悪役スチルフルコンプした公爵令嬢は大好きな悪戯が止められない
偽物の愛だったならもっと早く言って欲しかったわ
過去作が交わる話です。単品でもお楽しみ頂けます。
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魔王が討伐されて19年。平和が取り戻された世界は、ある意味で平和に酔っていた。特に勇者を輩出したとされるこの国は顕著だった。
次に魔王が現れたとしても、再び勇者が現れて魔王を討つだろう。これは現国王が19年前に行ったスピーチだが、これが良くなかった。この国の民はそれを真に受けて、いち早く辛い記憶を忘れようとしたのだ。そして勇者もまた、聖剣を除く装備を全て寄贈し、姿を消してしまった。
崇める象徴がいなくなれば信仰も続かない。毎年決まった日に開催される平和記念祭もすぐに神聖さを失い、今では高級バッグやグッズの偽物が売られる露店販売祭へと変貌している。そして参加者の多くは、勇者の顔と名前を忘れつつあった。
そんな人々の緩みは、魔王討伐後に生まれた子供たちにも十分に伝わり、染み入り、学生の身でありながら余計なことを考えさせる暇な時間を与えてしまった。
……と、そういうことにしておきたい。これくらい装飾しないと、あの理不尽な婚約破棄騒動は馬鹿馬鹿しすぎて語り継げないだろうから。
「なぁにが、『真実の愛を見つけた!聖女であるアリスと結婚することこそが天命だったのだ!お前との婚約を破棄する!』よ。偽物の愛だったならもっと早く言って欲しかったわ。そしたら王妃教育に使った時間を別のことに使ったのに」
卒業パーティーで突如婚約破棄と国外追放を告げられた私は、私室でメイドのミュリエルと共に荷物をまとめていた。破棄の理由はあまりにも下らなさすぎるので詳しく説明する気も起きないけど、要するに私が悪玉で、殿下とふわふわ頭ちゃんが善玉という筋書きらしい。
「お嬢様、本当にこのまま国を出てよろしいのですか?正式に抗議した方がよろしいのでは……」
「このまま行くわ。あんな裁判所も通さない非公式な断罪に付き合うのも癪だけど、あの脳内フラワーガーデンズな二人とまともに向き合ったら、こっちが精神的に破滅しそうだもの。さっさと距離を空けるに限るわ」
「しかし、それではあまりに……」
ミュリエルの言いたいことはわかる。確かにこのままでは私は傷物として扱われてしまう。もはやこの国の社交界で婚約者を得る道は断たれてしまっただろう。それにこの政略結婚の価値を考えれば、キーパーソンである私がこの国からいなくなる意味はかなり重い。
だけどもう知ったことか。国外追放されるのに社交界も何もあったものではない。それに政略結婚とは結婚が最善手となる政略があるからこそ成り立つものだが、それを破棄してでも真実の愛が欲しいというのなら、もう好きにすれば良い。
「ま、私の魔力があれば路頭に迷うことは無いでしょう。いざとなれば冒険者でもなんでもやるわよ。ところでミュリエルの方は準備できた?」
「……はあ。いつでも出発できますよ」
「よろしい!では、まずは隣国コルディエに向けて、出発しましょう!最終目的地はその先、サランジェ王国よ!陛下からの追手に捕まる前にね!」
お父様とお母様にお別れを済ませた私は、こうして不本意な国外追放を受け入れて旅立った。さあ、せめて胸を張って歩こう。私に後ろめたいところなんて、一つもないんだから。
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娘とメイドの出発を、私と妻は屋敷の窓越しに見送っていた。その後ろ姿は国外追放されたとは思えない程堂々としていて、妻が若かった頃とそっくりだった。全く血は争えないということか。
「ねえあなた……リリーの横につけるのがメイドのミュリエル一人で本当に良かったのかしら。護衛を付けても良いと思うのだけど」
リリーの護衛か……できるなら私もそうしたいがな。
「あまりたくさん引き連れるのも、それはそれで目立つし、旅の足が遅くなるからな。必ず放たれるだろう追手から逃がすには、少数で旅立つに限る。まあ、リリーの戦闘能力ならミュリエル込みでも問題ないだろう」
