第六話 マイナスな信頼
薄暗い通りに断末魔にも似た悲鳴が響き渡った。悲鳴を発した馬頭は衝突の寸前で身を丸くする。少しでも面積を小さくすれば角が当たらないかもしれない、もしかしたら助かるかもしれない……藁にも縋る思いだった。しかし、そんな淡い期待も、最後の抵抗も、全て無駄であった。
「まったく……何をやっているんですか。獄卒でしょう、あなた」
耳に届いたのは聞き慣れた声。恐る恐る目を開けると、腕を組んだ赫座が立っていた。月明かりに照らされ、瞳に冷たい光を宿しながら此方を見下ろしている。
何で此処に? 牛車は? 聞きたい事はあるのに口が動かない、声が出ない。今はただ、目を見開いて目の前の男を見上げる事しか出来ない。
「あなた達が上手く誘導出来るとは思えなかったので、所定の場所以外にも仕掛けをしておいたんです」
馬頭の言いたい事を察してか、赫座はここに至る経緯を教えてくれた。
====================================
時は遡り、二人と別れた赫座は所定の場所に仕掛けを施していた。『牛車』と言う言葉を聞き、対象が誰なのかおおよその目星を付けていたからだ。
「さて……彼女達は上手く誘導出来るでしょうか……」
仕掛けは上々。後は作戦通り、誘導役の二人が牛車を連れて来れば捕縛が楽になる。が……
「牛頭はともかく、馬頭は……」
牛頭は心配いらない。文字通り牛のように突っ込むだけだから、護衛は務まるはず。しかし問題は餌……もとい馬頭である。馬頭は獄卒の中でも戦闘に不向きで、勝てないと悟ったり臆病風に吹かれると逃げ出す傾向にある。正直、上手く誘導出来るとは思えないのだ。
「……もう何ヶ所か、仕掛けをしておきますか」
どこからか牛の雄叫びみたいな声が聞こえてくる。急いだ方が良いかもしれない。一瞬の黙考の後にそう結論を出すと、足早にその場を後にした。
====================================
「仕掛けを増やしたのは正解でした。……立てますか?」
溜め息を吐きながら、へたり込んでしまっている馬頭に立つように促す。仕事はまだ終わっていないのだから。
「だ……大丈夫……っス?……ふぁあっ!?」
立ち上がった瞬間、何かが腰に当たったのを感じた馬頭は振り返り、奇声を上げながら再び尻もちを着いた。振り返った先に牛車が居たからだ。しかし、先程までの勢いは無く、牛は動かない。動けない。よく見ればその体には糸が幾重にも絡みついている。
「地獄の『剣山』に棲む鬼蜘蛛の糸です。怪力自慢の鬼ですら千切る事はできません」
『剣山』。それは山全体を剣のように鋭くて硬い鉱物が覆った、地獄の難所である。そこに棲みつく鬼蜘蛛と言う鬼の顔を持った蜘蛛の吐く糸は、剣山の剣で切れない硬度と粘着性を持っている。言った通り、怪力が自慢の鬼ですら簡単に千切る事は出来ない代物だ。
「さあ、もう動けないでしょう? このまま大人しく地獄に戻るなら良し。ですが、悪足掻きをすると言うのなら罪は重くなります」
鬼蜘蛛の糸に捕まってしまえば、たとえ大地を割る豪牛であっても動く事は出来ない。そう、出来ないはずなのだ。しかし二人は見た。糸に絡め取られている牛が……いや、牛が引いていた車が、牛を切り離して糸から抜け出る瞬間を。