輝き町友愛銀座商店街
「それで、劇団かんたらはどうなの?」
庭子の母親がしぐれに聞いた。
「この頃とても客の入りがいいのよ。頼れる戦力が現れたの。鵜堂安里って言うの。
男よ。すっごい人気でね、ファンの子たちが楽屋入り口で出待ちしているのよ」
「おやおや、それは素敵な人なんだね」
「そうね。とっても。まあちょっとした問題があるといえばあるんだけどね」
「なあに?問題って」
「う〜〜ん・・・あ、そんなことより、この間実家に帰って治五郎爺ちゃんの書斎から、いい物を見つけちゃった」
そう言ってしぐれが折り畳まれた半紙を広げた。
そこには治五郎が曾孫二人の名前に込めた意味が書かれてあった。
命名 庭子
「庭とは人が遊ぶところ。自然を模しながら偽物にならない場所」
命名 建
「何もないところに自分を建てる」
建の名前は、まさに建そのものだと思った。
でも、自分の名前の意味がよく分からない。
「しぐれおばちゃん、自然を模しながら偽物にならない場所ってどういう意味だろう?」
「そうね。多分だけど、昔から造られてきた日本庭園を思うと、築山とか、枯山水とかどれも自然を真似てコンパクトにした物だけど、そこに現れているのは自然の新たな美しさだということかなあ」
「何だか素敵すぎない?」
「素敵すぎるって表現はよく分からなわ。丁度いい素敵ってあるの?」
「あるわ」
「ふうん」
「しぐれおばちゃんの思う庭子の意味が聞きたいな」
「私が考える?・・・・・・そうねえ・・・・人間の心の中にはその人の自然があるのよ。その自然を表現するところが庭だと思うわ。誰でもがきっと大自然の中に家を建てても、庭を作るでしょう?。」
「人の心の中にある自然・・・」
「だから庭は人間の大自然への愛の表現なのよ。世界の多くの人たちが最も愛してるところが庭なんだと思う」
あらあら庭子、なんで涙なんかこぼすの?
「・・・だって・・・そんな素敵な名前を私がもらっているなんて・・・」
「まあ、何を言うの?庭子だからもらったのよ」
「生まれたばかりの頃は、どんな子になるかわからないでしょう?この名前素敵すぎて私とは違いすぎて・・・」
「庭子、人は誰もが生まれた時からそのような人なのよ。名前をもらう前から、名前のような人なの」
そうだろうか?
庭子は鏡の中の自分を見た。
髪は肩の辺りでバツンと切っている。前髪も眉の下辺りで真っ直ぐに切り揃えてある。
驚くことにこの髪型は小学校の時から変わっていないのだ。これではかつての座布団ババアと一緒ではないか。
服だって座布団ババアのちゃんちゃんこよろしく、いつも同じチェックのシャツとチノパン。
シャツは、赤とブルーと、グリーンの3色を取っ替え引っ替えでリュクを背負い、まるで中学生の山登りだ。
大体スカートというものを履いた事がない。
友利が恋をするところを見てみたいと八尾くんが言ってたけど、確かにこんな子供じみた格好のいい歳の女の恋なんて、想像がつかないだろう。
「私には、すでにそのような人のカケラもなじゃない」
深いため息と共にキッチンの戸を開けると、しぐれがコーヒーを入れていた。
「飲む?」
「いただきます」
「な〜に? 深いため息だったわね」
「しぐれおばちゃんは、恋をしたことってある?」
「はっその愚問は一体どこから出てくるの?私が恋をしていないことなんてあると思う?」
「しぐれおばちゃん、今誰に恋をしているの?」
「色々かな? あっ 分かった! 庭子ちゃん恋をしたのね?」
「まさか!」
「庭子、 変身しよう。服を買いに行こうか」
「いい。いい。しぐれおばちゃんと行くととんでもない服を薦められそうだもの」
「さあ 行きましょう」しぐれはバッグを持った。
「しぐれおばちゃん 私の話を聞いてる?」
「買ってあげるわよ」
それなら行きましょう。
「まず、美容院へゴー その酷い髪をなんとかしましょう」
庭子は再び鏡の中の自分を眺めた。
肩の近くまであったオカッパがフワッとしたショートヘアーになり、庭子の綺麗な輪郭が際立った。
「さて、次は」
電車に乗って隣の駅に向かう。そこには割と大きな商業施設があり、様々なファッションブランドが立ち並んでいる。そこでしぐれは庭子に、柔らかな布地のダークグリーンのフレアースカートと、薄手のセーターにブルーとグリーンの縞模様のカーディガン。しぐれはこの取り合わせで着る薄手のセーターの色は、濃いブラウン、ダークレッド、ホワイトなどを選んだ。
「庭子は輝きのある色がいいのよ。薄ぼけた色はダメ。さあ、この古い服のことは忘れて、今日買った服の着心地はどう?」
庭子は少しだけヒールがある淡いモスグリーンのブーツを履き、ブルーのバッグを持って少しよろけながら、
「なんだか、変な気分」と言った。
化粧品のコーナーに行くとしぐれはいくつかの化粧品を選び、鏡の前に庭子を座らせた。
「この化粧品を全部買うから、いいわね?」
「はい、どうぞ」
「庭子ちゃん、生まれて初めての化粧ね」
出来上がった庭子を見て店員が目を見張った。
家にたどり着くまでの帰り道、なん人もの人が庭子を振り返った。
八百屋おやおやの親父さんが、誰だ?と言う顔をして庭子を見た。
家に着いて、建が玄関ドアから出てきたところで庭子と遭遇し、庭子に「こんにちは」と挨拶をしてから「うわっ」と言って動かなくなった。
母親は庭子がキッチンに入ると、ポカンとした顔をして庭子を見た。そして、
「庭子?庭子よね? 庭子だわ・・ あら〜庭子っ どうしたの。あらららら、まあ〜庭子っ」と言った。
そして風邪を引いたと言って会社をズル休みしていた父親が、
「はあ〜?・・・・・・・・・・あははははははははあ・・・ん? 誰?」
しぐれが「もう2度とチェックのシャツに戻っちゃダメよ。それから毎日お化粧をして、化粧に慣れるのよ」と言った。
「庭子買い物してきて」
庭子はニートであるのだからという理由で、母親は遠慮なく庭子に買い物を頼む。
「い、いやよこんな格好で」
「あら庭子、こんな格好ってなに? これからこんな格好で生きて行くんだから慣れなさい。慣れるのはみんなの視線によ」
庭子は新しいブーツに足を入れてファスナーを上げると、気持ちを整えるために深呼吸をして外に出た。
少しだけ冷たい春の風が吹いて、庭子は不思議な解放感の中にいた。
私は何から解放されたの?
髪型や服装でこんなにも晴れやかな気持ちになれることに驚いた庭子だった。たとえ追いやっても追いやっても胸の中に止まり続ける八尾への想いと、繰り返す胸の痛みがあったとしても、心は大空に羽ばたく瞬間を持てるのだと。そして庭子は自分の背筋がピンと伸びていることにも気づいた。