娘のリリーが国外追放されたのは、ある意味で予想通りだった。勇者の再来を頭から信じ続けている民衆と、魔王の復活を夢物語であるかのように考える国王が揃っているのだ。何も起こらないと思う方がおかしい。
だからこそ、この国は身を焼かれる思いに苛まれるだろう。手に入れてもらった平和を維持することを忘れ、次の平和も勇者が手に入れてくれると考えている限り、この手の悲劇は終わらない。
「さてジュディット、君も準備しておいてくれ。陛下が外遊から戻り次第、すぐに謁見を申し出る必要があるだろうからね」
「……あなた」
19年前と同じ、いやそれよりもさらに美しくなった妻の瞳に凛とした光が宿った。人間とは時を重ねるほど劣化する者もいれば、進化を続ける者もいるということなのだろう。
「大丈夫だよ。私は家族を守るためなら何だってする。そして二度と君を悲しませたりはしない」
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「リリー嬢との婚約を……破棄しただと……!?しかも国外追放を宣言するなどと、なんと馬鹿なことをしたのだ!!今すぐにヴェルニュ家に使者を送れ!!早くリリー嬢を城に呼ぶのだ!!」
数日ぶりに外遊から帰ってきた父上に真実の愛を実らせたことを報告すると、予想に反して祝福されるどころか激怒し、リリーの捜索に乗り出した。当然、僕としてはその様子に納得など出来ない。
「父上、何を激昂されているのですか。どうか落ち着いてください」
「お前こそどうしてそうも……!?いや……これも私が蒔いた種かもしれぬな……」
怒髪天を衝く勢いだったと思えば、今度は消沈されている。どうもこれは普通ではないな。
「リリー嬢……いえ、ヴェルニュ伯爵家との政略結婚を父上が重視されていたことは承知しています。歴史は浅くとも良家なのも認めます。しかし特別な人脈がある訳ではありません。私が見出したアリス・セリザワには大聖女に匹敵する聖なる力を持ちますし、いずれ再来するとされている魔王に備える意味でも、聖女と結ばれた方がこの国のためになるはずです」
半分は建前だが、半分は本音だ。平民ながらも品位と美しさで類を見ないアリス嬢に惚れたのも大きいが、実際に彼女が持つ癒やしと結界魔法の威力は歴代大聖女と比べても遜色がない。学園での演習でも結界が破られることはなかった。いずれ復活する魔王と勇者を支えるためにも、彼女と結ばれて子を成したほうが良い。
だが政略論を述べた僕に対して、父上は力無く睨むばかりだった。僕はなにか間違ったことを言っただろうか。
「……どうしてそこまでヴェルニュ伯爵家に拘るのですか?金と武芸だけでは魔王を倒せないと言ったのは父上ですぞ」
「……そ――」
「陛下!」
父上が何か言おうとしたところで、入室の許可も得ずに騎士が走り込んできた。
「無礼な騎士だな。何用だ」
「申し訳ありません、緊急の用件です!ヴェルニュ伯爵夫妻が謁見を申し出ています!先の婚約破棄についてお話があるそうです!」
その騎士の発言を聞いた父上の肩がビクリと揺れた。
「……直ちに、お受けすると、伝えろ」
父上は国王に有るまじき、目上に対する言葉遣いで謁見に即応した。まるで怯えているかのように。
凛として覇気の漲るヴェルニュ夫妻が謁見の間に入った時、空気全体が変わったのを感じた。リリーと正面から向き合う時にも圧を感じる時はあるが、それとは比較にならない。皮膚が粟立っていくのを感じる。
「ラポルト国王陛下、そしてジブリアン・ラポルト第一王子殿下。本日はお日柄もよく――」
「挨拶は、いい。……本題に入ろう」
「流石は聡明たる陛下、話が早くて助かります。では……まず娘の処置についてお話を伺いたいものですな。婚約破棄と国外追放について、どうお考えになっておられるのですか?」
父上は自分を奮起させるように、玉座を強く握りしめた。騎士の中にはカタカタと槍を揺らしている者も少なくない。そして奇妙なことに、その騎士たちはいずれも熟達した者たちばかりで、僕と年の近い騎士は平然としている。
この違いは、なんだ?何故僕らは平然としていられる?
