4.屈辱
「どうされました、姫? さあ、及ばずながら手を貸しましょう。いや、もしその唇が声を出すのを拒むなら、私が開いてさしあげましょうか?」
帝釈天は震える姫の前まで下りていくと、その顎を軽く右手で支えた。
「姫に何をされます!」
「黙れ!」
血相を変えて叫ぶ侍女どもに、帝釈天は烈火のごとく怒鳴った。縮みあがる侍女達。
「いや、失礼。心配なさるな。姫、この王都で私にわからぬ事はありません。持国天!」
帝釈天は側近中の側近、持国天を呼んだ。
「お前なら知っておろう。教えてくれ。私は姫の助けになりたいのだ。姫の御心を射止めた幸運な者の名前を」
「はっ。ですが……、あの」
持国天は一瞬口篭もった。だが、針よりも鋭く研がれた帝釈天の視線に、すぐさまその名は明かされた。
「なに……。ふっ、ははは……! そうかなるほど。持国天が私に報告しないわけだ」
ひとしきり笑うと、姫の顎を持っていた手に力を入れた。
「うっ」
「姫、すぐにも会わせて差し上げよう。持国天、阿修羅の元へ行け。蓮華姫がわが寝所で待つと」
侍女の声にならない悲鳴が王宮に響き渡った。
「な……なんだと」
「姫様は帝釈天に引きずられるように連れて行かれました。目に涙を一杯に溜められて……。そして去り際、お縋りする私どもの心に、直接こう語られました」
一人の侍女が、正門に出向いた阿修羅に涙ながらに訴えている。
「王宮のご使者よりも先回りして、阿修羅様に会い、そしてすぐお逃げになられるよう伝えよと。ですが、阿修羅様、私は……」
阿修羅は侍女の言葉を途中で制した。背後に人の気配があった。
「これは、これは、侍女どの。何と足の早い」
“ひっ” と短い悲鳴を侍女は上げた。
「持国天、何の用だ」
阿修羅の視線の先には、馬車から降りた持国天と従者の数名が立っていた。
「帝釈天様よりご勅書だ」
「述べよ。このままで聞く」
帝釈天からの勅書と聞いても、阿修羅はすでに敬意を払う気は失せていた。文字通り仁王立ちのまま、使者の言葉を待った。
「むう」
苦虫を噛み潰したような表情のまま、持国天は帯紙を解いた。
「天帝軍将軍、阿修羅。ただ今より王宮へ参ずることを命ず。この時、武装、帯剣は禁ずる。使者の持つ衣にて参上することを違うべからず」
「な……」
阿修羅はしばし言葉を失った。持国天の隣で傅く従者が差し出した衣服は、金糸、銀糸の刺繍の入った白い薄衣と赤い帯。神々が契りの証に着用するものだった。
「この……」
阿修羅の体がわなわなと奮えだした。それと同時に、燃え上がる様な熱気を一気に放出した。
「ふざけるなぁ!!」
目にも止まらぬ速さで柄に手をやると、瞬時にその衣を切り裂いた。
「帝釈天……。私を怒らせたな……」
「阿修羅どの! これは謀叛と受け取られますぞ。姫がどうなってもよろしいので?」
「だまれ、愚弄が!」
「阿修羅様!」
侍女が悲痛な叫び声をあげた。阿修羅はぎゅっと拳を握りしめ、目を見開き持国天をにらみつけた。自らの爪で傷ついた拳から血が流れ出る。
「帝釈天に伝えよ。姫に指一本でも触れてみろ、お前の首は胴を恋しがって泣くだろうと。望み通り、この身はくれてやる!」
「しかと……」
それだけ言うと阿修羅は踵を返し、館の中へと歩を進めた。
「王宮へ行く、支度せよ!」
「阿修羅様……」
侍女は地に額を擦りつけるほど深く、何度も頭を下げた。