3.導く者
「税をしばらく取り立てるな。ですと?」
「そうです。そしてもし、食料庫に蓄えがありましたら、流行病の酷い所だけでも分けてやって欲しいのです」
領主の館に着いてすぐ、謁見はゆるされた。仏陀の名声は、今やインドのみならず、近隣諸国にも行き渡っているようだ。
「折角、あの高名な仏陀殿とお会いできると思ったのに、そのような話ですか」
この館に入った瞬間、阿修羅にはわかっていた。この男には何を言っても無駄と言うことが。
民達が飢えと病に苦しんでいるというのに、この館には、甘くいい匂いが立ち込め、領主とその一族達は丸々と太っていた。食料庫には、さぞたくさんの食料が積まれていることだろう。
「私も領主のはしくれ。仏陀様に言われなくても策は講じています。すでに食料倉庫には何もありません。税も取り立ててないはずですが」
「それは妙だな」
仏陀の後ろに控えていた阿修羅が口を開く。
「村の連中の話では、つい最近も根こそぎ持ってかれたということだったが」
「なにを言われる!」
「加えて、今日も御馳走食べました。て顔に書いてあるようだしな」
「無礼な! 仏陀様、どういう事です」
「阿修羅様、少し控えて下さい」
「ふん」
そっぽを向く阿修羅。領主はその阿修羅をまじまじと見て言った。
「やはり、噂は本当だったようですな」
領主の意味ありげな言葉に、阿修羅の指がぴくりと動いた。
「噂? 何のことでしょう」
仏陀の問いに領主は下品な笑みを浮かべた。
「いえね、私は信じてはいなかったのですがね。あの高名な仏陀様に、大層腕のたつお供がいると」
「それが何か?」
何を今更とでも言いたげに仏陀が聞いた。
「華奢な少年のようですが……。実は、少女なのだと」
「何……」
阿修羅の指先がわずかに動く。
「さて、男と偽るその理由は何か……?」
「男と偽る? 貴様、何が言いたい」
――――大体偽った覚えはないぞ。
「何、噂ですよ。それから先はね。でも、女性であることは本当のようですし、案外そうかな、なんてね。仏陀様の愛しょ……」
「その先を言う気か。貴様、誰に物を言っているか、わかっているのだろうな!」
阿修羅の怒りに震える手が剣の柄に届く。
「阿修羅様!」
仏陀の声も耳に入らない。
「私を……侮辱するなど許さん! この下郎!」
言うが早いか、阿修羅の体が飛んだ。そして同時に剣が領主の頭上に振り落される。
「ひえぇぇ!」
「やめなさい! 阿修羅!」
間一髪に仏陀の身体が滑り込む。
「うっ」
仏陀の髪がはらはらと落ちる。寸でのところで剣先は止まった。
「邪魔だ! 退け、仏陀!」
「退きません。剣を収めなさい。私の前で人を殺めること許しません!」
「貴様に命令される覚えはない!」
「いいえ! 貴方は私の供、私は主です。主の言うことは聞きなさい!」
「しかし! 私はともかく、こやつは貴様のことを……」
「阿修羅!」
その、何をも平伏させる圧倒的な迫力に、さすがの阿修羅も動けなかった。仕方無く剣を収める。
「それでいい」
ほっとする仏陀。だが、当然に阿修羅の怒りはおさまらない。何も言わず領主と仏陀を睨みつけている。
「全く、狂犬のようなお連れで……」
領主がそう口を開いたと同時に、阿修羅は再び剣の柄を握る。が、それよりも素早く、仏陀が出されていたお茶の碗を持ち、思い切り領主にぶちまけた。
「あっちちち! 何をなさるのですか!」
慌てて服で拭う領主。阿修羅は唖然として仏陀を見るが、相変わらず平然としている。
「この者は私の供であると同時に、私を永久に導く者……。侮蔑することは、例え神でも私は許しません。勘違いしないでもらいたい。領主殿の命を助けたわけではありません。阿修羅に人殺しなどさせたくなかっただけです。」
「仏陀……」
穏やかな表情。しかし、その中には今まで見せたこともない怒りが垣間見える。
「さあ、阿修羅様、ここは無駄足だったようです。さっさと帰りましょう」
「あ、ああ」
仏陀が足早に退出するのを、慌てて阿修羅が追い掛けた。背後で領主がわめいている。
「何か言っているぞ」
「放っておけばいいです」
仏陀の広い肩幅が上下するのを見上げながら、阿修羅は少し可笑しくなった。この男がこれほど怒りを露わにしたのを初めて見た。
「あの、さ、仏陀」
「何ですか」
「私はおまえの供なのだろう?」
仏陀はつと立ち止まると振り返り、阿修羅に向かって頭を下げた。
「先程はご無礼を……阿修羅様のお気持ちは……」
「いや、そうではない。私はおまえの供だ。だから、私を阿修羅と呼ぶことを許す。それにもう敬語はやめろ」
「阿修羅様……」
「だから、同じ事を言わせるな」
阿修羅は照れ隠しのようにむっとした顔をすると、先を歩き出した。
「はい」
仏陀は笑みを浮かべながら、阿修羅の後を追った。