「……どちらも撤回させて頂きたい」
「父上!?」
「それが賢明でしょうな。このまま娘が他国へ嫁ぎでもしたら、貴国にとって多大な損失を被るでしょうし」
「……その通りだ。愚息が引き起こした婚約破棄については、国王の名において公式に即撤回する。文書にも残す」
「それだけでは不足ですな。娘は卒業パーティーと言う国中の名家が集う記念日に名誉を汚されたのですよ。既に市中では噂話になっております。いっそ婚約者の交換も――」
「……伯爵!!先程から貴公の態度は礼を失しているぞ!!」
僕の意思を無視して勝手に破棄撤回を決めたことにも、ヴェルニュ伯爵の国王を見下すような態度にも腹が立った。僕は皮膚の粟立ちも忘れて、ヴェルニュ伯爵に相対した。
「私とリリー嬢との婚約は既に破棄された!ヴェルニュ家は特別な人脈を持たず、ただ商才と武芸を父上の慈悲によって買われたに過ぎぬではないか!それをもう王家と連なるような態度を取るとは!自分のお立場をわかっておられないのか!?」
王家との婚約を結んだ事で増長する気持ちもわからなくはないが、一度自分の立場を理解させる必要があるだろう。
そう、思ったのだが。何故かヴェルニュ伯爵はその紫紺の瞳を憐れみの色で揺らした。
「なんと……何も教わっていなかったとは。陛下、せめて王族には勇者と魔王の戦いとその結末について教育するよう、厳にお願い申し上げたではありませんか。最早今回の罪は殿下よりも、それを教えるべき大人達にありましょう」
「……返す言葉もない」
背中をじんわりと嫌な汗が流れた。何故だかわからないが、自分がなにか過ちを犯した予感がしてならない。様子をおかしくしながらも、伯爵の言葉を何一つ否定しない父上を見ていると、無性に心臓が冷えた。……が、続く伯爵の言葉が僕から冷静さを奪い去る。
「第一王子殿下、あなたも無知無学が過ぎる。戦争についても、貴族についても」
「なに……!?」
「たかだか伯爵に過ぎない家との政略結婚、疑問に思うのは当然ですからそれはいいとして、裏取りが甘すぎます。せめて私に一言言ってくだされば良かったのですよ。そうすれば真実を教えた上で穏便に片付けられたというのに。そんなにも大事だったのですか?真実の愛とやらが」
「き……さま……!!言わせておけば!!」
謁見の間に、僕から発せられた殺気が渦を巻いた。
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「今頃はお父様あたりが無謀な婚約破棄を諌めてる頃かしらね。やり過ぎてなければ良いのだけれど」
お父様とお母様の作戦に従って、私とミュリエルは晴天の下を悠々と歩いていた。コソコソするのは趣味ではないので、こちらとしても願ったりだ。
「まさか旦那様と奥様まで絡んでらしたとは」
そんな中、ただのメイドに過ぎないミュリエルは頭を抱えていた。
「前々から殿下の気持ちが浮ついている件について相談していたのだから、そりゃ絡むわよ。お父様も陛下に諫言していたらしいけど、全然利き目が無いって憤慨してたわ」
「時々私室からピリピリした空気が漏れ出ていたのは、そういう事だったのですね。私はてっきりお嬢様が叱責されているのかと」
「失礼なメイドね。無理もないけども」
苦笑いを浮かべつつ、私は後ろを振り返った。追手はいない。すでにかなりの距離を歩いたため、城の姿も見えなくなっている。私達は茂みを利用して姿を隠し、屋敷で見繕ったランチボックスを開いた。魔法瓶に詰めた紅茶を二人で飲むと、張り詰めていたものが少しずつ解れていくのを感じた。
「私はあのお母様の娘よ?お父様が疑うなんて絶対にありえないわ。むしろ今回の件が無ければ、お父様の方から新たな婚約者を立てる話まで出ていたのよ」
「え!?お、お相手は……」
