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真・阿修羅伝  作者: 緋櫻りゅう
天界の章
7/14

7.仏陀



「何だと。帝釈天めが和睦を提示してきただと?」 

「はい、今すぐにも使者を送ると」

「何を今さら、気でも狂ったか。それとも奴の首を自ら差し出すつもりか。ならば受けてやらんこともない」


 修羅界にある阿修羅の館で、影闇の報告を受けている。阿修羅は少しぞっとする笑みを浮かべた。


 長きに渡る戦を経ても、阿修羅の美しさは翳ることはなかった。ただ、胸に揺れる瓔珞はすっかり血に染まり、それは彼女の心内(こころうち)を示しているようだった。


「阿修羅様、地界に出現した救世主のことを御存知でしょう?」

「救世主? ああ、あの仏陀とかいう、人間界の奇跡か」

「はい」

「それがどうした? 我等天界、修羅界の者には関係なかろう」


 阿修羅はかったるそうに椅子に座った。


「帝釈天に和睦を受けさせたのはどうやら奴らしいのです」

「何? たかが人間如きが帝釈天を? まさか、信じられん! この何百万年にも渡る戦、今までに仲裁に入った者は創造神の梵天を始め数知れぬ。それに一度たりとも首を縦に振らなかったあの男が……」


 信じられないと再び呟き、阿修羅は首を振った。


「何者だ……。一体」


 阿修羅は考え込むように一点を見つめた。 


「影闇、もう下がれ。帝釈天の遣いには、 “和睦の条件は帝釈天の首” とでも伝えておけ。しばらく様子を見たい、奴の真意を」

「はっ」


 影闇は音も無くその場を去った。


「仏陀……だと?」


 阿修羅は高いガラス張りの天井を見上げた。ガラス越しに何億光年遙か星雲が輝いている。蓮華姫の美しい瞳を思い出す。 


「忘れまいよ、蓮華姫。たとえこの星々の全てが砕け散り、暗黒の闇が来ようとも」


「それが……、蓮華姫を苦しめていてもですか?」

「誰だ!!」


 針で全神経をつつかれたように、阿修羅は振り向いた。


「初めてお目にかかります」


 そこには阿修羅に頭を下げる、まだ若い僧侶の姿があった。言い様のない神々しさが彼からは伝わったが、どこか頼りげない。実体ではないらしい。


「虚像か。思念波だけを飛ばしてきたな。しかも、人間界から……。とすると、お前はあの噂の仏陀か」


 阿修羅は平静を装ってはいたが、実際は彼の姿に少なからず動揺していた。

 何億由旬果てるこの世界まで思念波を飛ばせるだけでも驚きなのだが、これほど虚像を輝かせる思念は天界にもない。


 それだけ彼の持つ意志は美しく、純粋なのだ。その純粋さ故なのか、何か得体の知れない感情が、阿修羅の胸に込み上げてくる。恐怖なのか、驚きなのか、はたまた憧憬(どうけい)なのか。


「はい。仰せの通りです。阿修羅様」


 そう言って見上げた仏陀は、整った顔立ちが印象的で、静寂な湖水を思わせる佇まいだった。


 ――――あ……。


 そして何よりも、その瞳の深さに、阿修羅は一瞬引き込まれそうになるのを感じた。


 ――――何という深遠で澄んだ瞳なのだろう。何十億光年を司る神々の目のようだ。蓮華姫の瞳にも似た、その中に果てし無い宇宙を育む。


「それで、その仏陀が私に何の用だ」


 額に汗の滲むのが分かる。こんな武器の一つも持たぬ、見るからに戦いとは縁遠い男に脅えている。阿修羅は己の動揺を気付かれないように努めて平静を装った。


「阿修羅様にお願いがございます」

「ふっ。帝釈天との戦いを止めろというのなら聞く耳持たんぞ。私はあやつの首を蓮華姫の魂に捧げるまでとどまるつもりはない」

「いえ」


 軽く目を伏せて、仏陀は首を振った。


「蓮華姫様の悲劇、そして貴方の業を知らない訳ではありません。あえて、それを願うこともないでしょう。ですが阿修羅様、少しの間この戦場を出て、私とともに人間界に降りてもらえないでしょうか」


「人間界?! それがお前の望みなのか?」

「はい、貴方に私と共にいて欲しいのです」


「まさか、護衛にでもなれというのではあるまいな」


 怪訝そうに阿修羅は眉を(ひそ)める。護衛と言ってはみたが、立ち上がった仏陀は明らかに自分より背も高く恰幅が良かった。武器はなくても人を圧倒するような何かが体中から放たれている。


「護衛……そうですね。そうかもしれません」


 本心とは思えない。そう感じながらも、阿修羅は流れに乗ってみる。


「ほう、ではその報酬は?」

「修羅界に戻られた時、貴方が望むこと、どのような事でも」


「それが貴様の命や帝釈天の首でも?」

「お約束します。望みのままに」


 表情一つ変えることなく、仏陀は答えた。


 ――――本気か。この男、一体何を考えている。


「私がいない間に帝釈天が攻めてきたら? これが貴様と奴の罠でないと言い切れまい」 

「帝釈天様はすでに戦意を(しっ)しています。信じてもらえなければそれまでですが、貴方の望みが自分の首なら、差し出すと約束されました。それにもし、帝が攻めてきても、一瞬の内にここへお戻りになればいいのです。影闇様との連絡を常に取っていれば、たやすい事でしょう」


「ほう……。あいつが自分の首をねえ」


 阿修羅は改めて仏陀を見つめた。印度僧の薄い青色の袈裟を纏い、歴戦の戦士、阿修羅を前にして何の気負いもなく静かに佇んでいる。


 ――――人間界。ゴミ虫どもの住処(すみか)など興味はないが、この男の言うこと、聞いてみるのもおもしろい。人間界の奇跡をこの目で確かめてやるのも一興。再び修羅界に戻った時、貴様は今のように、平然としていられるかどうか……。


「で、どのくらいの期間、お供すればいいのだ?」

「本日から、地の星が日の神を一回巡るまで。人間界でいう一年でございます」


「よかろう。支度をする、待っておれ」

「ありがとうございます」


 再び仏陀は頭を下げた。口許に優しげな笑みを浮かべながら。


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