1-30 夕刻、唯香との語らい
……まさか学校帰りに同級生と、それも女子と歩く事になるとは思いもしなかったな。
夕刻。唯香と並び歩きながら、桔梗は心の中で思う。
──友人、恋人と帰宅する。
大抵の学生が数年の中で少なくとも一度は経験するイベント。
しかしそんなイベントも、今までの桔梗は一度として経験した事がなく、そして今後も経験する事無く学生生活を送るのだと、彼自身確信していた。
それがどういう訳か異世界に転移する事になり、そこで濃い日々を過ごし、そして帰還後最初の登校日に、何故か横を歩く少女がいるのである。
しかしそんな学生生活はじめてのイベントであっても、別段彼に緊張はない。
現在家で桔梗の帰りを待つ異世界の少女達。彼女達と過ごす日々が、桔梗の人に対する免疫力を高めたのである。
……みんな、大丈夫かなぁ。
少女達の事を考えた瞬間、少しだけ不安になる。たとえほんの数時間の事であり、かつ4人いたとしても、自身の知らないもので溢れている空間で過ごすとなれば何かと苦労も多い筈である。
だからこそ、お昼はしっかり食べられたかなとか電子機器に変に触れてパニックを起こしていないかなとか、色々と心配になってしまうのだ。
──と。今の今まで、桔梗は頭の中で様々な事柄について思いを巡らせていたのだが、これには理由がある。
「「…………」」
……そう、現状桔梗と唯香の間に一切の会話も無いのである。
勿論、たいして関係性の無い2人が、無言で歩く事に対する気まずさというのを桔梗自身理解している為、何度か会話をしようと試みはした。
しかし話そうにも、よくよく考えてみれば唯香について知っている事などゼロと言って良いほど無く、また異世界を経験したと言っても現実世界の、それも同級生女子と会話に関して対処法を知らない為、言葉が出てこなかったのである。
やはり異世界を経験し成長しても、根は引っ込み思案という事であろう。
と、そんな訳で気まずさを感じながら、しかし話を振る事すらできず、ひたすらに無言で歩いていたのだが、ある程度学校から離れた所で、突然唯香が意を決した様子で口を開く。
「ねぇ、桔梗君」
「ん?」
話しかけてきた事に少々驚きつつも、それを表には出さずに唯香の方へと視線を向ける。
対して唯香は、視線を前方へと向けたまま、薄らと悲哀の感じられる様な表情で、
「桔梗君って……魔法使いか何かなの?」
「…………へ?」
まさかの問いに桔梗は目を見開く。
どういう事? 魔法を使える事がバレた? どこで?
頭の中を様々な疑問が過るが、これを表には出さずに、努めて平静を装う。
「どうしてそう思うの?」
「桔梗君と彩姫ちゃんってそれ程長い付き合いでもないよね?」
「……まぁ、少なくとも先週までは話した事すら無かったね」
一応事実ではある。勿論、異世界での日々を考慮しなかったなら……の話だが。
何でもないとばかりに言う桔梗の言葉に、唯香は何とも言えない笑みを浮かべる。
「だよ、ね。……それなのに桔梗君は、彩姫ちゃんの心からの笑顔を引き出しちゃった。あの男の子が苦手な彩姫ちゃんの、友人の私すら見た事がない心からの笑顔を」
「あー、なるほど」
唯香の言葉に、桔梗は彼女の真意を理解すると同時に、以前水森家のメイドである沙織の言っていた言葉を思い出す。
『これ程リラックスし、心の底から笑うお嬢様の姿を私は久しぶりに見ました』
『最近のお嬢様は、家族といても友人といても、あまりリラックスできているようには見えませんでした』
きっと実際には、異世界転移前の彩姫は家族にもそして友人である唯香にも心を許していたのだろう。
しかし注目を浴びるストレスだったり、仕事に関するストレスだったりで、心がすり減っていたのかもしれない。
頷く桔梗に、唯香はわからないとばかりに曖昧な笑みを浮かべると、桔梗の方へと視線を向ける。
「これが魔法じゃないとすれば、何なのかな」
彼女からすれば、確かに奇妙だろう。
実際には3年という月日で、共に死線を潜り抜け、ようやく手にした笑顔なのだが、当然それを説明する訳にはいかないし、そもそも話した所で理解されない。
どうしようかと考える桔梗に、唯香は男が苦手な彩姫と瞬く間に仲良くなった桔梗に対する困惑や、自身が引き出せなかった彩姫の本来の姿を引き出した桔梗に対する悔しさ、嫉妬などの感情もないまぜにしながらも、次の言葉に対する期待の篭った視線を向ける。
その視線に当てられながら、桔梗はうんと考える。しかし──
「何なんだろね、僕もわからないや」
「……え?」
想定外の言葉だったのか、唯香はキョトンとする。桔梗は続ける。
「ほんと、あっという間で、けど物凄く密度の濃い出来事で……その中で彩姫と仲良くなったんだ。そこに彼女が心を許してくれるきっかけがあったかと言うと、僕は無かった様に思う」
実際最初は彩姫から明確な拒絶を受けた。しかし時間が経ち、助け助けられながら過ごす内にいつの間にか隣を歩く様になった。
そこに明確な要因など無かった様に思う。
いや、彩姫からすれば信用しても良いと、そう思う決定打となった出来事があったのかもしれないが、少なくとも桔梗はその出来事というものがハッキリと浮かばないし、本人から聞いたこともない。
だからこそ、唯香に気の利いた返答をしたいが浮かばない。
独り言の様に、懐かしむ様に声を上げる桔梗。
唯香は桔梗の言っている事が全く理解出来なかった。しかし、たった数日の筈なのに、その言葉から途方もない年月を実感する。
「だから魔法っていうのもあながち間違ってないのかもしれない」
言って、桔梗は唯香へと視線を向け、何とも言えない笑みを浮かべる。
少なくとも言葉で説明できない何かが心を通わせるきっかけとなったのは間違いない。
これを魔法の無いこの世界の人間が、魔法と表現するのならば、それも正しいと言えるのだろう。
「……そっか」
唯香が聞きたかった事に、桔梗は一切答えていない。
しかし唯香は自身へと視線を向ける桔梗の瞳と、彼の返答から勝手に理解をした。
「あ……」
「ん?」
「私こっちなんだ。……ごめんね、何か色々とおかしな質問しちゃって」
「いやいや、こちらこそごめん。全然答えになってなかったよね」
桔梗の言葉に唯香は首を横に振ると、
「私は納得できたから、だから大丈夫」
「……そっか。なら良かったよ」
唯香はうんと頷くと、
「じゃあね、桔梗君。また明日」
「うん、またね」
言って桔梗が手を振ると、唯香は小さく手を振り返した後、歩いて行く。
その姿を目にしながら、桔梗は不意に口を開く。
「春町さん」
振り返る唯香。桔梗はそんな彼女に優しげな笑みを浮かべる。
「これからも、仲良くしてあげてね」
「うん、もちろん!」
桔梗の言葉に唯香は満面の笑みで頷いた。
──その後、歩いて行く唯香の後ろ姿を見ながら、彼女が今までとそしてこれからも彩姫の心の支えの1人となる事を桔梗は強く実感するのであった。