「これから向かうサランジェ王国の第二王子よ。いざという時は亡命しても良いかって言ったら、むしろ嫁に来てほしいって向こうから頭を下げてきたの。ヴェルニュ家の名は伊達ではないわね。もちろん、まだ婚約はしてないけど」
そういえばコルディエ王国も最近、第一王子が婚約破棄騒動をやらかしたと聞いた。どうやら私はそういうのに縁があるらしい。
唖然とするミュリエルを見て、私は首を傾げてしまった。何をそんなに驚いているのかと思ったが……すぐに合点がいった。
「ああ、そうか。お父様もお母様も、自分のことを何も語らないものね」
ミュリエルがお母様の手でメイドになったのは割と最近だが、その前はただの逃げた奴隷だったし、我が家では過去の功績を語らない。だから、世界への影響力についても知らないのだろう。
「ねえ、ミュリエル。勇者は魔王を倒した後、聖剣以外の装備を全て置いて姿を消したわよね。じゃあ今は何をしてると思う?」
「い、いえ、存じ上げませんが。……え、まさか!?」
「ふふっ、想像できた?でも、あなたの想像をもう少し超えてるかもしれないわよ?だって――」
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「政略の練り直しも杜撰過ぎる。たかだか大聖女を一人二人抱えて結界を張ったところで、魔王が本気になれば絹のカーテンよりも容易く破れます。あれは保険に過ぎません。ジブリアン王子、あなたはもっと過去の戦争について真剣に学ぶべきでしたな」
「言わせておけば……!!最早これ以上の無礼は許さぬ!!剣を抜け!!僕の手でお前の首を断ってくれよう!!」
第一王子が躊躇なく抜いた剣は、血を求めてギラリと輝いている。構えも剣そのものも悪くないな。一応手入れはしてあるようだ。
「馬鹿な!?ジブリアン、よせ!!」
「抜かぬのか!!ならば棒立ちのまま首を飛ばすがいい!!」
激昂した第一王子が剣を振り上げてきた。良い角度だ。速度も悪くない。だが、私が動くまでもないだろう。
「……私の夫に何をなさるおつもりですか」
「なっ……!?疾い!?」
妻ジュディットの手の中に、これまで無かったはずの剣が現れていた。太陽を思わせる輝きと熱は、私の古傷を焼いて痛みを走らせる。そして第一王子を遥かに凌ぐ神速の剣戟で宝剣を弾くと、妻の剣から一筋の炎が伸びた。
「ぐ、ぐああああああ!?」
その炎は第一王子の腕を這い上がり、瞬時に衣服を灰にした。その腕には【無学者】と読める古代文字が火傷として刻まれている。
ああ、美しい。この剣を握った妻の美しさは、おそらく国中の宝物をかき集めても比較できないだろう。唯一対抗できるのは愛娘ぐらいのものだ。リリーよ、お前は今も青空の下を歩いているのだろうか。
「ジュディット、それくらいにしておけ。それと火傷も残さず治してやってくれないか。お前の愛は夫としては喜ばしいが、無力な民を虐げれば勇者の名が泣くぞ」
「ええ、そうですね」
そう一言だけ返した妻は左手を第一王子にかざした。それだけで王子に刻まれた全身の傷は癒えて、右腕に刻まれた古代文字も消滅する。剣は何か不満を漏らすように明滅していた。
「……我慢して。こうしないと君が悪者になるわ」
その剣を顔まで持ち上げた妻は、まるで話し掛けるように独り言を呟いた。
「そ、それは……まさか!?」
「そう、聖剣アスカロン。守るべきものを知る人間にだけ持つことを許された、最強の聖剣だよ。その守るべきものが――」
第一王子の意気を完全に挫くため、私も19年ぶりに魔力を解放させた。心地よい感触が全身に走り、同時に妻につけられた肩から脇腹にかけての古傷が赤く発光した。
「たとえ、かつての宿敵であろうともなぁ!」
『……よくぞ私を倒した、勇者ジュディよ。さあ、とどめを刺せ……』
『罪を償うと約束してください。あなたを、斬りたくないの』
『甘いな、ジュディ。それでもお前は勇者か?』
