4.罪多き身
領主に熱いお茶を浴びせ、二人はその贅沢三昧な館を出た。
「ところで、え、と、阿修羅」
呼び捨てで良いと言われた者の、慣れない呼び方で仏陀は改まったように呼んだ。二人は既に館を出、馬を走らせている。
「何だ」
「あの領主の倉庫には食料があっただろうな」
「山ほどな。私の目は誤魔化せん」
「やはり……」
仏陀は目を伏せ、「どう!」と、馬の手綱を引くと脚を止めた。
「阿修羅、貴方なら、その食料を誰の血も流さずに、地方の村々へ分配出来よう」
阿修羅も仏陀に合わせて馬を止める。
「ふん。たやすいな。だが、いいのか」
仏陀は顔を上げ、阿修羅の方を向いた。いつもの純真な瞳が向けられただけなのに、阿修羅はちょっと動揺した。
「あの食料庫にある物は、本来、病に苦しむ人々やそれを助ける人々の物だ。もしそれが罪ならば、私が全てその責を負う」
微動だにせず語られるその言葉は、仏陀の心底から出たものであることを示していた。
「馬鹿な。責なら私が負おう。どうせ償えぬ罪多きこの身だ」
「阿修羅、それは違う」
言いかけた仏陀に背を向け、阿修羅は馬の背を叩いた。
「今からすぐにやろう。三日後には戻る。それまで一人でも多くの者を生き延びさせておけ!」
「阿修羅! 気を付けて……」
仏陀の声は聞こえただろうか。瞬く間に阿修羅の姿は土埃の中、消えていった。
馬を走らせながら、阿修羅はある夜のことを思い出した。それは托鉢に訪れた村で一夜の宿を借り、二人、納屋で眠っていた時のことだ。
『阿修羅様、最後に、お会いできて……、良かった……』
『蓮華姫! しっかりしろ!』
ふわりと蓮華姫の体が阿修羅の腕に落ちる。花びらのごとく軽い。
『帝釈天! 許さん!』
阿修羅は夢を見ていた。戦から離れて早くも半年が経っていた。修羅界、天界にいた時ですら、そんな夢など見たことはなかったのに。
『助けられなかった……。蓮華姫を……』
苦しさに胸を痛め、自然と涙が零れる。
「阿修羅……さ……」
ふいに自分を揺り動かす手の感触を感じた。涙で瞳を濡らしたまま、阿修羅は目を覚ます。そこには心配そうに彼女を覗く、仏陀のまなざしがあった。
「大丈夫ですか? うなされていました」
阿修羅は反射的に仏陀の手を撥ね退けた。見られたくないところを見られた。急いで涙をぬぐう。
「これは失礼しました。起こした方が良いかと思いましたので」
「いや、構わん。大丈夫だ。もう寝る」
むっとした表情で阿修羅は答え、背を向けた。
「阿修羅様。どうか、私が側にいることを忘れないでください」
「どういう意味だ」
阿修羅は背を向けたまま問う。
「お一人で苦しまないで欲しいのです」
「何を言っている! 私は苦しんでなど!」
阿修羅は跳ね起きるようにして、仏陀の方を向いた。すると、思わぬことに、仏陀は阿修羅を抱きしめた。それは恋人を抱きしめるそれではなく、嘆き悲しむ人を包むように、優しく。
「な、何をする……」
本来なら、強く突っぱねるところだったが、何故かできなかった。仏陀の腕は逞しく、胸板は厚かった。
僧侶と言っても元はクシャトリア(武士)の出である仏陀。修行の旅も肉体労働が多い。戦士でありながら華奢な阿修羅は、すっぽりとその腕の中に納まった。
「泣きたいときは、泣けば良いのです。私がいます」
「馬鹿な……ことを」
言葉では反論したが、心は逆だった。しばらくそのままでいたい。阿修羅はその気持ちに素直に従った。
そんなことは一夜限りのことだった。その後も、この夜のことについて二人は話すことはなかった。誰かの腕の中で泣くなど、阿修羅にとって考えられないことだ。だが、不思議と恥ずかしさはなかった。
『どうせ償えぬ罪多きこの身だ』
『阿修羅、それは違う!』
仏陀の言葉を遮ったのは、どうしてだろう。それ以上、もう聞きたくなかった。自分の全てをあいつに持っていかれそうで、怖かったのかもしれない。
阿修羅は思いに更けながら、先を急いだ。