1.天界の軍神
2万字強の短編です。
一気にお読みいただけます。
その頃、後に地球と名付けられた星では、ようやく人間の祖となる哺乳類が地表に現れ始めていた。地球誕生から四十五億年、生命の発生から実に三十億年の歳月を経ていた。
その“地球”を眼下に眺めること数万由旬別次元に“天界”と呼ばれる世界があった。美しい花々が時を問わず咲き乱れ、うっとりするような音楽と芳しい香りが満ちていた。
“天界”に住まい、力を手にした者たちは自らを神と名乗り、下界である地の星を眺めながら思うままに暮らしていた。時折り起こる我が儘ゆえのいさかいや異境の反乱は、天界において絶大なる権力を持つ帝釈天と、その強力な軍隊、天帝軍により抑えられていた
「帝釈天様、西の都で起きました反乱、将軍殿が制圧したようです」
側近が玉座に深々と座る帝釈天に報告する 。
「そうか。相変わらず仕事が早いわ。で、いつもどるかな」
「恐らくは二、三日の内に戻られましょう」
「ふむ」
生まれながら高貴の地位にあり、神々の王として風格も才知も武勲も備えていた帝釈天ではあったが、唯一いただけない欠点があった。それは……。
「帝釈天様が、またどこぞの姫をさらって来た。可愛そうに、恋人がいたというのに」
そんな噂話が日常的にささやかれた。帝釈天は無類の色好きだった。
これはと思う者なら男でも女でも、自分のものにしなければ気が済まず、加えて嫉妬深かった。黙っていても、近寄ってくる相手に不自由することはない地位も器量も持ち合わせていたのに、それでは満足せず、略奪することこそが快楽と思う神だった。
天界では子を産むという生殖そのものが存在せず、必ずしも愛情が男女間で起こるとは限らない。通常男は勇ましく、女は美しく着飾るため、男女の組み合わせは多い。
が、一夫一妻の法もなく、双方の思うまま自由に振る舞える天界では、あえてそれにこだわる事はなかった。それは同時に嫉妬と妬みが常につきまとい、いざこざの種となっていった。
「阿修羅様だ! 阿修羅様の凱旋だ!」
天界の王、帝釈天の軍神、阿修羅。天帝軍将軍であり、天界最強の戦士である。側近が伝えてから数日後、白色と黄金色の目映いばかりの鎧兜を装着し、兵士共と戦地より帰城してきた。
「ただいま戻りました」
「うむ。ごくろうであった」
兜を脱ぎ、帝釈天の御前に立つ阿修羅は、まだ少年のような風貌である。つむじの辺りで束ねられた、流れるような長い黒髪は肩で揺れ、その凛とした顔立ちは美しい彫像のよう。そして、最強の戦士とは思えぬ程、華奢であった。
「阿修羅よ。もう戦も飽きただろう。戦いは他の者に任せて、私の妃にならぬか? お前が“うん”と言ってくれれば、正妃に迎えるつもりなのだ」
阿修羅は性別で言えば女性であった。しかも、美女ぞろいの天界にあっても群を抜く美しさだ。阿修羅を見初める神々は数多くいたが、その鋭い目と卓越した剣技の前に誰一人、思いを遂げた者はいない。
また、多くの姫君も阿修羅に思いを寄せていたが、冷たい一瞥に誰も近寄ることすらできなかった。
「戦に飽きることなど私にはありますまい。この宮廷で暮らせば、一日で逃げ出すでしょうが……」
帝釈天の数度に渡る誘いにも、阿修羅はそっけなかった。苦々しく思いながらも、阿修羅の技量を最もよく知る帝釈天は、口をへの字に曲げる以外、法はなかった。
だが、帝釈天は阿修羅の事を諦めたわけではない。そっけない返事を聞く度に、必ずや我が物にしたいと一層強く思うのだった。