『甘いのはあなたです。あなたは魔王に覚醒した後も、無闇に命を奪わなかった。悪意の無い人間や、女子供の命は救っていた。そして愛する女のためなら――』
『――自分の命すら与えようとした。そうだな……その通りだ。……なあ、ジュディ』
『はい』
『罪は必ず償おう。この命尽きるまで、人間たちを守護すると約束する。そして……勇者よ……お前は美しい……顔だけでなく、心もだ。だから私もお前を斬りたくはない。……ジュディ。もしも……破壊を生む角も、恐怖を振りまく翼も、そして戦いも捨てた後なら…………お前の隣で、お前と同じものを見て歩いても、良いだろうか』
「ひぃぃ!?ま、まさか!?お、お前のその力は!?禍々しい闇の力は、まさかぁ!?」
聖剣によって残された聖痕に抗おうとする闇の魔力が、古傷からの出血を強いた。その色は普段の赤色ではなく、闇を孕んだ紫に変色している。意識を失いそうになるほどの激しい激痛は、聖剣による傷が絶対に癒えないことの証明だったが、それさえも今の私には誇らしい。喜びからか、無意識に口端が持ち上がった。
腰を抜かした男に一歩踏みよると、それだけで城全体が悲鳴を上げて揺れ動く。私が放出する魔力は、魔法に変換するまでもないほどの破壊をもたらす程濃厚なのだ。
しかし、それがどうした。
私は得たのだ。
全てを投げ打って、人間に対する復讐心すらも克服して。
愛する妻と、愛する娘を。命を捨ててでも守るべきものを。
だからこの力は、今や破壊のための力ではない。
愛するものを、あらゆるものから護るための力だ。
「さあ、娘を傷付けた落とし前を、どうつけてもらおうか」
ジュディット。リリー。お前たちは私が護ってみせるぞ。
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「じゃ、じゃあ私、魔王と勇者様の下でメイドをしていたんですか!?」
「そういうことになるわね。ついでに言うと私は人間と魔族のハーフで、元勇者と元魔王を両親に持つわけよ。ほら、おでこの横がちょっと尖ってるでしょ?それは赤ちゃんの頃に角を切ったからなのよ。もしかしたら背中にも痕があるかもね」
さらになんの因果か私にも聖剣アスカロンの声が聞こえるのだが、どうにもあのへそ曲がりは宿敵を守ろうとする変わり者を好んで持ち主に選ぶ性癖を持っているらしい。
おかげで毎日のように『お前の母親は悪くない女だ。それに比べてお前と来たら』と小舅のような小言を聞かされて大変だった。
「相思相愛になってしまった両親はラポルト王国へ戻り、ラポルト王国が自分達を保護する限り、終生国を守護することを現国王に宣誓したのよ。そしてお父様は国王の前で角と翼を切り取って、国王に献上したの。それは今でも城の宝物庫に仕舞われているわ」
そして魔王と添い遂げてしまった勇者と、元魔王を自国に抱えてしまった国王は、外交的非難を恐れて"魔王は勇者によって討たれた"と演説して真実を秘匿した。
「で、一応の褒美として放置されてた土地と伯爵の地位を貰った両親は、19年かけて豊かな領地にしたってわけ。その領地運営能力を見た国王は、さらに第一王子と私を結婚させることで、国の安寧と外聞の両方を守ることにしたのよ。良い手だと思うし、我が家にとっても良い話だったわ。もはや過去形の話だけどね」
王族にだけは真実が伝わっているはずだとお父様は言っていたけども……もしかしたら、殿下は知らなかったのかもしれない。だからって私から話して信じてもらえるとも思えないけど。
それにしても、国王からしたら半分脅迫みたいなものだったろう。なにせ世界最強の勇者と魔王が並んでいるのだ。頭を下げられても困っただろうなぁ……。
「……その元魔王の旦那様が、今頃は謁見されている訳ですか……大丈夫でしょうか。私から見ても相当お嬢様を溺愛されてましたし、元魔王となると色々と危ないんじゃ……」
