイヤーも、過去には何人も訪れていた。匿名で活動していた者たちの多くに、本名を書くことを拒む事例が少なくなかったことを、受付の男は知っていたのだ。男はVチューバーにこそ疎かったが、きっと彼女の職業もその類なのだろうと思っていた。
レーナは治療を受けるため、奥の部屋へと通された。そこには白いローブを纏った長髪の女が立っていた。女は「こんにちは」と日本語で挨拶をした。懐かしいその響きに、レーナも「こん……にちは」とぎこちなく返す。
「やっぱり、日本からの転生者って多いんですか?」
「そうね。圧倒的に日本が多いわね。チート能力を開花させる人もたくさんいるわ」
「チート能力……。それは私も欲しいかも」
「うふふ。開花すると良いわね。私の名前はクリス。回復魔法を得意とする魔法使いよ。前世はニートをしていたわ。レーナさんはVチューバーだったのよね。ひょっとして、有名な人だったりする?」
「有名かどうかは分からないけど……。何度か炎上してバズったことはありますよ」
「炎上してバズったことがあるの? うわぁ〜。それ、すっごく気になる! 私ね、Vチューバーの配信とか、けっこう観てたんだ。えっとね……推しの名前は何だったかな? 思い出せないんだけど、神奈川のご当地Vチューバーが好きだったよ。懐かしいなぁ」
「ご当地Vチューバーですか。あまり接点無かったなぁ」
「そうなの? ご当地Vチューバーは良いわよ。地元愛で地域の活性化に貢献するなんて素敵じゃない。その地域に住むファンの応援も熱いし、イベントも盛り上がってたわ」
「私はゲーム実況配信がメインだったから、ゲームメーカーに貢献してたことになるのかな」
待てよ……と考え込む。こっちの世界にゲーム機は無い。メインコンテンツの早急な見直しが必要なのだ。今しがた話に出てきたご当地Vチューバーになるのはどうだろうか。地域の紹介ならば、ゲーム実況配信に代わる新コンテンツとして、十分にやっていけるかもしれない。
「悪くないかも……」
うんうんと、レーナは頷いた。
「それじゃレーナさん。治療を行う前に、まずは武器と防具を台の上に置いてね。上着とスカートは脱いで、そこにある浴衣に着替えてちょうだい。準備ができたら、ベッドにうつ伏せになって。私の回復魔法で、魔力回路の暴走を最小限に抑えてあげられるわ」
レーナは台の上に武器と防具を置き、上着とスカートを脱いだ。飾り気こそないが、下着のデザインや形が、前世に着用していたそれと、ほぼ同じであることに気づく。
「布を合わせて縫っただけの上着やスカートにくらべて、下着だけが近代的で妙に違和感ありまくりですね。この無駄に可愛い刺繍とか、世界観が違うと言うか……。これって、転生者の趣味が入ってません?」
「あら! 察しが良いのね。下着以外にも、メガネの形とか、ケーキとか、探せばたくさん見つかるわよ」
「たくさんあるんですか」
「だけどね、ちゃんと規制はしているの」
クリスは台の上に置かれた特大ブーメランを見ながら語り出す。
「私たちが生きているこの世界は、言ってしまえば剣と魔法の世界。行き過ぎたあっちの世界の高度な文明を取り入れることは、やがて人を変え、世界を破滅に誘うと先代たちは考えたの。私たちは国からたくさんの支援を受けられる代わりに、徹底された監視下にもある。私たちの知識を、脅威と感じる人たちが少なからずいることは否定できないわ。でもね、私はこの世界に生きづらさを感じたことはないの」
「私たちの存在が争いの火種を生むと、そう思ってる人たちがいるってことですか?」
「それはちょっと違うかなぁ。かつて魔王を退治した今の国王も、私たちと同じ異世界転生者なのよ。私たちの存在そのものが火種になるんじゃなくて、私たちの知識を知り、それを扱う人間の心が、争いの火種になるんじゃないかしら。魔法と同じで、間違った使い方をすれば人を不幸にする。そう言うことだと私は思うわ」
