2.蓮華姫
「阿修羅様……。阿修羅様でございますね。」
重い鎧を脱ぎ、簡素な革の武具を纏った阿修羅は、王宮の庭にいた。きりっとした眉の下の涼やかな目は、鋭いながらもどこか憂いを帯びる。色とりどりの花の中で、最も美しく咲いていた。
「何か用か」
どこぞの姫か。美しく着飾られた衣服に長い髪がたゆたっている。束になるほどの睫毛が星のような瞳を覆い、愛らしい唇が薄桃色に染められた、稀に見る美少女である。
「私は蓮華姫と申します」
「そなたが……、蓮華姫」
千年に一度、この天界に咲く蓮の中に生まれるという伝説の姫だった。その信じられない美しさは、見る者全て、触れる者全てを幸福にするという。
「半年前、誕生されたとは聞いていたが、これほどまでにお美しい姫とは……。だが、何故ここにおられる? 姫の里の蓮池は南都にあるはず」
ここにいては姫のために良くないのでは。咄嗟に阿修羅はそう考えた。帝釈天のことだ。姫を見たら、すぐにも邪な思いにかられるのは火を見るより明らか。
現に姫が誕生された時、どうしても会いに行くのだと大騒ぎをしていた。長老達が策を巡らし、上手く静めたから大事にはいたらなかったが……。
――蓮華姫が誕生するとき、必ず天界に凶事が起こるという。その災いを静めるため、姫は生まれる。そして、決して姫は他より犯されてはならないのだ――
阿修羅は古くからの言い伝えを思い起こした。
「阿修羅様を追って参りました」
「え……」
阿修羅は驚いて、姫の顔を見た。頬のあたりを薄紅色に染め、夢見るような面持ちで目の前の戦士を見ている。その言葉よりも心の内を語る瞳に思わず目を逸らした。
「何を馬鹿な!」
ムッとしたように阿修羅は言った。
「馬鹿な事ではありません。先の戦で阿修羅様をお見受けいたしました。神馬に跨がり剣を振るうお姿は、私の瞳に焼きつきました。夢にも現にも忘れることできなくて、こうしてお傍へと参ったのです」
哀願するように姫は自らの思いを訴えた。
「お止め下さい、蓮華姫。私には色恋沙汰など煩わしいだけ。とにかくそんな事のために来たのなら、さっさと南の里にお帰りなさい。姫はこの天界にとって大事な御方。もしものことがあったら、それが天界全ての大事に至らないとも限らない」
蓮華姫は寂しげに俯いた。頬にひとすじの光るものが伝った。
「私の侍女達もそう言います。私は天界にあって、必ず他の神々を統べると。けれど、私は他の神々と同じように、思うまま生きていたい。私は何かを持って生まれたわけではないのです。だから……」
――幼い……まだ、ほんの子供なのだ――
「蓮華姫、姫のお気持ちがわからないわけではありません。でも、侍女達の言われる通り、姫は天界に必要な方なのです」
「でも……」
――姫……――
顔を上げた姫の瞳は涙で溢れ、睫毛は文字通り束になっている。その涙がまるで真珠のようにポロポロと落ちていく。たまらずに阿修羅は、そっと手のひらで涙を拭ってやった。
「もう……、ここへ来てはなりません。一刻も早く南の里へお帰りなさい」
出来る限りの優しさを込めてそう言うと、くるりと背を向け宮廷へと向かった。背中で泣き崩れる姫の気配を感じ、初めて感じる胸の痛みに戸惑っていた。
白玉ぜんざい様から頂きました。
蓮華姫です。
ありがとうございます!