「まあ、大丈夫でしょ。だってお父様の隣はいつも最強のブレーキ役がいるのよ?」
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「あなた」
紫紺の魔力に揺らぐ私を、妻が優しく抱きしめた。その感触で冷静さを取り戻した私は、溢れ出る魔力を再び体内に封じこめる。同時にアスカロンの力によるものか、開いた傷口が焼かれ、出血が止まった。どうやら私は、あの日のように再び間違いを犯す前に、愛する女に救われたらしい。
同時に騎士たちの一部がめまいを起こし、あるいは気絶した。年若い騎士達には少し刺激が強過ぎたようだな。
私は失禁する第一王子に一礼してから、国王に跪いた。
「……失礼いたしました。妻については正当防衛となりましょうが、私の威圧は言い訳のしようもありません。どうぞ私の命、陛下の望むままに」
「……よ、よい。そもそも先にそなたに斬りかかったのは愚息だ。だが、あれも十分にわかったであろう。どうか愚息を許してやってくれ。あれでも私の息子なのだ」
「陛下の慈悲に心より感謝申し上げます」
妻が聖剣アスカロンを手中から消した時になって、ようやく謁見の間に張り詰めた緊張が緩んだ。誰も世界の二大最強戦力と戦いたいとは思わない。
……よし、とにかくこれで十分目的は果たしたか。
「と、ところでだ。婚約の破棄を撤回するのは良いとして、改めて王家との婚約について調整したいのだ。もちろん、ジブリアン以外の者でも好きな者を選ばせてやりたい。リリー嬢は今どこにおられるのだ?」
「さあ、知りませぬ」
「何っ!?」
私は殊更に軽い調子で両肩を上げた。私と妻の目的は唯一つ。
「私は事の始末について、方針を確認しにきたまで。娘は婚約破棄と国外追放を告げられた当日に、悲しみに暮れて着のみ着のまま家出しております。確か、サウスベルンの方角に馬車を走らせていたような……?あるいは海を越えて亡命するつもりなのかもしれませぬ」
娘がノースベルンの追手から逃れ、自由を掴み取るまでの時間稼ぎだ。
「何故すぐに言わなかった!?ええい、何をしているのだ大臣!早急に騎士団を呼べ!サウスベルンに向けて捜索隊を放つぞ!馬車に乗っているならばすぐに見つかるはずだ!!」
「陛下、私どもは失礼させて頂きます。開いた古傷を治癒せねばなりませぬ故」
「うっ!?そ、そうか……そうだな。二人共、ご苦労だった。また呼び立てるかも知れぬが、養生してくれ」
焦りすぎた国王は、第一王子が失禁して腰を抜かしていることさえも忘れ、謁見の間に騎士団を呼び出してしまっていた。第一王子については良かれと思ってやったことが裏目に出たのだから、少々可哀想な気がしなくもない。
そう思った私は、屋敷までの道のりを妻と腕を組んで歩きながら、これまでの言動を振り返った。
………………。
いや、やっぱりやり過ぎじゃない!あいつは娘を傷付けたのだ。やはり八つ裂きにしておくべきだった。今からでも間に合うだろうか?
「あなた」
そんな妄想をしていた私の横から、ゾクリとする声が差し込まれた。ギシギシと音を立てて振り向くと、かつて私と対峙した頃と同じか、それ以上に険しい表情を浮かべた妻が睨みあげていた。
やばい。怒っている。それも、すっごく。どうやら、私はやりすぎたらしい。
「帰ったら、おしおきです」
「…………はい」
世界よ、見ているか。そして知るがいい。
大地を揺るがすほどの闇の魔力を持とうとも、この偉大なる勇者がいる限り、世界を支配することなど不可能だということを。
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「それにしても、サランジェ王国に向かうのですね……」
昼食休憩を終えて再び歩き出した私達だったが、ふとミュリエルが感慨深そうに呟いた。いや、これは……懐かしがっている?