「難しい話ですね。だけど、これだけはハッキリしてます。私は今、クリスさんの魔法に助けられている。クリスさんは魔法を正しく使ってる」
マッサージにも似た感覚に身体の緊張はほぐれ、ポカポカと全身が温まっていく。
「ところで、レーナさんはこれからどうするの? 今まで通り、魔物退治を続ける? それとも、前世の記憶を活かした新しい職についてみたい? この施設では職業案内もしてるから、話を聞きに行ってみても良いかもね」
「やりたいことはもう決めてるんです。私は新人Vチューバーになって、1からやり直します。前世の私は、やりたかったことの半分も実現出来ないまま死んじゃったから……」
「そう……。だけどね、あなたはもう、前世に縛られる必要はないのよ。今のあなたが本当にやりたいことをやれば良いの」
使い込まれた巨大なブーメランが少女のこれまでを物語っていた。この武器は長年、共に激戦を潜り抜けてきたのだろう。前世の記憶が蘇ったからと言って、それまでの苦労を投げてしまうのはあまりに悲し過ぎる。
「前世の記憶が戻る以前の、あなたの夢は何だったの?」
「私は冒険者になって、世界各地を渡り歩くのが夢でした。それは今でも絶対に叶えたい夢です。だけど、前世に成し遂げられなかったことを、そのままにはしたくない……。悔しい気持ちを抱えたまま生きるのは嫌だし、自分が見ようとしていた景色を、こっちの世界で叶えてみたくなったんです。だがら、ご当地Vチューバーになって、世界各地を回ろうかなって思ってます」
「あなたには揺るがない決意があるのね。王都のご当地Vチューバーになって世界を旅する、それってとても素敵だと思うわ」
「王都のご当地Vチューバー? クリスさん、それは違います。私は王都のご当地Vチューバーじゃなくて、クロノバスタ全土のご当地Vチューバーになるんですよ」
「うわぁ……。規模が大きいなぁ。それってご当地の枠をはみ出てない?」
「枠からはみ出るくらいじゃないと、この世界じゃすぐに埋もれちゃいます。今に見ててください。いつかきっと魔王城耐久生配信をして、同接の記録を打ち抜いてみせますから」
回復魔法をかけ終わった頃には、レーナはスヤスヤと眠っていた。
「魔力回路の制御に、こんな時間がかかったのは初めてだわ。もしもレーナさんにチート能力が開花したなら……。その能力にもよるけど、とんでもないことになりそうね」
レーナに布団をかけてやったクリスは、ある重大な疑問に気づいて凍りつく。
「あまりに自然に話すものだから気づかなかったけど、こっちの世界には、ネット回線も無ければスマホもPCも無いねよね。こんな環境でどうやって生配信をやるのかしら……」
《仮初れーな》の発信が途絶えてから一年。その存在を話題に出す者など、ほとんどいなくなった中、一人の男だけが根強い執着を断ち切れずにいた。
「育ててやった恩を仇で返したまま逃げ切ろうとしても無駄だ……。転生して姿を変えても、声を聞けばすぐに分かる」
カタカタとキーボードを叩きながら、不気味な呟きをSNSに垂れ流す。
「全てを奪ったお前を絶対に許さない。全否定されたこの恨み、時間が解決できるものじゃないんだ……」
豪雨と雷鳴が轟く中、かつての推しだったVチューバーのグッズを怒りで踏み潰しながら、悪意にまみれた男は文章を打ち続ける。
「仮初れーな! 最低最悪な女め! 今すぐ罪を認めて謝罪しろ! エンタァァァァ!」
投稿ボタンを押したその刹那、耳を塞ぎたくなるような爆音と共に、激しい電撃が男の身体を伝った。
この日を境に、毎日かかさず投稿されていた男のSNSは更新を途絶えてしまう。
病室のベッドの上、生命維持装置に繋がれた男の身体。その魂が別世界に転移していることを、この時はまだ、誰も知る由が無かった。