5.心強く惹かれる者
約束通り三日後、阿修羅は何日分かの食料を持って村へ帰ってきた。
「御苦労だったね」
「どうだ。様子は」
仏陀は三日前に別れた時よりさらに疲労激しく、痩せたようだった。
「少しずつではあるが好転している。後は食べ物だけだった。これでもう大丈夫」
「貴様の方が倒れそうだな。すぐに何か作らせよう」
立ち上がろうとした阿修羅を仏陀が制した。
「いや、病人が先だ」
「仏陀、だが……」
そう阿修羅が言いかけた時、戸口から村人が入って来た。
「仏陀様、家の息子がもう……。どうか最後をみてやって下さい」
「え……」
病に苦しみ、ようやくの死を迎える時でも人々は死を恐れた。もう既に何人の死を見送っただろう。
いくら尽くしても、幼き者、年老いたもの、弱いものから命を落としていく。その度に仏陀はその手を握り、偽りない穏やかな表情で語りかける。恐れることはない、と。
――――本当にそう思っているのか……。
また小さな命を見送った道すがら、阿修羅は思い切って尋ねてみた。
「仏陀よ。お前は本当に死を恐れずともいいと思っているのか? 私ですら、やがて来る無の世界は耐えがたく思っているのに」
「阿修羅。この世の人々の命。死して何処に行くのだと思う?」
「さて……」
「人の命は巡っている。いや、人だけではなく全ての生命は、この広き宇宙を時の輪に乗って廻っている。ここに這っている小さき虫も次の世は人として生きるかもしれない。もっと小さい命を司るのかもしれない。貴方の修羅界も、天界も同じ輪の中にある。ほんの少し時間がずれているだけ。ここで今日死んだ者は、明日貴方の軍勢の一人となるかもしれない」
「そしてまた、地獄を見るのだと?」
「そうだ」
阿修羅は自分の軍勢が敗れても、敗れても、増え続けることを知っていた。天界軍も同じだ。だからあの戦いは終わらない。
「そうか……。そうだったのか」
地上界に生命が溢れ、飛躍的な速度で進化していったのは、天界、修羅界が長い戦いにより、あるべく姿を保てなかったからだ。
戦により大量に失われた命は、天界、修羅界だけでなく地上界に降り、凄まじい繁殖力で増え、また戦の中へと送られていった。
「蓮華姫も、いずれ人間界へと降りられる」
「なんだと! 姫が人間界に? 何故だ。姫は人間界へなど降りる必要はないはずだ」
蓮華姫は自ら命を断った罪で、今は黄泉の国にいると聞いている。そこで次の転生を一人待たれていると。当然再度天界へ誕生されるはずだった。
「姫が望まれたことだ。自分が発端となったこの長き戦に少しでも償いをしたいと」
「そんな……、馬鹿な!」
阿修羅は頭を振った。己が起こした戦のために、蓮華姫まで苦しんでいたと。いつしか何のために戦っていたかも忘れるほど、疲弊してなおも剣を奮った。何と愚かな!
阿修羅は顔を上げ、仏陀の尽力で持ち直していてもなお、病に苦しむ村をながめた。
――――この……悲惨な、人間界の地獄は私が作ったものなのか。姫がこの地獄の中に?
「仏陀、私は姫を守れなかった。そしてこの惨状。教えてくれ。私はどうすればいいのか」
「貴方の意のままに。私は貴方が気付くのを待っている。私の望みを」
仏陀の目が阿修羅を捉える。宇宙を宿すその瞳は阿修羅の心を深く刺していく。
――――私を、待っている? 望み? あ……。
阿修羅は胸の奥が熱くなるのを感じた。まるで導火線に火が点いたように。
――――いつか、会える……。心強く惹かれる者。
「違う。そんな……、まさか」
「阿修羅?」
「違う、おまえは人間だ!」
「阿修羅! どこへ行く!?」
仏陀の呼ぶ声が追いかけてくる。だが阿修羅は振り向きもせず、その声から逃げるように走った。