「サランジェに行ったことがあるの?」
「いえ、あの国は私の生まれ故郷なんです。奥様に拾われるまでは、両親に売られてずっとあの国で奴隷をしていました」
「そうだったの……じゃあ、ご家族に会っていく?」
ミュリエルは力なく首を横に振った。
「会いません。売られる直前、両親が弟妹を全員売る算段をしているのを聞きました。きっとあの家には、鬼となった両親しかいないでしょうから。ただ……」
「ただ?」
彼女の目端から、一筋の涙が流れた。それは絶望の中を生きてきたミュリエルに残された、わずかな希望だったのかもしれない。
「ニノンという名前の、ひどく泣き虫な妹がいたんです。まだ遊びたい盛りだったあの子が、今頃は奴隷をしているとっ……思うとっ……!!」
ポロポロと流れ出した涙と、心から辛そうなその泣き顔は、我が家では一度も見せたことのない深い悲しみに彩られていた。
……婚約破棄で傷付いてた私が馬鹿みたい。ミュリエルに比べたら、私なんて幸せ者だわ。だって、心から信頼する友人と一緒に、のんびりと旅が出来ているのだから。
「ねえ、クローデル家って聞いたことある?奴隷解放政策を進めている、コルディエの名家よ」
「……いえ、私は貴族社会については、あまり詳しくなくて……」
「あそこは奴隷を買い取った後、平民に戻して解放してるという噂を聞いたことがあるわ。少し寄り道していきましょうよ。ニノンちゃんと、他の弟妹についても、何かわかるかもしれないわ」
「本当ですかっ!?は、はい!!ありがとうございます!!」
いいのよ、ミュリエル。あなたのためなら、私はどんなことだってやってあげる。
『お嬢様……』
『私の18年はなんだったの……?私と殿下の絆は、たった2、3年で奪われる程度の薄く、脆いものだったのかしら……』
『……大丈夫です、お嬢様』
『ミュリエル……?』
『親に売られる子もいれば、それを過去にできる子もいます。私に出来たのです。お嬢様にできないはずがありません』
『……ミュリエル……わ、私……ほんとは辛かったの……っ!王妃教育も……っ!それを殿下が認めてくれなかったことも……っ!すごく……すごく、辛くて……っ!』
『はい、存じ上げています。私が知る中で、お嬢様が一番素敵ですよ。殿下よりも素敵な殿方が絶対に現れますとも!』
『…………ありがとうっ……!私を見てくれて……ありがとう……っ!』
あなたに涙は似合わないわ。泣くのは私だけでいい。あなたにはずっと笑っていてほしいの。どんなに辛い過去を持っていても、目の前で泣く子を慰めることができるあなたには。
あなたのことは私が守るわ。たとえこの先どれだけ涙を流そうと、聖剣アスカロンが無くったって、絶対に。
「あと三日もすればコルディエには着くはずよ。今のうちに笑顔の練習をしておきなさい?お姉ちゃんなんだから」
「はい!」
結局、コルディエ家ではニノンちゃんと会うことも、目新しい情報を得ることも出来なかった。だけどこれも奇跡と言っていいのかどうか、この寄り道は無駄では無かったのだ。
クローデル家の当主から、ニノン・フォン・クローデルという名前の養女を迎えたこと、そして公爵令嬢マリアンヌ・フォン・クローデルが義姉として世話をしていることを知らされたのは、私達がサランジェ王国に到着してしばらく経ってからのことである。
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「ニノン?なんかあなた宛に手紙が届いたわよ。珍しいわね」
「げっ!?ま、まさかあの家に帰ってこいって言うんじゃ……」
「我が家経由だからそれは無いでしょう。何が書いてあるのかしらね?」
「…………っ!?」
「……ニノン?」
「おねえちゃんだ……奴隷になった方の、おねえちゃんからだ……!!」