蓮華 代宗伝奇
開元14年10月 唐の皇帝玄宗は汝州の温泉に逗留していた。
もう10日近くになる。昨年は封禅もした。
この温泉は祖父高宗もよく訪れたので設備もととのっている。
ただ祖父は文武百官を連れてくることはなかったので 少し手狭だ。
毎日湯につかり 酒を飲み 女子と楽しくすごす皇帝を見れば唐の世は安泰に見えるだろう。長安には多くの異人が訪れてにぎわっている。
だが北方ではいつなにがおこるかわからない。
祖母の武周時代 朕の10才すぎの頃 契丹が背いた時 兵が足らず、各地の罪人や官吏や庶民の家の奴僕まで同員して、撃退したのだ。兵が足らないのだ。均田制の租庸調に組み込まれている府兵制が機能しなくなっていたのだ。
その年のうちに農民を募り、報酬をあたえ契丹を討伐させた。ほっとした 契丹は唐の統治する部族である
630年、太宗は東突厥を破った。
この時、東突厥に従属していた西北の部族の君長たちが 太宗に天可汗の称号を献上したのだ。
太宗は、唐の皇帝は、蛮族の長となったのだ。
唐は、かつての中国の王朝が侵入を畏れ築いた、万里の長城を必要としない帝国なのである。
突丹に侵入を許すなんて 太宗皇帝があの世で怒っていることだろう。
玄宗は思いだし笑いをした
高力士が含みのある表情をして声をかけた。
洛陽から早馬がまいりました。声をおとしてくださいませ。
いったいなにがあったのだ。
おもむろに封書を開いた玄宗はその場に立ちあがった。
帰る。今すぐだ。
今お帰りになられても お会いになれるのは3日後でございます。
分かっている。やらなければならない事がある。そして 考えなければならない事も。
こんな所でのんびりとしてはいられない。
生まれることは皆に伝えなさい。
わかっているだろうが、あとは一切口外しないように。
知られたら命を狙う者が現れるかもしれない。
玄宗は欠伸をしてから、声をおおきくしていった。
やはり田舎はつまらんのう。刺激がなくていかん。さあ、帰るとしよう。
そして、高力士を見てニャツと笑った。
少し離れた場所に瑁と伴に座って武恵妃のところにいった。
玄宗は恵妃に立たなくていい。
といって、瑁の肩に両手をおいた。
大きくなったな。
いくつになった。
父上は明日あたりじいさまになるそうだ。
瑁は叔父上になる。
13才か。そろそろ出閣を考えてもいい頃だな。
瑁をかわいがる様子に、喜びをむき出しにしていた武恵妃は下をむいた。離れたくないのだ。皇后になれなかった事がくやまれる。
廃皇后が世を去り1年になろうかという頃から、ことにつけて 空位ならば私めはいかがでしょうか。
幼い頃より宮中で育った私ならば、後宮を上手く治める事ができるかと思われます。などと、しつこくねだった。根負けした玄宗が朝庭にはかったところ、激しい反対にあったのである。
武后がなにをされたかお忘れになったのですか?
高宗様のお子たちや李宗室の方たちが殺されたのですよ。
唐王朝が周王朝になったのですよ。
武后の身内の者などとうてい認められません。
武恵妃の皇后柵立の話はそれで終わった。
あの時、皇后になれたら、瑁の出閣の話はでなかっであろう。嫡子として東宮に住む事になったであろう。
いずれにしても、ちかい将来、皇宮を出なければならないだろう。瑁を皇太子にしなければ。誰が見ても玄宗様は瑁を溺愛している。皇太子になるのは難しくないはず。
どなたですか?早馬などで連絡をよこしたのは。陛下にとっては初孫でも、すこし大げさではないでしょうか?
話をそらした。