声
日曜日、僕は家の近くの公園でルナさんとベンチに座っていた。
この公園は、遊具は少なく、散歩するにはちょうどいい広さだった。
春には、桜の木の下で花見をする人でにぎわう。
小さなグラウンドもあって、野球チームの練習にも使われていた。
所々にベンチがあり、そのひとつに僕とルナさんは座っていた。
ルナさんは相変わらずニコニコしていて、会えて嬉しいです、と僕に言った。
僕はなぜだか声が出なかった。
何も言えないでいると、少し歩きましょうとルナさんが言った。
「えっと、自己紹介させてもらいますね。私は35歳です。結婚していません。するつもりもありません」
「はあ…」
あんまり興味ないんだけど。
僕は何も言わず、黙って聞いていた。
「翠くんは、おいくつですか?」
「17歳です」
「若いっていいですね」
ルナさんがにんまりと笑った。
「私が17歳の時、陸上部に入っていました。毎日の生活に何の疑問ももたず、走ってばかりいました。高校生3年生になって、先生から改めて、進路はどうするんだ、と言われて急に怖くなったんです。恐怖で涙が出ました。突然、見知らぬ世界に放り出され、日本にいるのに、ひとりぼっちの世界で生きているかのように感じました。答えられず悩んでいたら、先生が言ってたんです。あいつはダメだ。いい加減で無責任だ、と。悩んでいた私のことを職員室で他の先生に話すのを聞いて、ますます、怖かった」
その話をするルナさんは笑っていなかった。
僕は何も言えなかった。
「それから、私は進学を選びました。私は陸上部で大会に出たり、インターハイも出たりしていたので、推薦の枠で進学できたんです。先が見えた時、恐怖から逃れることができました。でも、今の35歳の私がそばにいたら、違う言葉をかけたと思うんです」
「え?」
歩いていた僕は立ち止まった。
ルナさんは、またニコニコ笑顔に戻っていた。
「座りましょう」
そう言ってさっきとは別のベンチに座った。
「翠くんは、高校2年生ですよね」
「はい」
「私が17歳に戻る事ができたなら、こう聞きたいと思います。今、何がしたいですか?」
「今?」
「はい。翠くんは今、何がしたいですか?」
「今はルナさんと話してますよね」
「ええ。そうですね。私と話していますが、じゃあ、私と話をして、どうなりたいですか?」
どうなりたい?
僕は、自分の胸を押さえた。
「僕は、このモヤモヤから解放されたいです」
「ですよね。じゃあ、そのモヤモヤが一体どこからきているのか、なんなのか。それは、自分で気づくしかない、と思うんです」
「モヤモヤの原因?」
「はい」
僕は、自分自身に聞いてみた。
モヤモヤ。
ザワザワ。
「たくさんあるみたいだ…」
僕の呟きに、ルナさんが少しだけ悲しそうに笑った。
「たくさんあるんですね」
「あるみたいです」
「翠くんは、とてもお若いです。お若いですけど、心がちょっとお疲れのようです」
「えっ?」
「翠くんと鷹也さんは、仲がいいですよね」
「あ。はい。僕は鷹也が好きだから」
それを聞くと、ルナさんがとても嬉しそうに笑った。
「私、今になってものすごく後悔していることがあるんです。小学生の時、好きな男の子がたくさんいました。でも、恥ずかしくて誰ともお話できなかった。なんであの頃、勇気を出して話しかけなかったんだろう。友達になって、一緒に過ごしたかったって。今、誰かに恋するのって、チャンスがないんです。ほとんどないんです。だから、翠くんは、好きな人と一緒にいていいと思うんです」
「僕はそのつもりだけど…」
「鷹也さんの気持ちは私はわかりません。見た感じ、お二人はとても仲がいいと思います。でも、翠くんは、モヤモヤしているんですよね。そのモヤモヤはなんなのか、ゆっくりでいいので一つずつ考えてみてください」
「モヤモヤって、進学するのか、就職するのかじゃないの?」
「ちょっと違うと思うんです。翠くんは今を生きています。今すぐ、進学か就職かの決定ではないと思います。モヤモヤは、心の問題だと思います。だから、翠くんは、オーダーしたんですよ」
「オーダー?」
「はい。オーダーです。たとえば、じゃあ、翠くんは、お好み焼き好きですか?」
「へ?」
急になんの話だ、と思った。
「は、はい。好きですけど?」
「お好み焼きにも種類がありますね。でも、お好み焼きなら何でもいいです、おまかせしますって、頼まないですよね。チーズをトッピングしたり、豚肉をやめてイカにしたり。飲み物はウーロン茶はやめて、水だけでいい、とか。具体的に考えて頼みますよね」
「はい…」
当たり前なんだけど、と頷いた。
「翠くんは、自分のこれから先の事を見失ってしまったんです。だから、オーダーしたんです。どうしたらいい? って。だから、この先のことを具体的に考えるという状態になっているんです。それがモヤモヤです。モヤモヤはたくさんあるから、どこから片付けたらいいのか、わからなくなってしまった。頭で考えはじめたからパンクしかけているんです。私の言っている意味、わかりますか?」
「えっと、なんとなく…」
「翠くんは、これから具体的にどうするか? とオーダーした。だから、今、何がしたいかを自分に問いかけてみるんです」
ルナさんがはっきり言った瞬間、そんなことない! と、言う気持ちが出てきた。
「本当にオーダーしたんですか?」
突然、僕の声が大きくなった。
「僕、オーダーしていないよ。だって、こんなモヤモヤ、苦しいのに。オーダーって、自分が注文してるって、ことでしょう? 望んでいないよ、こんな気持ちっ」
口調が強くなり、ルナさんに飛びかかった。
僕は肩で息をしながら、どうしてこんなに興奮しているのか、自分にショックを受けた。
でも、僕は望んでいないのに。
いきなり怒った僕にたいしてルナさんは冷静だった。
「ごめんなさい、急に大きな声を出して…」
「謝らなくていいですよ。私こそ、こんな話をしてびっくりさせたと思います」
「ルナさんは、僕のためを思って会ってくれたのに」
「私はやりたいことしかしません。いやなことはできるだけ、やらないんです。だから、私は翠くんに会いたかったので、ここにいます」
ルナさんはしっかりとした口調で答えた。
「そろそろ、お昼だし、帰りましょうか」
「はい」
「翠くん、今日はあなたに会えてとても嬉しかったです」
「僕も…、ありがとうございました」
ルナさんは、優しく笑った。
「翠くん、焦らないでいいですよ。怖くなったら深呼吸をして、大丈夫って自分に言ってあげてください。あなたは一人じゃないです。私でよかったら、また、声をかけてくださいね」
急に怒った僕は恥ずかしくて、小さな声ではい、と答えた。
ルナさんと僕は公園でわかれた。