第七話 朧車の怨念
「憎い……怨めしい……あの男と結ばれるのは妾のはずだったのに……」
蜘蛛の糸から脱した車から怨嗟の声が漏れる。その声は、聞く者に呪いが掛かりそうな程におどろおどろしく、苦痛や憎しみ、怒りに満ちた声だった。
「ほう……牛から離れても動けますか。しかし、出来る事なら大人しく捕まってもらいたかったですね」
表情にこそ出さないが、赫座は驚いていた。牛から離れると言う事は車にとって『動力源を失う』と言う事。現世で例えるなら自動車からエンジンを取るようなものだ。しかし、目の前の妖は自ら動力源を捨てたにも関わらず動揺する素振りすらない。
なぜ動ける? 警戒する赫座を他所に車はゆっくりと反転し、人が乗降する側が此方を向く。そこには本来付いているはずの暖簾は無く、代わりに付いていたのは……『顔』だ。暖簾が掛けられる部分全面を般若のような大きな顔が占めている。
「殺し、てやる……女は皆……殺して、やる……」
『顔』は、正しく般若の如き形相で此方を……正確には馬頭を睨みながら呪詛を唱えている。その気迫に気圧されたのか、馬頭は自分の体を抱くように震えている。
「あ、赫座さん……。あれは……一体あれは何なんスか!」
悲鳴混じりに牛車の正体を問われるが、先程説明した通り、幸せになれず全てを呪って死した女の成れの果て……としか言い様が無い。
「あれが『牛車の亡霊』……『朧車』の正体、みたいですね。馬頭、戦えるなら立ちなさい。戦えないのなら退いていなさい。仕事はまだ、終わってはいません」
戦闘可能かどうかを問いながら朧車を見据える。朧車は蜘蛛の糸を警戒しているのか今の所動く様子は無いが、それも時間の問題だ。他の通りに行けば仕掛けた糸が幾つかあるが、この通りには両陣営を隔てるこの箇所にしかない。元々、糸に掛かったら容易に捕縛できると踏んでいたため何重にも仕掛けてはいなかったのだ。
「だっ……大丈夫っス。ウチも戦えるっス!」
震える足を叩いて喝を入れながら馬頭が立ち上がる。恐怖心が消えた訳では無いが、獄卒として任務を果たす覚悟を決めた。何より、これ以上足手まといにはなりたくないと言う気持ちが彼女を立ち上がらせたのだ。そして……
「馬頭ーっ!! 無事かーっ!? って、赫座!?」
かなり遅れてではあるが、後を追ってきた牛頭の声が聞こえてきた。後ろから。
「あなたには馬頭の護衛を任せていたはずですが……何をやっていたのですか?」
「それがよぉ、走って行っちまった馬頭達を追い掛けていたら突然煙に巻かれて……道が分かんなくなったから街中走り回っちまった☆」
牛頭は、朧車の足止めを試みて馬頭が投げた煙幕に包まれ、方向が分からなくなったらしい。馬頭を助けないと、と言う気持ちが焦りを生み、結果的に間違った道を選んで街中を走り回ったのだ。しかし……
「注意力が散漫しています。こんなに荒れた道、どうやったら間違えるんですか」
牛頭の頭に手刀を落とし、朧車の背後に目をやる。そこは、牛が猛進したために地面が割れ、通りに置いてあった物は軒並み薙ぎ倒されていた。注意して見ずとも分かる程に荒れている。
「しかしまぁ、これで全員揃いましたね。当初の作戦とはかなり違いますが、『牛車の亡霊』朧車の捕縛を始めます」
頭を押さえる牛頭を無視して朧車に向き直る。それを皮切りに、朧車がけたたましい叫び声を上げた。